テレビから流れる健康番組では、華やかな容姿の女性アナウンサーがよく通る声で、糖分の過剰摂取の恐ろしいリスクについてを、分かりやすく説明していた。肥満に虫歯、いきつく先は糖尿病、悪化させれば失明の危険すら伴うのだと、視聴者の危機意識を高めるのに熱心だ。今の私には非常に耳に痛い話だったので、リモコンの電源ボタンに人差し指を乗せ、情報を意識の外に追いやった。



 ルキくんの名を綴った紙を入れたティーカップに、大量の角砂糖を投げ入れて紅茶を注ぐ。
 それらの一連の行為は、私の日常生活の中ではもうほとんど日課となっていた。ルキくんには下らないと馬鹿にされたけれど、これをした瞬間たちまちルキくんの機嫌がよくなったのは本当のことなので、私はこのおまじないの凄まじい効力を信じざるを得なかった。毎日続けなくては意味がないおまじないだと聞いたから、途中で止めてしまう事は怖くて出来ない。止めた途端にルキくんがまた、余所余所しくなってしまうかもしれないのだから。
 とはいえぶくぶくと脂肪を蓄えて彼に醜いと嫌われるのも嫌だったので、メープルシロップと蜂蜜を入れる行程だけは省かせて貰って、室内での運動もはじめた。二つの甘味を抜かした所で有り余る程の甘さを感じる度に、どれだけ自分の心がルキくんに囚われているのかという事を実感する。酷く身体に悪そうなそれを飲み込む事も、恐ろしいことに、最近では苦痛ではなくなっている。これでは本当に糖尿病まっしぐらだ。




「ルキくん、いる?」
「ああ」

 ルキくんの部屋の扉を二回ノックし、返事をもらってから、扉を開けた。
 リビングでなんとなくテレビを見ていたら、耳に痛い健康番組がやっていた。それを意識の外に追いやった瞬間に、背後からユーマくんの声がかかった。
「何かしらねぇけど、ルキがオマエの事呼んでたぜ」
 面倒臭そうに頭を掻きながらそれだけ言うと、ユーマくんはすぐに行ってしまった。
 部屋に入るとルキくんはソファに腰をどっしりと下ろし、読書に集中していた。入室した私には目もくれず、真剣な表情で手元の本と向かい合っている。こちらからは見えないし内容も私には理解できないものかもしれないけれど、紙の上では大事な部分に差し掛かっているのかもしれない。

「……」

 読書の最中に、ましてや良いところで中断されたら、彼は絶対に不愉快な思いをするだろうと考えて、私は沈黙を守ったまま扉を閉め、部屋の半ばまで足を踏み入れて待つことにした。長い睫毛を伏せ真剣な顔付きをしているルキくん。彼の手元に収まっているのは薄い文庫本のようで、いつもは幾頁にも渡る分厚くて古めかしい表紙の、難解そうな本ばかりを読んでいる彼にしてはちょっと珍しい。
 そう思えば少しだけ、興味が沸いてくる。
 じりじりと絨毯の上を足裏で擦るようにしてソファに歩み寄る。彼の手元を覗き込もうとしたところで、本に伏せられていたルキくんの視線が一気にこちらを向いた。ぎくり、と心臓が跳ねる。

「――まるで、“待て”を命じられた犬のようだな。もう少し利口に待つことは出来ないのか、お前は」
「る、ルキくん……!」

 犬でもこんな簡単な事は出来るぞ、だなんて言いながら、本を閉じ、ソファの上に放り出す。どうやら私の従順度を試すために仕掛けられた、罠だったらしい。

「まあ、この家に来たばかりの頃のお前ならば、俺が何をしていようと無遠慮に声を掛けて来ていただろうが。その点についてならば、誉めてやってもいい」
「……ルキくんが、私を、誉める?」
「“待て”を自ずから始めるとは、家畜としての自覚が出てきた証拠だろう」
「……!」

 ルキくんが、優雅に口角を吊り上げる。確かに、私は彼を待つ以外の選択肢を考えもしなかった。すっかり調教されてしまったのかと思えば恥ずかしくなって、慌てて口を開く。

「そ、それより、ルキくんが私に、用事があるって聞いたんだけど。なにか用?」

 彼は慌てた私の様子にやれやれと首を振っていたけれど、私はそれどころじゃなかった。今回のこの呼び出しには少し思う所があって、緊張していたからだった。
 もし「太ったな」なんて言われたらどうしよう。
 もちろん体重は変化はないし、おまじないを続けている事はルキくんにも秘密にしているし、行程のひとつ、ルキくんの名前を書いた小さな正方形の紙もぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に押し込み、早々に証拠隠滅してしまっているけれど、もしもそんな事があったら。
 なんてぐちゃぐちゃ考えていたけれど、私のそんな心配は全くの杞憂のようで、ルキくんは一枚のメモ用紙を取り出すとこちらに差し出した。ソファに座った彼が、立っている私に差し出すと、丁度おへその辺りの受け取りやすい位置に紙が浮いている状態だ。

「お前にひとつ、仕事を与えてやろう。ここに書かれているものを買ってこい」
「え?」

 受け取ったメモをまじまじと見つめる。牛肉、たまねぎ、人参、じゃがいも、エトセトラ。どう考えてみても今夜の夕食の材料であろうものが箇条書きでずらりと綴られている。今夜はカレー、またはシチューを作ればいいのだろうか。
 この無神家は、逆巻家とは違い、使い魔ではなくみんなで役割を分担して生活を成り立たせている。だから買い物に行く事自体はなにもおかしなことじゃないのだけれど、私はこの屋敷にやってきてから昨日に至るまで、料理か掃除か洗濯くらいしか仕事を任された事がなかった。力仕事も出来なければ一人で外に出る事も許されない、いわゆる、彼に言わせれば“役立たずの家畜”、だからだ。

「ルキくんも、一緒に行くの?」
「幼稚園児でもあるまいし、いくら家畜といえど、これくらいの使いは一人で果たせるだろう。それとも、お前は一人では買い物もこなせない程、俺に飼い慣らされているのか?」

 私は一回ぱちりと瞬きをする。
 一応、私は彼らに監視をされている身だ。このルキくんの部屋で一緒に暮らすよう命令したのはルキくんだったし、彼らは私が外出する事にいい思いを抱いてなかった。それでも外出しなければならない時には必ず付いてきたし、学校でも常に見張られている。今までならば一人で買い物なんて、絶対に考えられなかったのに。
 もしかしたら、これも、角砂糖のおまじないの効果? ルキくんは最近私に優しいと思っていたけれど、ここまでとは。私の顔から一気に力が抜け、彼に間抜けと形容されるようなだらしない表情になってしまったのは、この時だ。


「いいか、もうすぐ日が暮れる。なるべく早く帰ってこい。そうだな、日が落ちる前には必ず戻れ。夕食が遅れると、コウやユーマが煩いだろう?」

 ルキくんはそう私に釘を指して、お札が何枚か入ったお財布を握らせると、本当に私を無神家から送り出した。気分は初めてのおつかい。一人で吸い込む外の空気は、何だか懐かしいような香りがする。
 一人での行動を許す程に、彼は私を信用してくれたのだろうかと思うと、それが例えおまじないの効果だろうと何だろうと、何よりも嬉しい事のように感じた。


201311

   
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