鏡を覗き込んだそこには、知らない誰かが映し出されている。それはわたしであってわたしではない。にいっと口の端を吊り上げてみれば、その隙間から、ぎらりと尖る鋭利な“凶器”が顔を覗かせる。それに気が付いたのはいつからだろう。見ないふりをしてきたから分からないし、わたしはきっとこれからも見ないふりを続けてゆくだろう。それはわたしのものであって、わたしのものではないのだから。鏡を覗く度、刃を研ぐように磨き上げられてゆくそれを、わたしは認める訳にはいかないのだ。認めてしまえば、わたしは自分が自分であった証明を失ってしまう。






「なあチチナシ。ナマエのやつ、なーんか最近おかしくね?」
「うん。お父さんに会いに行くって言って、お城から帰ってきた日からなんだかちょっと様子がおかしいよね」

 ダイニングにて。誰も居ないのをいいことにマントルピースの上の大鏡を覗き込んで自分の世界に入っていたわたしは、背後で囁かれる声で我に帰り、ユイとアヤトの二人が入ってきていた事を知った。ユイはこそこそとアヤトの耳元で囁いていたけれど、それくらいの音量ならば聞き取れる聴覚をもっているし、アヤトはそもそも隠そうとすらしていない。
 ゆっくりと二人の方を振り返る。

「なんだ、二人とも、いたんだ?」
「よお、ナマエ。鏡なんか覗きこんでさ、ついにナルシストごっこでも始めたか?」
「素敵じゃない、ナルシストごっこ。アヤトも一緒にいかが?」
「けっ、誰がやるかよ。カナトとでもやってろ」

 やれやれといった具合で頭をかきながら、アヤトはダイニングを後にする。取り残されたわたしとユイは暫く見つめあっていた。こちらを見つめるユイは何かを言いたそうな、思案顔だ。

「おかえり、ユイ。アヤトと買い物にでも出掛けていたの?」
「あ、うん。ねえ、ナマエちゃん」
「なあに?」

 ユイは手に下げた持ち手のついた白い箱を胸の前に掲げると、首を傾げた。

「お菓子、買ってきたんだ。二人でお茶にしない?」







 カナトがいつもずらりと並べている量から比べると非常に慎ましやかな量の菓子をダイニングテーブルに並べ、ユイの淹れてくれた紅茶を二つの席にセッティングすれば、即席ティーパーティー会場の完成だ。逆巻気の広すぎるテーブルと菓子の量がアンバランスだった。
 やわらかな蒸気を立ち上らせるティーカップを見下ろしながら、わたしとユイは肩を並べている。甘いお菓子をつまんで美味しい紅茶を口にする。クリームのたっぷりのったフォークを口に運ぶユイの顔はこの世には辛いことなんて何もないと言うような顔で、こっちまで幸せな気分になっちゃいそう。

「ユイ、くちびるの端にクリームついてる」
「え、わ、本当だ……!」

 恥ずかしい、といって慌ててくちびるを拭っている姿はまるで可愛らしい小動物のようだ。なんだか酷く脱力してしまい、胸の中に渦巻いていた憂鬱な気分が解れてしまったような気がするのだから、わたしの悩みなんて大した事ないものかもしれない。

「ユイはほんとに、いつもどおりだよね」
「? どういうこと?」
「そのままの意味だよ」

 わたしはふふっと笑って、皿に乗ったオレンジ色のクッキーをひとつ摘まむ。じんわりと甘い砂糖の味とバターの風味豊かな香り、それから仄かにかぼちゃの味がするから、パンプキンクッキーなのかもしれない。なんだか暖かな気分になる味だなあと思った。頬が緩む。

「……よかった」
「え?」
「ナマエちゃん、最近ずっと難しい顔していたから。そうやって笑ってる顔が見られて、安心した」
「……ユイ」

 だからユイは、お菓子を買ってきてくれたのだろうか。彼女はいつもこの調子だ。自分も随分大変な境遇にいるくせに、いつも周りのこと、彼女を大変な境遇に追い込んでいる張本人のあの兄弟の事ですら放っておけないって具合に気遣いを分け与える。だからこそあの兄弟ですら、ユイにはなついているのだけれど。彼女は居心地がいい空間を作るのが、とても上手い。

「実はナマエちゃんが食べているそのかぼちゃのクッキー」

 さくりともう一口クッキーをかじっていると、ユイが言う。

「ナマエちゃんから貰った南瓜で作ったんだ」
「……ユイの手作り?」

 うん、と照れ臭そうに頷くユイ。実は謎の転入生に貰った野菜――トマトはそのまま食べられるからいいものの、南瓜の調理はわたしには出来そうもなかったので、ユイにプレゼントしていたんだった。それをお菓子にしてしまうとは、なんという女子力の高さ。

「へえ、すごくおいしいよ、ありがとうユイ」
「よかった」

 さくりともう一口。わたしのぺこぺこの体にそれは吸収される筈もないのだけれど、やっぱりお腹の底が暖かいような心地になる。

「ねえナマエちゃん、何があったのか分からないけど、一人で抱えきれない荷物は、皆で分けたほうが楽だよ。私はいつでも話を聞くからね」

 にこり、天使の笑顔を浮かべるわたしの“オトモダチ”の眩しさに、目を細めた。眩しすぎて、少しだけ目を反らしてしまう。わたしの見つけた「愛」は、もしかしたら彼女のこの笑顔を守る事で、守られるのかもしれない。そんな事を思った。

20131107

   
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -