油汚れってどうしてこんなにもしつこいんだろう。
 レイジのコレクションにも勝るとも劣らない、わたしには理解できないような繊細なデザインの食器を傷つけないよう、食器用洗剤をつけたスポンジで優しく、磨いて、磨いて、磨いて。それからたまに洗い流して、また磨いて。逆巻家でも食事はするけれど、準備から後片付けまで全て使い魔がやってくれるから、こんな事をするのは初めてだ。ばしゃばしゃ、と、泡が飛び散る。


「……食器、運び終わったけど……」
「ありがとうアズサ、じゃあ――」

 背後からの声。一旦手を止めて、一緒に食器の後片付けとか、キッチンの掃除とか、主にキッチン回りの作業をする事になったアズサの方を振り向く。とりあえず洗う係と運ぶ係に作業を分担したわけだけれど、アズサの方の作業は終了したらしい。
 振り向いた瞬間に、げ、と思った。
 アズサが両手で抱え込んでいる大皿は例のチキンソテーが乗っかっていたもので、多すぎた唐辛子のソースがまだ大量に残っていて、皿の上でそのありすぎる存在感を主張している。あの地獄のような辛さを思い出してしまったのと、いかにもしつこそうな汚れに、ダブルの意味で顔をひきつらせそうになる。

「えっと、とりあえずそこらへんに置いといて?」

 なんて、シンクを指差したけれど、大皿を抱えたアズサの細い指は動かなかった。じっとわたしの顔を覗き込んで、動きを停止してしまっているようだ。舐めるような視線が、わたしの顔面へと惜しげもなく注がれている。

「……わたしの顔になにかついてる?」
「……ううん。ただ、後で聞かせてくれるっていったのに、チキンの感想、まだ聞いてないでしょ……? どうだった?」
「……ああ」

 ちらり、一瞬だけ、アズサの視線が手元の皿に注がれる。上手いこと話が反れてくれたと思ったけれど、結局はそこに行き着いてしまったらしい。

「……ちょっと辛かったかな」

 アズサはせっかく手料理を分けてくれたんだし、ここで「美味しかったよ」とお世辞の一つでも言っておくのが世渡り上手のする事かもしれないけれど、生憎わたしは世渡りが上手くないらしい。味が分からないくらいの壮絶な辛さだったし、実はまだ少しだけ、舌の先がぴりぴりしていたりする。

「ふふ、辛かったんだ……。じゃあ、痛かった……?」
「へ? うん、すごく――いやいや、ちょっとだけだよ、ちょっとだけだけど、痛かった、かな?」
「……ちょっとだけ……」
 アズサが眉を潜める。
「あ、でも、水をたくさん飲んだら直ったし、今はもう大丈夫だから。……大丈夫」

 だから心配しないで、と、不満そうな顔になってゆくアズサに、笑顔を向けてみる。なんだかアズサは他の誰よりも純粋な瞳で見つめてくるので、どうも調子が崩されるというか……、気がつけばペースに飲まれてしまっている。にこにこ、くちびるを吊り上げたら、痛みが振り返してきたような気がするけれど、我慢。
 わたしの我慢も空しく、アズサは両手でぎゅっと皿を抱き締めながら、更に不満そうな表情を強めていった。やっぱり、「とても美味しかった」と手放しで誉めておくべだったか。

「……ふうん」

 それだけ言って、不満そうな顔のまま、アズサは再び手元の皿に視線を落とした。お皿の白の上に唐辛子ソースの赤で彩られたそれは、地獄絵図のようだ。ふいに、アズサの細い指先がソースの上を滑る。何を思ったか、アズサが唐辛子ソースを指で掬っているらしい。

「……きっと、食べ足りなかったんだね」
「……ん?」

 あれ、何だかもしかして、わたしたち、話が噛み合ってないんじゃ。
 と、わたしが気がつき始めた時には、もう遅かった。真っ赤なソースをたっぷりと絡ませたアズサの指先が、物凄い勢いで顔面向かって接近してきていたのだ。

「ちょ、アズサ、ま…………っ!」

 避けようと試みるもアズサの動きの方が素早かった。指先は滑らかな手付きでするっと、わたしのくちびるを霞めていった。まるでお化粧の仕上げに艶やかなグロスを塗りたくった、といった具合に、くちびるにはたっぷりとソースが置かれたらしい。濃縮された唐辛子のすさまじい威力を侮るなかれ、次の瞬間には、ひりひりとした痛みがくちびるを支配していた。

「いっ、いたっ、いたい、いたい……なにこれ!」
「ふふ、痛いんだね……? ねえ、どんな痛み? ひりひりする? じんじんする?」
「信じられないくらい、ひりひりする……!」

 “たらこくちびる”ってやつになってしまっていないか心配だ。アズサはそう、と言って、とってもいい顔をしていた。やはりこれは、だ。わたしとしたことが、大きな勘違いをしていたみたいだ。アズサは多分、この痛みのが好きで、唐辛子たっぷりの料理を作っていたに違いない。

「ああ……君のその顔を見ていたら、俺も、食べたくなってきた」

 ぺろりと自らの指先を舐めとりご満悦のアズサ。
 アズサのこれは意地悪でやってるんじゃなく、純粋な善意としてやっているのだから、厄介だ。アズサからは邪心というようなものが一切感じられない。それは多分、彼が本当はとても優しいんだという証なんだろうけれど、だからこそ厄介なのだ。

20140127

   
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