はじめて人を好きになった。


 好きなひとと同じ教室で同じ空気を吸って、同じ授業をきいて、同じ問題に頭を悩ませる。わたしはいつも大好きなひとの背中を眺めながら幸せな気分に浸っている。そして考える。すぐ目の前にある男の子にしては華奢ですらりと引き締まった魅力的なあの背中はいま、何を考えているのだろうか。彼はいま、どんな表情で黒板を見つめているんだろうか。授業すらろくに頭に入らないくらい、わたしは目の前の背中を見つめる毎日に幸せを感じている。
 たまに、教室に誰もいなくなった隙を狙って、自分の席よりもひとつ前の席に腰かけて“彼の視点”を味わってみる。すこし黒板や教壇が近づいただけで、たいして代わり映えはしなかったけれど、この椅子に毎日彼が座っていて、この机に毎日彼が肘を乗せていて、この空間に確かに彼が存在していた事を毎日この瞳で確認しているわたしの心臓はやばいくらいに暴れまわるのだ。
 鼻の先を彼の机に擦り付けて、すうっと深呼吸をしてみる。実際はなんの香りもしないんだろうけれど、彼がいつも身に纏っているわたしの心を揺さぶるあの香りが鼻腔を満たしたような気がして、また胸がどきどきしてきた。すき、すき、大好き。何度も何度も心の中で繰り返す。好きの気持ちが強すぎて、どうにかなってまいそう。告白しようなんておこがましい事は考えたこともない。ただわたしは見つめているだけで、たまにこうして彼の席に座ってみるだけで、胸が満たされて幸せな気分でいっぱいになる。なんともいえない高揚感はたぶん、興奮という名前のついた感覚なのかもしれない。


「……やばいわたし、変態なのかも」

 切ない胸にきゅっと手をあて呟いたら、上から声が降ってきた。

「へえ、キミって変態さんだったんだね。知らなかったよ」

 はっとして机にくっつけていた鼻を持ち上げ、顔をあげる。まず目に飛び込んでくるのがにやにやと可笑しそうにこちらを見つめている、翠色の瞳。にやにやと弧を描く柔らかそうなくちびる。頭に乗っかったつばの広いお洒落な帽子に、外に跳ねたふわふわそうな髪の毛。このひとを知っている。逆巻ライトくん。学園の有名人。そしてわたしの好きなひとのお兄さん。

「やあ、コンバンワ」
「あ、あの、えっと……」

 ――見られた。わたしは自分のかおがさっと青ざめてゆくのを感じていた。よりにもよって、お兄さんに見られてしまうなんて。

「か、カナトくんの、お兄さんの逆巻ライトくんですよね? カナトくんなら、ついさっき帰りましたよ」

 なんとか絞り出した声が震える。とうのカナトくん本人の席に勝手に陣取ってにやついた顔をしていた手前、きまずい。

「たまには一緒に帰ろうかと誘いにきたのに、すれ違っちゃったみたいだねー。でも、んふふ、おかげで楽しいシーンに遭遇しちゃったよ」

 あ、ちなみにボクはカナトくんの弟で、カナトくんはボクのお兄ちゃんだから。と、ライトくんが外見どおりの軽い口調で付け足したから、わたしは驚きと恥ずかしさとで複雑な気持ちになっていた。

「ねえねえ、××ちゃんはさ、カナトくんの事が好きなのかな?」

 こてりと首を傾げるライトくんは何でもないような顔をしながら核心をついてくる。かあっと顔に血が集まってくるのを感じた。……恥ずかしい。わたしが前の席に恋心を抱いた視線を飛ばしているなんてこと、今まで誰にも知らせた事はなかったのに。というかライトくんはどうしてわたしの名前を知っていたんだろう。わたしが彼を知っていたのは好きなひとの兄弟だし有名人だったからだけど。もしかしたら、カナトくんがお家でわたしの事を話していて、だからライトくんはわたしの名前を知っているだとか、そんなロマンチックな話だったらどうしよう。また胸がどきどきしてきた。

「なんだか期待しているところ悪いけど、学校の可愛い女の子たちの事をチェックしておくのは単なるボクの趣味。けどキミがカナトくんを好きな変態だとは思わなかったなあ」
「へ、変態って……!」
「だって自分で言っていたんでしょう? 男の机に鼻擦り付けてクンクンすりすりハァハァしてる女の子なんて、ボク顔負けの変態っぷりだよ。いいねえ、すごくいい」
「は、ハァハァはしてないです」
「ええ、ボクちゃんと見てたんだから。キミってばすっごくエッチな顔でカナトくんの席に陣取ってるんだもん。見ているボクも興奮しちゃうくらい」

 はあっと熱いため息が挟まれる。

「そのまま放っておいたらカナトくんの席でキミがマスターベーションでも始めるんじゃないかと、気が気じゃなかったね。ああ、って事はボク、お楽しみの最中を邪魔しちゃったのかな。あのままそっと見守ってあげていた方が紳士的だったよね。ごめんね、今からでも」
「そんなことしないです!」
「ざーんねん。まあ、自分の席で勝手にそんなことされたと知ったら、あのカナトくんは黙っちゃいないだろうしね」
「……っ」

 ひきつったわたしの顔の前にてのひらが差し出される。差し出されたライトくんのてのひらはわたしの好きなひとに負けず劣らず、綺麗だった。


「ボクはお兄ちゃんの事が嫌いじゃないし、恋する女の子たちの味方だから、キミとカナトくんの事ももちろん応援してあげるよ。キミがカナトくんの心を掴むのにどうしたらいいのか、たくさんアドバイスしてあげる。んふ、これからとても楽しみだね」
「い、いや、いいです」
「カナトくんはきっと自分の机を知らないうちにくんくんしているような女の子は好きにはならないと思うなあ。ボクはそういう子も好きなんだけど、カナトくんはアレだからね。ボクのアドバイスに従った方が、キミのためになると思うよ?」
「それは従わないとカナトくんに今日の事をバラすという脅しですか……?」
「脅しだなんてボクは純粋に応援しているだけなのに。まあ、そうとってくれても構わないけどね」

 ずいっとライトくんが押し付けてくるのは、悪魔のてのひらだ。かといって弱味を握られたわたしには残念ながら抗うすべはない。そっとてのひらにてのひらを重ねる。その日からわたしの、ライトくんのおもちゃにされる日々が始まった。

   
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