「……オイ、なにぐうすか寝てんだよ」
目覚めは最悪だった。
べりっと布団を剥がされて、うっすらと目をあければ、無神ユーマがこちらを見下ろしながら、口をへの字に結んでご立腹の様子が飛び込んでくる。窓の外はまだ太陽に支配されているようで、逆巻家の窓にバリアーを張っている分厚い遮光カーテンよりも随分薄手のカーテンの隙間から、眩しいばかりの陽光が漏れでている。壁に掛けられたまだまだ見慣れないデザインの時計は、わたしがベッドに入ってからまだ一時間ほどしか時間がたっていない事を教えてくれるのだけれど。
「……う、ううん、まぶし……。こんな時間に、なにかあったの?」
「なにかあったの? じゃねーだろ。なんでテメーはぐうぐう間抜け面で寝てやがるんだ、あぁ? 信じらんねェ神経の図太だぜ」
「……ええ?」
「オラ、起きろ、目ェ開けろ、話を聞け」
「……ねむい……」
「……いい度胸だなァ? あと三秒以内に起きなかったらどうなるか、身をもって体験してみるか? さーん、にーい、いー」
「わー、起きる、起きるから!」
「ったく、手間かけさせやがってよォ」
「……、なんでわたし怒られてるの?」
「オマエのおかげでわざわざオレが起こしに来るハメになったからだろーが」
再び目を開いて見上げたユーマは、はあ、めんどくせーと息を吐いているところだった。あの様子を見るに、この家のリーダー、ルキあたりに命じられてやって来たのかもしれない。こんな朝っぱらからわざわざ呼びつけるなんて、ルキはわたしに嫌がらせがしたいのだろうか。効果は覿面、カーテンの向こうの眩しさが視界の端に入るだけで気が滅入る思いだ。
「つーかなんでまだ寝てるんだよ」
「……なんでって、そりゃああんなに太陽が輝いているんだから、寝てるに決まってるじゃない」
「ハァ? 太陽が輝いてるからこそ、起きるんだろうが。オマエ、頭大丈夫かァ?」
「……ん? どういうこと?」
そこでユーマがしゃっと音をたてカーテンを開け放ったので、窓からは上ったばかりのぎらぎら輝く陽光が惜しみ無く取り入れられる事となった。わたしはぎゃっと短い息を吐き出して、ベッドの上で猫のように身体を丸める。布団を被ろうかと思ったのに、ユーマときたら床に投げ捨ててしまっていて、手が届かない。別に太陽を浴びた所で命が削られるわけでも灰になるわけでもないけれど、突然光の世界に放り出されると、目に染みる。
「……なにやってんだよ、オマエは」
「ま、まぶしい!」
「……。」
「……。」
「…………オイ、昨日の夜、なんか屋敷がごそごそ煩ェと思ったら、もしかしてオマエが犯人だったのか?」
「…………もしかして、そういうあなたたちは、なんだかやけに屋敷が静まり返ってると思ったら、眠っていたり?」
暫くしたら光にも目が慣れてきたので、恐る恐る顔を覆っていた手を外す。横たわるわたしを見下ろすユーマは何を当たり前の事を、という顔だ。ああ、わたしたちの会話の食い違いの原因が分かってきた。
どうやら彼らは、夜寝て昼間起きるタイプらしい。
「…………あなたたち、本当にヴァンパイアなんだよね?」
「ハッ、なんなら試してみるかァ?」
にい、と口角を吊り上げるユーマのくちびるの奥にはぎらりと鋭利な牙が覗き、窓からの陽光を反射して光っているようにも見えた。いくらお馬鹿の烙印を押されたわたしといえど、あれを見せつけられたら、彼らの種族が何であるかなんて判別するに十分だ。
「いい、いい、大丈夫。というか、どうして夜に眠っているのかの方を聞きたい」
「ハァ、さっきからごちゃごちゃうるせぇ女だなァ。居候のくせに文句ばっか一人前に言ってねぇで、大人しく従え。それがこの家のルールなんだからなァ」
ぐいっと腕を引かれ、ベッドから引きずり出された。わたしも居候の身だ、それがこの家のルールだというのなら従うけれど、それならそうと早く言っておいてほしい。おかげでわたしの睡眠時間は約一時間という短すぎるものになってしまった。持ち上げた頭が物凄く重くて頭がぼーっとする。ねむい。
まだよく屋敷の構造を覚えていなかったけれど、ユーマの導きによって迷うことなくダイニングに辿り着けた。無神家の兄弟が勢揃いしてすでに席についている。そしてテーブルには朝食の皿が並ぶ。昨晩と同じように、食事をしようとしているとしか思えない光景。
こうして揃って食事をする事もユーマのいうこの家のルールなのだろうか。逆巻家の晩餐会を彷彿とさせるルールに、どこかの誰かさんの顔がちらついた。
「あ、やっと起きてきた。もー、待ちくたびれちゃうかと思ったよ」
「全く、来た早々に寝坊をするとは、どんな神経をしているんだ」
「おはよう……凄いくまだね。ナマエさんは、朝が苦手なの?」
朝が弱いというかむしろこうして起きている事がまれというか。それからアズサも大概くまが酷いというか顔色が悪い。どうしても飛び出しそうになる欠伸を噛み殺して、口をひらく。
「……おはよう。素敵な朝だね、無神のみなさん」
ほら、あんなにきらっきら太陽が眩しくて、目眩がするくらい素敵な朝。
逆巻の兄弟も大概おかしかったけれど、この家の兄弟ももっとおかしな生活サイクルで過ごしているみたいだった。昼夜逆転したニンゲンそっくりの睡眠のとり方をしているみたいだし、ご飯は三食きっちり食べているみたいでわたしがリビングにやってきてからすぐに朝食が始まったし、そうそう、それから、やっぱりガッコウにも真面目に毎日通っているみたい。こんなおかしな事をさせる人物の心当たりはわたしには一人しかいないし、無神家の皆さんはその誰かさんを「あの人」と読んで慕っているみたいなので、納得ではあるけれど。
わたしは皿の上のベビーリーフをフォークの先で弄びながら、和やかな彼らの朝食の様子を眺めていた。
「で、エム猫ちゃんが……」
「だから、あの雌豚がよォ……」
どうやらわたしの知らぬ間にユイと彼らの間にはそれなりの関係が築き上げられているらしく、ユイの名前――いや、正しい名前が呼ばれる事はなかったけれど、ユイがよく話題に出てくる。聞き耳を立てつつフォークに突き刺したベビーリーフをしゃくりと一口。
無神家の朝食は、ベビーリーフのサラダにポタージュスープにクロワッサンにと、並ぶメニューは普通のものばかりだったけれど、一つ、食卓の中心の大皿に見たこともないような異様な雰囲気を放つ食べ物が鎮座している。地獄の釜を炙る炎をそのまま具現化したみたいな真っ赤な色をした謎の塊が、皿の上で沈黙を保っているのだ。ルキやコウやユーマはそれを視界にいれないように食事を進めているみたいだったから、美味しくないものなのかとも思ったけれど、隣に座るアズサだけはそれを自分の皿に取り分けてぱくぱくと口に運んではうっとりとしている。……美味しいのかな。
「ねえ、アズサ、ひとつ聞いていい?」
「……なに?」
「それって、何を食べているの?」
首を傾げていたアズサはわたしの問いにぱあっと顔を輝かせ、再び真っ赤な塊を口に運ぶ。
「チキンの唐辛子ソテーだよ」
「……トーガラシ?」
「そう、たくさんたくさん、唐辛子を使って、俺が作ったんだ……ふふ」
「へえ、アズサって料理が出来るんだ」
わたしの知る限りではチキンはあんな色をしていなかったと思うし、それじゃああの鮮やかな赤色は、唐辛子の色ということになる。アヤトの髪よりももっと赤いそれは見るからに辛そうだったけれど、アズサは平気な顔をしてもう一口チキンを頬張る。なんとも幸せそうな顔だ。
「……美味しいの?」
「うん、ナマエさんも食べる? 俺、取り分けてあげるよ」
「……うーん」
どうしたものか。ちらりとダイニングを見渡す。アズサ以外の兄弟は、やはりそれを無いもののように扱っている。触れるな危険、とばかりだ。しかし当のアズサ本人はにこにこしながら、また一口チキンを頬張って、恍惚とした顔。
「へえ、いいじゃん、食べたら。アズサくんの料理って、凄く美味しいんだよ? ねえユーマくん」
「おー、スパイシーで、すげぇうめぇんだぜ、ククッ」
「そうそう、きっときみの口に合うと思うよ?」
などと言って、話を聞いていたらしいコウとユーマがなにやらにやにやとした顔で、会話に参加してきた。美味しいんだとしたら、なぜ彼らは頑なに皿を見ようとしないのか。そしてなぜ半笑いなのか。暫く頭を悩ませてから、助けを求めるようにルキに視線を移すも、知らぬ存ぜぬという顔で優雅にスープを口に運んでいるだけで視線が合わさる事はない。
「……はい、これ、ナマエさんの分。食べたら感想、俺に……聞かせて?」
そうこうしているうちに、でん、と大きな赤い塊がわたしの皿の上に乗っかっていた。近くで見るとなんとも迫力のある、好奇心はそそられても食欲はそそられない色だ。隣からはアズサの期待に満ちた視線が注がれているし、前からはコウとユーマのにたにたとした視線。……ええい。思いきってフォークを突き刺し、口に運ぶ。
「………………!」
酷い目にあった。
口の中が火傷をおったみたいにひりひりと痛い。本気でこれを美味しいと思っているらしいアズサには悪いけれど、アズサお手製のチキンソテーはなんというか、そう、見た目通りの味だった。もうコウとユーマの言うことは信用しない、それだけがわたしが学習した事だ。それから、唐辛子は眠気覚ましにはいいかもしれないという事も。あんなに眠かったのに目はすっかり冴えている。
駆け込んだキッチンで大量の水を飲んでからわたしがダイニングに帰ってくると、無神兄弟はもう食事を終えていて、先程とは違う新たな話題を語りあっているようだった。
「大事な話をしている最中だというのに、何をしていたんだ、お前は。さっさと席につけ」
「……。」
何をしていたのかと問われたら、こう答えるしかない。水を飲んでいたんだ。
だとか、言いたい事は山ほどあったけれど、ルキが有無を言わせぬ顔でわたしの席を指し示していたので、とりあえずは大人しく席につく事にした。座るなり隣からアズサが「ねえ、どうだった?」と顔を輝かせて聞いてきたけれど、ごほんとルキが咳払いすれば、大人しくなった。
「それで、……大事な話って、何を話していたの?」
かえってきた返事はこの家のルールに関するものらしく、どうや無神家では自分達で出来ることは自分達でやろうという方針があるらしい。だから、アズサが自ら料理を作っていたのだろうか。それで、居候のわたしには何をさせるかという事を語り合っていたらしいのだ。
「どうせ役に立たねェんだろうから、オレたちの手伝いでもさせときゃいいだろ」
ユーマにばしっと背中を叩かれた。無神兄弟も逆巻兄弟に負けず劣らずのサディストだとは思っていたけれど、その上失礼なところまでそっくりである。
→畑仕事を手伝う
→風呂掃除を手伝う
→書庫の整理を手伝う
→食器片付けを手伝う
(※編集中)