というわけで、わたしの無神さんちでの愉快な居候生活の幕開けは、驚くほど唐突にやってきた。




 無神家の四兄弟は、いわばわたしにとっては敵という認識の存在だった。彼らは彼らで何となくわたしに思うところがあるみたいだし、当分は居心地が悪い思いを抱えながら過ごす事になりそうだけれど、居候という立場上多少の肩身の狭さは仕方がないだろう。今更「逆巻家に帰ります」だなんて、言い出せる筈もないのだし。
 それに、この無神家にも、わたしの事を受け入れてくれようとしているヴァンパイアが約一名いるようだ。

「ねえ、アズサ、いつまで付いてくる気……?」

 ――四男の無神アズサに、何故だかわたしはなつかれているらしいのだ。
 立ち止まり、振り向いた先には想像通りの顔があった。立ち止まったわたしときっちり人一人分程の距離をあけた位置で、アズサもぴたりと立ち止まる。にやにやとちょっとだけ気味の悪いような印象を受ける笑顔を浮かべていたけれど、わたしの“お兄ちゃん”たちがするような邪念に満ち溢れた悪い笑顔ではなく、どちらかといえばユイが浮かべるような純粋な笑顔を浮かべているように見える。右手にはバタフライナイフをぶら下げていて、それだけが異様な存在感を放っている。

「君が、部屋に帰るまでかな……」
「うわあ、なんでそんなところまで……。なんの為についてきてるの?」
「後でナマエさんにお願いをしようと思ってたんだけど、……さっきからぐるぐるぐるぐる同じ場所ばかり回ってるから、何をしてるのかなって考えていたんだ……」
「それはね、ルキに与えてもらった部屋に帰る道を忘れて困ってたんだよ」
「……ふうん。つまり、道に迷ってたんだ……」

 正しくその通りなのだけれど、ずばり言われると恥ずかしい。
 それは、無神さんちに誘拐もとい連れてきて頂いたわたしが、ダイニングで事のあらましを説明され、それから与えられた無神家での“わたしの部屋”に帰っている途中の出来事だった。
 無神家のながーい廊下を黙々と歩いていたわたしは、背後にぴったりと張り付くようにもうひとつ、自分以外の誰かの気配がついてきて、ついでに足音も重なって響いているのを感じていた。そろそろとした印象を受けるそれがアズサの足音であるということも何となく感づいていたわけだけれど。
 そんな事を考えながら歩いていたからか、すっかり道に迷って、困っていたところだ。

「ねえ、そんな風に付いてくるなら、ちょっと道案内頼まれてくれないかな。わたしの部屋まで連れていって欲しいな」

 自分の立つすぐ隣を指し、アズサに問いかける。後ろからぴったりと付けられるより、その方がよっぽどいい。

「うん……べつにいいけど……じゃあ、俺のお願い、かわりに聞いてくれる?」
「お願い? そういえばさっきも、お願いがあるって言ってたね」

 それってなあに、と首を傾げたら、アズサは再びにこにこと笑顔を形作り、右手に納めていたナイフを持ち上げた。そしてそれを、こちらに押し付けてくる。

「……俺に、これで傷をつけてほしいんだ。君ならしてくれるかなって、俺、君が目覚めるのをずっと楽しみにしていたんだよ……」
「…………傷、」

 にこにこと笑うアズサに、きょとりと瞬きをするわたし。隣に並んだわたしたちの間には、肩が触れるほど近くにいるというのに、随分な温度差があるらしい。
 そういえば、この無神アズサというヴァンパイアには、トクシュなセイテキシコー? セーヘキ? よく分からないけれど、そんな感じのものががあるらしいんだっけ、とかなんとか考えていたら、てのひらにナイフの柄が滑り込んできた。アズサがわたしに握らせたのだ。アズサはすがるような瞳でわたしを見据える。

「ねえ、いいでしょ……?」
「ええと、別にわたしが痛い思いをするわけじゃないし、アズサがそういうのが好きっていうなら、否定するつもりもないけれど……」
「ふふ……やっぱり、君なら分かってくれると思った……」
「でも、そんなことしたら痛くない?」
「なに言ってるの……? 痛いからいいんでしょ……?」
「ううん、痛いのが気持ちいいっていう究極の境地は、わたしにはちょっとよく分からないかな。どこかの誰かさんと違ってサディストって訳でもないから、こういう手段で責めるっていうのは抵抗もあるし……」
「……抵抗?」
「そう。だから、今回は遠慮しとく」

 アズサの手にナイフを返したら、みるみるうちに残念そうな表情になっていった。それに少しだけ申し訳ないと感じてしまう感性も、わたしは持ち合わせているようだったけれど、だからといって他人を傷付けて平然としていれるような感性は、やはり無いようだ。妖魔がそんな性格の存在ばかりだったら、今ごろ魔界が滅びているだろうし。
 アズサに道案内を頼むのは断念し、再び迷路のような廊下を進みだしたわたしの背中に、アズサも再びぴったりと貼り付きながら、わたしが漸く部屋を見つけて中に閉じ籠るまでの間ずーっと「お願い」だとかなんとか言っていた。その様子たるや親鳥の後を付け回す雛鳥といった感じ。
 ――やっぱりわたしは四男になつかれているみたいだ。主に有り難くない方向でだけれど。




 わたしが受けた印象だけで語ると、無神家の皆さんは逆巻家の皆さんよりも何処かニンゲン的というか、話が通じる部分もあるみたいだった。
 廊下をアズサから逃げるようにして歩いている途中で出会ったユーマは、両手一杯に抱えていた野菜が入った籠の中からトマトを一つ取り出して、わたしにくれたし。何時間かまえ、部屋のドアがノックされたと思ったら、「暇だから遊んであげようか」とコウが訪ねてきた。だから、致命的に嫌われているってわけでもないみたい。
 いつも使ってる日記帳はもちろん逆巻家のわたしの部屋に置いてきてしまったけれど、ルキに言ったら新しいノートをくれたから、こうして日記もつけられる。
 そんなこんなで、与えられた部屋で、新しい日記帳に向かいながら、これからの生活についてのあれこれ考えている。
 時刻が深夜を回ると、無神家の屋敷は先程までの騒がしさが嘘のようにしん、と静まり返り始める。静寂に包まれると、自分が世界から取り残されたかのような感覚に陥ってしまう。時の流れが急に緩やかになったような気がする。長く感じる時間、暫く自分の身の振り方について考えて、考えて、考えて。
 考えてどうにかなる問題じゃないという結論に至るまでは結構な時間を要したらしく、これまたわたしの敵といっても過言ではない太陽が空を支配する時間になっていた。

「……もう、寝よう」

 これから暫くこの家で過ごす事になるのだし、時間をかけて答えを探していけばいいんだから。と、いうことで、わたしは新しいベッドでの初めての眠りについたのでした。おしまい。

20140127

   
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