「う、うーん」

 ごろりと隣で誰かが寝返りをうった事で目が覚めた。目蓋をのろのろと持ち上げて確認する。窓の外はまだ真っ昼間。すうすうと寝息をたてるユイの顔がシーツの合間に飲み込まれかけている。
 リムジン事故があったあの日から、無神の名をもつ四人の転入生がにわかにユイの周りに顔を出すようになった。わたしたちは全員で仲良くユイの事を守るという――兄弟たちは頑なに守るではなく見張っているだけだという主張を続けているけれど、とにかく、そんな協定を結んだ。そんなわけで近頃はユイを“見張る”という名目の元、彼女と同じ部屋で過ごす時間が多くなった。
 あれほど繰り返し見ていた悪夢も、隣で誰かが寝ていると、見なくなったのだから不思議なものだ。隣で眠るユイの体は暖かくて、熱を発する事のないわたしみたいな存在には酷く心地がよい。落とされた目蓋にかかる柔らかい髪の毛をかきあげてあげる。少しだけ触れた指先は温度を感じとり、それはやはり酷く尊いものに感じた。

「……。」

 わたしは非力かもしれないけれど、やっぱりわたしは、彼女を守らなければならないという気持ちが強くなっていった。彼女を狙う存在がいるかもしれないと知ってから、彼女が実際襲われてからは、特にだ。あの日のようになにも知らない間に危険な目に合われたらたまらない。それは、身勝手でひとりよがりの“友情”だった。きっとわたしは、わたしの信じた『愛』の証明のために、優しい“オトモダチ”を利用しようとしているのだから。パパとママの愛を見失った今、わたしのてのひらに乗っかっている愛は、ユイへの友情だけだった。
 件の転入生の付け入る隙がないように、ユイの後を金魚の糞の如くつけ回す毎日。そんなわたしの事を、ユイはどう思っているだろう。心の中では気持ち悪いと眉をしかめているかもしれない。馬鹿だと指を指しているかもしれない。

「……ナマエちゃん……」

 ごろり、再び寝返りをうち、ユイの後頭部だけが視界に入るようになる。寝言だろうか、小さく吐き出すように、消え入りそうな声で、名前を呼ばれた。暫くユイの柔らかそうな髪の毛を眺めていると、静寂の室内に、再び彼女の声が響き渡る。

「……無理は、しないで」
「……え?」
「……気持ちはすごく嬉しいけど、私は心配だよ。今のナマエちゃんの私に対するそれは、きっとね」

 ――依存だと思うから。
 ユイの寝言だったのか、寝惚けていたのか、それとも本当は起きていたのか、はたまたわたしの自覚が生んだ幻聴か。それを確認するような勇気はなくて、わたしはじっと硬直して、彼女の髪の毛の緩やかな流ればかりを見つめていた。少しすればまた、すうすうと寝息が聞こえてくる。それが演技なのかすらも、わたしには分からない。

「……ごめん。それでも、わたしは」

 ユイはもう、寝言を返してはくれなかった。











「ねえねえ、きみさ」

 今日の退屈な授業がようやく終わったので、ユイとアヤトのクラスの教室に向かっている途中だった。背後から妙に明るい声が投げ掛けられた。振り向いたら、きらきらと煌めく作り物のように綺麗なブロンドが目に飛び込んでくる。透き通るようなブルーアイズ、人形のような端正な顔立ちの男子生徒。何処にも欠点が見当たらないような顔をずいっと近付けて、彼はわたしを覗きこみ、じろじろと眺めている。

「なあに、わたし今急いでいるんだけど」
「そんなつれない事いわなくてもいいじゃん。きみさ、すっごーくいい香りがするよね」

 にこにこと笑いながら、更に距離を詰めるお人形の顔、その長い睫毛からすうっと通った鼻筋、計算され尽くした完璧な弧を描くくちびるに至るまで、何処かで見覚えがある気がした。確かあれは、クラスメイトの女の子が持っていたファッション雑誌だ。これと同じ顔が妙なポーズを決めながら、この計算で作り上げられた美しい笑顔を浮かべていた。

「どこから香ってくるのかなー。この甘い香り、エム猫ちゃんの香りなんだよね」
「……あなた、もしかして“無神コウ”、じゃない?」

 くんくんと、わたしのにおいを嗅ぎ回っている彼に、問いかける。無神コウ、無神の名を持つ四人の転入生、ユイを狙うヴァンパイアの一員。わたしは彼に初めて会ったけれど、彼は最近この学園中の話題の的だ。ニンゲン界で有名なアイドルだって。
 コウはその睫毛の生え揃った瞳の片側をくりくりと見開いて、大袈裟に驚いてみせる。

「わーお、これはびっくり。エム猫ちゃんはおれの事知らないみたいだったのに、きみはおれの事知ってるんだね?」

 ここでわたしは彼が先程から言っている、エム猫ちゃんというのは多分、ユイの事なんだろうという事に思い当たる。ユイの血は、とても甘い香りがする。近頃慣れては来たけれど、それでもたまにくらくらしてしまうような、そんな濃密な香りを常に放っている。多くの時間を共にしているのだから、多少匂いが移っていてもおかしくはないはずだ。ヴァンパイアっていうのはまったく、変な呼び名をつけるのが好きな生き物だ。

「無神コウ、あなたの事、最近雑誌で見たよ」
「へえ、そうは見えないけど、雑誌買ってくれてるんだ。ふふっ、ファンは大切にしなくちゃね」

 ありがとう嬉しいよ、と完璧な笑みで手を握られる。こういうことには慣れているといった滑らかな手付きだった。コウは握った手すらも作り物みたいに綺麗な形をしていて、すべすべとしていた。加えてこの人懐っこさときたら、アイドルとかいうもので、ニンゲンたち――わたしのクラスメイトの女子たちがきゃーきゃー黄色い悲鳴をあげていたのも頷けるというものだ。

「で、なにか用事? ユイならここにはいないし、ユイにはあなたたちの所に行く意思もないみたいだよ。出来ればもう、付きまとうのはやめて欲しい」
「違う違う、エム猫ちゃんに用があるなら直接そっちに会いに行くよ。今日用があるのはきーみ」
「わたし?」

 用事をつけられるような覚えはない。

「そう、きみは体にエム猫ちゃんのいい香りをまとってるけど、おれもね、いい香りのするものをもってるんだ。それを、ちょっと嗅いでみて欲しいんだよね」

 無神コウは制服のポケットにすらりと整った手を突っ込むと、ハンカチを取り出した。途端に空気中には吐き気がするような刺激臭が広がった。コウがハンカチをわたしの口許に押し付けようとするので、咄嗟に身をかわそうとする。が、行動を先読みされていたらしく、もう一方の手でがっと肩を抱き寄せられ、ハンカチを鼻先から口許にかけて、ぎゅっと押し付けられた。想像通りハンカチには何かの薬物が吸わされていたらしく、思わず息を吸い込むとおかしな香りも一緒になって鼻腔を通過し、肺に忍び込んできて、一瞬くらりと意識が遠退いた。

「……っ」
「いい子だからそのままお寝んねしてね」

 後ろから肩を抱くコウが、暗示をかけるように耳許で囁いた。それに素直に従ってやるのは非常に悔しかったので、遠くに見える景色を意地で手繰り寄せ何とか持ち直すと、わたしはコウの腕のなかじたばたと暴れだす。

「あ、こら、暴れないでってば」
「……っ、そういって大人しくなるのは馬鹿だけ……!」
「あ〜あ、行けると思ったけどやっぱり駄目か。流石、逆巻くんちの子には、人間用の薬なんか効かないんだね。やんなっちゃうよ」
「離して、わたしを襲う意味が分からない」

 じたばたと暴れながら、か弱いニンゲンの女の子のように周囲に助けを求めようとするものの、廊下を見回してみても、こんな時に限って人っ子一人居ないのだから本当に間が悪い。

「意味ってそんなの、ルキくんの命令だよ。きみを連れていかないとおれが怒られるし」
「そんなの、わたしの知ったことじゃ――」
「あーもう、おれは暴れるなって言ってんのに、きみは馬鹿なの? なんか面倒臭くなってきた。ねえ、ユーマくん」

 やっとで一人廊下の向こうからニンゲンが歩いてきたと思ったら、それは無神家の仲間だったらしく、その大きな体にわたしも見覚えがある。やはり彼も、無神家の一員だったのだ。

「あなた、あの時の、花壇の……!」
「よお、また会ったな逆巻妹ォ。悪く思うなよ。こっちもやりたくてやってる訳じゃねーんだ」
「……っ」

 どすりと腹に重い衝撃が走り、その衝撃は一瞬にして全身に広がって、わたしの体の正常な働きの一切を奪い去ってゆく。訳も分からないまま、目の前が真っ暗になった。

20131108

   
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