一、正方形に切り取った小さな紙に、大切な彼の名前を書き綴る。ペンの先に想いの全て乗せるように、たくさんの愛を込めながら。
二、ティーカップの底に、名前を綴った紙を置き、甘あい角砂糖を想いの分だけ投げ入れる。彼への想いが強ければ強いほど、角砂糖をたっぷりと。
三、そこに熱ーい紅茶を注ぎ入れ、サトウカエデの樹液とアカシアの花の蜂蜜を投入、彼の顔を頭に浮かべながら、ゆっくりと三回掻き混ぜる。
四、全てを飲み干す。

 以上の四行程を毎日欠かさず続けたら、どんなに怒っていた貴方の大切な彼も、たちまち貴方に惚れ直すでしょう。大切なのは、彼への想いを込める事!









「なにをしている」

 ティーカップを傾け、一口目の紅茶を口に流し入れた瞬間に、私の身には二つの驚きが舞い込んできた。ひとつに、口内に広がった、舌がしびれてしまうような甘さについての驚き。まるで、砂糖の原液を飲み込んでいるような衝撃的な甘味だった。思わず吐き出してしまいそうになりながらも、それを我慢して飲み込めたのは、ティーカップの中に沈む今や紅茶色に染まりつつある正方形の紙につい先程書き付けた名前「無神ルキ」くんが、彼らしくもなく不快感を全面に押し出した表情をしている顔が、一昨日から私の中にすっかりと寄生していたからだ。喉を通過する瞬間、焼けるような感覚のするそれに、酷く身体に悪そうな飲み物だなぁなんて思ったときに背後から声が聞こえた。これがふたつめの驚き。声の主はたった今考えていた正方形の紙の名前の持ち主。

「……ル、ルキくん!」
「はしたなく口を空け、間の抜けた顔だな。また主人に隠れ、やましい事でもしていたのか?」

 驚く私に対しての彼の反応は至って普通、普段通りの、困った家畜に呆れ顔といった感じのルキくんだったので、私は更に驚く事になった。今は普通通りの反応をされる事事態が普通ではない。だって彼は一昨日、あんなにも私に怒っていたし、昨日は謝っても一日中無視をされた。普段はクールな面持ちを絶対に崩しはしない彼の顔に浮かぶ隠しようもない不機嫌は、わたしの見間違えでは無かったはずなのだ。なのに振り返った私の目に飛び込んでくるルキくんの顔は、やっぱりどこから見ても冷静なものに戻っていた。正直信じられない。

「角砂糖、か」

 混乱する私を意にも介さず、肩口からぐっと身を乗り出したルキくんは、キッチンのテーブルの上、ティースプーンの乗っかったソーサーと角砂糖の入った瓶の二つの中から角砂糖の方に目をつけたようだった。すらりと長く綺麗で、それでいて男の子らしさも併せ持つ骨ばった指先で瓶をつんとつついてみせる。それの内容量の半分はつい今しがた、私の手にしたティーカップへと消えていったところ。見るからに寂しげな瓶は、ルキくんの指先でしゃらりと音をならす。

「ユーマからこれを盗んでくるとは、随分と愚かな事をするじゃないか。後々あいつに酷い目にあわされても文句は言えないぞ」
「……え? い、いや、違うよ! それ、私が買ってきた角砂糖だから、ユーマくんに文句を言われる事はないよ!」
「お前にも僅かばかりの学習能力はあったというわけか」

 ふっと余裕のある笑みを浮かべるときは、ルキくんが私をからかって楽しんでいる時だ。やっぱり彼は全くもって普段の調子を取り戻していて、それはまるで魔法のような出来事だった。どうせ効果が無いだろうと思いつつも縋り付いた、“彼と仲直りをするおまじない”が、こんなにまでも効果覿面だったとは。
 ルキくんがわたしの向かいの席に座ったので、私は慌てて彼の分の紅茶を用意した。こうして普段通りに出来ることが、なによりも嬉しい。

「……で、」
 器用に瓶から角砂糖を掬い上げたルキくんが、鋭い眼差しで私を見た。
「わざわざ角砂糖を用意してまで、一体何をしていた。まさか、ただ紅茶を飲んでいただけという訳では無いだろう」

 ちゃぽん、ルキくんは角砂糖をひとつだけティーカップに入れると、スプーンを摘まむ優雅な手つきで、ぐるぐるとかき混ぜた。その瞳は何でもお見通しというような色をしていて、私の羞恥心がちくちくと刺激される。何をしていたのかなんて、こんな知的な眼差しをした彼に告げるには、余りにも子供じみていて馬鹿げた事だ。けれどここで何も言わずに、せっかく良さそうな彼の機嫌を損ねるのは得策では無いので、私は再びティーカップの中身を一口嚥下してから、口を開く。喉を通過していったのは、先程と同じく焼けつくような甘味だった。この甘味を我慢したご褒美に、神様が私の願いを叶えてくれたのだとしたら、納得してしまうような、そんな甘さ。

「……おまじないを、していたの」
「おまじない、だと?」
「うん、最近ね、学校で話題になってる角砂糖を使ったおまじない。仲直りをしたいひとへの想いの分だけ紅茶に角砂糖をいれて、それからメープルシロップや蜂蜜を混ぜ込んで、それを毎日飲むと、そのひとと仲直りが出来るんだって」
「なるほど、そうして自らで考える事を放棄し、信憑性の欠片も感じられ無いまじないに飛び付くとは、まさに考える事を止めた家畜。滑稽じゃないか」
 一瞬、ルキくんがやっぱりまだ怒っているのかと思ったけれど、彼はただ呆れている時の顔をしていた。
「それで、そのまじないの効力は期待できそうなのか」
「……うん。もうすでに、効果があったのかも。ルキくんと、仲直り出来た」

 だってまるで魔法でも使ったみたいに、目の前のルキくんは普段通りだ。俺? とルキくんは少し驚いているようだった。
 一昨日のはなしだ。わたしはルキくんの言いつけを破り、彼の監視下に無い状態で学校を歩き回った。先生にプリントを届けるあいだくらいならば大丈夫だろうという安直な考えの元の、軽率な行動だった。すぐに私を逆巻家へと連れ戻そうとしていたアヤトくんに見つかり、追い回され、吸血される羽目になった所を、駆け付けたルキくんに助け出されたのだった。ルキくんは軽率だった私に酷く怒った様子で、アヤトくんに吸われた場所に何度も、何度も、牙を突き立てて、私の血を吸った。ルキくんは普段は見せないようなぎらぎらと怒りに満ちた目をしていて、見ているこっちが苦しくなってくるような表情をしていたので、私は彼に、とても酷い事をしてしまったんだなと実感した。
 昨日は一日ルキくんに謝罪の言葉を言い続けていたけれど、彼は一言も口を聞いてはくれなかった。
 せめて彼と仲直りが出来るようにと、藁にもすがる思いで手を出したおまじないをした途端、一昨日の出来事を綺麗さっぱり忘れた別人のようなルキくんが、目の前に現れた。
 私は未だに、目の前のルキくんが本物なのか半信半疑だ。角砂糖の甘さにあてられて、幻覚でも見ているのだろうか。

「仲直りとは、不適切な表現をするじゃないか」

 ようやく角砂糖を溶かし終えたルキくんが、スプーンを置き、一口紅茶を飲む。表情にあまり変わりはなかったけれど、あれは多分満足いく味だった時の顔だ。

「お前、何か勘違いをしてないか?」
「え?」

 こちらを見つめるルキくんの瞳は冷静で、何故だか冷めきっているようにも見え、ぞくりとお腹の底が冷たくなった。只でさえ砂糖の甘さでむかむかとしているのに、胃がぐちゃぐちゃに混ざりあっている感じだ。

「お前は恐らく一昨日の出来事について話しているんだろうが、あれは主人に断りもなく、あろう事か逆巻家の者に血を分け与えるというタブーを犯した愚かな家畜を躾ていただけであって、俺とお前は下らない喧嘩をしていた訳ではない。よって仲直りなどという言葉はそれ自体が不適切」

 ルキくんは再び、スプーンを使って、ティーカップの中身をぐるぐると掻き混ぜた。私の胃の内容物も一緒にぐるぐると掻き混ぜられている心地。

「昨日一日与えた罰には随分と堪えていたようだな」

 もう十分だと思ってな。そう余裕たっぷりに口角の左側だけを器用に吊り上げさせたルキくんは、昨日、話しかけても無視をされたルキくんとはまるで別人。無視をされる事ほど、堪える事はない。ルキくんはそんな事まで見抜いてしまうのか。

「俺は躾を終えた後も罰を与え続けるような趣味は無いのだが、どうやらお前はもっと躾られたいらしい」
「ち、違うよ!」
「フン、ならばいい」

 ぶんぶんと首を振る私にふっと笑うルキくんはやっぱり普段通りで、一昨日のあれは怒っていたのではなく、本当に躾をしていただけなのかもしれないという気がしてきた。少しだけがっかりしてしまう私は少なからず、ルキくんが嫉妬だとか、そんな感情を抱いてくれていたのだと、思い上がっていたのかもしれない。それくらい、私は彼にとって特別なんだって、考えたかったのだ。だけどやっぱり彼にとっての私は家畜でしかない。

「いいか、身の程を弁えろ。お前は家畜だ。けして自分が特別な人間だなんて傲り高ぶった浅ましい考えは抱くな」
「…………はい」

 俯いて瞳に飛び込んでくるティーカップの中には、無神ルキと記された紙が力なく沈んでいる。もう一口、紅茶を飲み込む。吐き気がするほど甘ったるいそれが、途端に私には不釣り合いというような気がしてきた。
 私は特別な存在になりたいわけではなく、きっと、ルキくんの特別になりたいんだろうと、最近気が付いた。人としての尊厳も満足に与えられず、家畜同然として扱われながらも、どうしてこんな事を思ってしまったのか。


「――で、お前の口にしているその紅茶には、一体幾つの角砂糖が入っているんだ」
「え?」
「“想いの分だけ紅茶に角砂糖を”だったか。お前の主人への想いは、角砂糖幾つ分だろうな」

 興味がないような顔をしておいて、頭がよくて記憶力に長けるひとはこれだから困る。ルキくんは面白がるように、私が手にするティーカップの白色を瞳に写し、それから視線を私の瞳へと移す。かっと顔に血が集まってゆくのを感じる。流石にそれを口にするのは憚られる。それでは彼の事がどれだけ好きなのかと、告白してしまうようなものなのだから。ぶんぶんと首を振ってから、誤魔化すように紅茶をまた一口。紅茶というよりも、砂糖といったほうがいいかもしれない。わたしの味蕾を刺激し味覚神経をがつがつ攻撃するそれは、ティーカップに入るだけめいっぱいの角砂糖が詰め込んである。

「あくまでしらをきりとおそうと言うわけか」

 ティーカップで前は見えなかったけれど、ルキくんは怒っていないみたいで、そう言った彼の口調は柔らかかった。安全を感じ取ったわたしはティーカップから口を離す。瞬間、彼の手が伸びてきて、私の顎を親指と人差し指で摘まみ、ぐいっと持ち上げた。まずい、と思ってももう遅い。

「お前は本当に、躾のなっていない女だ。こうしてわざわざ、主人の手を煩わせるとは」
「ま、待ってルキくん、ちゃんと言うから」
「もう遅い」
「……んんっ」

 私と彼との間を隔てるテーブルなんて、なんの障害物にもならないみたいだった。立ち上がり身を乗り出すようにしたルキくんに、くちびるを奪われる。彼はまるで食べ物を食べるような調子で、私の口内を貪り出したのだ。舌を割り入れ粘膜を舐め、歯列をなぞる。それから舌を絡めて吸って、嬲った。そうして、味を楽しむように。はっと小さな吐息を漏らしたら、やっとでルキくんのくちびるが離れていった。

「甘い、な」

 私の顔を完熟した林檎みたいに真っ赤に染めるには、短く吐き出されたその一言と、ルキくんの勝ち誇ったような瞳で十分だった。その一言には多くの意味が込められている。甘い。こんなにも俺の事が好きなのか。じっと見つめるルキくんの瞳に、そんな風に言われている気がした。

「これでは肥えてしまったとしても仕方がない。俺は醜い家畜など、飼いたくはないのだが」
「な……!」

 少しくらい反論しようとしても、再びくちびるを塞がれ叶わなかった。こんなことを言ったらまた「思い上がるな」と言われるかもしれないけれど、苦々しい言葉ばかりを作り出すルキくんのくちびるは、砂糖の味しかしない今の私のくちびると、丁度釣り合いが取れているんじゃないかと思った。

20131118

   
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -