近頃のわたしはあれだった。
 まるであの逆巻シュウみたいな怠惰な日々を過ごしている。何事にもやる気が出なくて、何をしていても何となく満たされないといった感じ。まさにレイジの言うところの穀潰し状態。どうしてこうなってしまったのかなら知っている。城から帰ってきてこの方、ずっとこんな感じだった。
 今日だって登校したはいいものの、どうもやる気が出なくて、いつにも増して退屈に感じる授業をエスケープして、誰もいない裏庭をのろのろと歩いていたりする。裏庭は最近見つけた素敵なサボりポイントだった。

「……いたっ」

 それに加えて、最近どうも運もわたしから逃げているようで、何となく、不幸な事ばかり身にふりかかってくる気がする。転がる石か何かを踏みつけたらしく、わたしは盛大に地面に体を打ち付けた。つまり、転んでしまった。砂の上で見事にスライドを決めた膝がじんじん言っている。本当に最近ついていない。ただの注意力散漫だなんて、ツッコミはいれないように。

「……角砂糖?」

 むくりと起き上がってわたしを地面に転がした憎き元凶を睨み付けたら、それは石ではなかったみたいで、つるつると光る、てのひらに乗っかるような大きさの瓶が転がっているのが見えた。拾い上げ、中を覗き込む。瓶の中には、角砂糖がぎっしりとつまっている。

「なんでこんなものがここに」

 ガッコウの裏庭で、角砂糖の入った瓶を落とす確率を考えてみても、極めて低いもののような気がするけれど、なんにせよ本当に落ちていたのだから仕方がない。わたしは裏庭をぐるりと見渡した。拾ったからには落とし主を探さなければならないような気がしてくる、妙な使命感からだった。とはいえわたしはサボり中で、それなりに真面目な生徒ならば今は黒板とセンセイに真剣に向かい合っている事だろう。素敵なサボりポイントである裏庭には、今日も人影は無さそうだった。
 ――いや、ひとり、花壇の前で踞っている男子生徒がいるようだ。彼は踞った背中の広さでもわかる、ニホンジンにしては珍しい、大きな体の持ち主にみえる。三年生だろうか。

「ねえ、君」
「あぁ?」
「この瓶、そこで拾ったんだけれど、見覚えは?」

 とりあえず不真面目な生徒は彼とわたし以外にはいなさそうだったので、花壇に向かい何やらごそごそとやっている彼に接触した。背後に立つわたしに振り向いた彼は、わたしが手中に納める瓶を見て、目を大きく見開いた。ばっと立ち上がり、ぺたぺたと自分の制服のポケットを上から叩いて確認。暫しの間。そしてぎろりと睨まれる。

「オレのシュガーちゃん!」
「シュガーちゃん?」

 その立派な体躯と眼光に似合わない言葉にぽかんとしている隙に、がっと瓶が奪い取られた。彼は蓋を空け、中を覗きこみ、ひいふうみいと数を数え始める。

「なんだかよく分からないけど、落とし主が見つかったみたいでよかった」
「チッ、オレとした事が可愛いシュガーちゃんが拐われてた事にも気づかねーとはな。おい、テメー」
「ん?」

 彼は、もしかしたら勘違いをしているのかもしれない。親切にも落とし物を拾ってあげただけのわたしに向かい、眉間に深い皺を刻み付けた彼は、ずんずんと迫ってきた。相手はニンゲンなので恐くは無いけれど、背後に物凄い怨念みたいなものを発していたので、思わずじりじりと後ずさる。なんでニンゲン相手に怯んでやらねばならないのか。やがて校舎の壁に背中がぶつかり、逃げ場が無くなってしまった。

「ひとのもの盗むたあ、いい度胸してやがんな、おい」
「いやいや、それは誤解だからね」

 まあ、ちょっと瓶は踏みつけちゃったかもしれないけど、わたしは全面的に悪くない。むしろ被害者だ。被害を被りながらも持ち主を探してあげたわたしに、彼は感謝して然るべきだと思うけれど。

「誤解、だァ? 頭の悪ィ女は皆そうやって分かりやすい嘘をつくんだよな」
「嘘じゃないのに。それ、落ちていたんだよ。拾ってあげたんだから感謝してほしいくらいなんだけどな」
「はーん」

 たん、と彼の大きな手が顔の横に置かれ、猜疑を剥き出しにした顔がぐっと迫ってきた。こうして覆い被さられると、わたしと彼の体格差が顕著になり、まるで熊にでも襲われている気分だった。それから首に鼻先を押し付けられ、くんくんと匂いを嗅がれる。

「……なにをしているの?」
「まだどっかにシュガーちゃん隠してるかもしんねぇだろ。探してんだよ」
「で、そのシュガーちゃんは見つかりそう?」

 そのまま彼の鼻先が首筋を上から下に伝い、胸元やうなじなんや至るところの匂いを嗅いでいった。肌を掠める彼の息は少しくすぐったいけれど、実害が無さそうなので彼の気が済むまで放っておく事にする。

「どこにも隠してねぇみてーだな」
「冤罪だとわかってもらえたみたいでよかった」
「チッ、紛らわしい真似しやがって」
「……この国の法律では、拾い主は落とし物の一割をもらう権利を与えられるらしけど?」
「あぁん? 調子に乗んなよ、オマエなんかにシュガーちゃんはやらねぇぞ!」
「それは残念」

 大事な大事な“シュガーちゃん”をポケットに滑り込ませると、壁についていた手をようやく外した彼。彼の制服は端から見て分かるほどに膨らんでいて、それの中身が角砂糖なのかと思ったらちょっとおかしい。
 さて、そろそろわたしはこの場を去って、誰もいない新たなサボりポイントの探索に行きたいのだけれど、困った事にまだ校舎の壁にくっつけていた背中を剥がせないでいる。相変わらず目前に壁のような男の巨体が立ちはだかっていたからである。じとり、と、舐めるような目付きでこちらを上から下まで眺めていた彼は、ふいに乱暴な手付きでわたしの片足を掴むと、ぐいっと上に持ち上げた。バランスを崩し倒れ込みそうになるのを、背中の壁に支えてもらう事で何とか踏みとどまって、目をぱちくりさせる。彼は先程まで体を嗅ぎ回していた鼻先を、今度は持ち上げた膝頭に押し付けて、ぺろりと舌舐めずりをしていた。

「かわりに、さっきからぷんぷん匂ってるここを舐めてやろうか」
「……へ? ちょっと、なにそのわたしが臭いみたいな言い方、やめてよ」

 先程から膝がずきずきすると思っていたら、擦りむいていたのか。膝頭には血がじんわりと滲んでいた。彼が赤くなった場所を食い入るように見つめたり、匂いを嗅いだりしている。におうとは失礼な。

「本当の事だろ、ぷんぷん匂ぜぇ、ほら」
「失礼な。舐めるのがお礼のかわりなんて随分じゃない」
「だってよぉ、オマエ、欲求不満の雌豚の顔してんぜ? 物欲しそうな顔しやがって」

 膝に顔を埋める彼に、上目使いにじろりと見上げられ、ぎくり、と心臓が掴まれたみたいな心地になった。言葉に窮し、汗が滲み出てくる。実は最近、“食事”の方も控えている。体の奥の魔力はからからで、お腹と背中がくっついてしまいそうなのに、どうしてもそんな気分にはなれないのだ。そんな筈は無いのに、彼にはそれを、見透かされてしまったみたいだった。ガッコウで食事をするのは控えようという自分ルールを決めていたんだけど、こうなったら彼で食事をとってやろうかとも思ったけれど、駄目だ、やはり、近頃全くやる気が出ない。食欲すら沸かないようだ。

「別にそんな事いいから、離してよ」

 脚に力を込めて、彼の腕を振りほどこうと試みるが、逞しい腕はびくとも動かなかった。ニンゲンの男を振りほどくくらいの力なら残っていると思っていたけれど、わたしはそんなにも、衰弱していたのか。ずるりとスカートがずり落ちて、太股をさらけ出す結果に終わっただけだった。

「ハッ、いい格好だなァ? 無駄な抵抗だと分かったら、オラ、大人しくしとけよ……っと」

 膝に浮かぶ赤色を眺めていた彼がついに行動を起こした。大きな口で膝頭全てを飲み込むように豪快に口に含まれる。べろべろと、その中で何回か傷口を舐められているような、痛いようなむず痒いような感覚が、足から這い上がってくる。居心地の悪さに硬直していると、彼は直ぐに膝から顔を離し、ぺっと地面に唾を吐き捨てた。

「チッ、なんだよこれ、じゃりじゃりして気持ちわりィな」
「そりゃそうでしょ、さっき転んだんだから」

 君のシュガーちゃんのせいでね、とは言わないでおいた。


 それから彼は興味を無くしたみたいで、「あー、もう、やめだやめだ」などと喚きながら、再び元居た位置、花壇の前に戻っていった。踞って何やら作業を開始する。わたしは彼の背後から花壇を覗き込んだ。花壇には青々と茂る植物がところせましと並んでいたけれど、それは本来花壇に並ぶべき花には到底見えない。

「……野菜?」

 支柱を立てたり、網を被せたり、花壇の僅かなスペースには何だか随分本格的な菜園が作り上げられているように見える。赤や緑の実をつけているものまでも伺えるではないか。そして彼が先程から、花壇の前で何をごそごそとやっていたかといえば、その野菜らしき植物を愛しそうに撫でたり、スコップで土を弄ったりしていたわけだ。

「もしかして、その野菜って君が?」
「おうよ」
「園芸部のひとだったんだ」
 授業をサボって部活動とは、真面目なんだか不真面目なんだかよく分からない。
「エンゲーブ? ちっげぇよ、今度このガッコーに転入するんだけどよー、下見に来たはいいが花壇がなってねーのなんのって。仕方ねえから俺がこうして手入れしてるってワケよ」

 彼は面倒そうに言っていたけれど、青い葉を撫でるその指先は優しげ。確かに裏庭の花壇は場所も場所なので、予てより手入れの行き届きにくい場所だった。それで野菜を植えてしまうのはどうかと思うけど、この立派な菜園は素直に感心する。

「へえ、見たこと無い顔だと思ったら転入生なんだ。こんなに立派な野菜畑が出来るなんて凄いね、君」
「正確にはまだ転入はしてねぇけどな。植物はよ、こうしてちゃーんと手入れしてやらねぇとすぐ駄目になっちまうからな」

 しみじみと頷きながら、生ったミニトマトに手を伸ばし、それをひとつもぎ取った。彼の大きな手の中で、トマトはつやりと輝きを放つ。そこで忙しなく両手を動かし続けていた彼の手がぴたりと止まる。立ち上がりこちらに振り向いた彼の手には、ミニトマト。

「おら、食え」
「……んぐっ!」
「やるよ、シュガーちゃんの礼だ。これで貸し借りちゃらだろ」

 突如として突っ込まれたトマトが、口の中でぷちりと弾け、甘酸っぱい味が舌に広がっていった。突然の出来事とはいえ口の中のそれが想像以上においしかったので、素直に咀嚼する。

「……おいしい」

 トマトを口にしてもわたしの糧にはなるはずもないのに、何故だか体にじんわりと広がってゆくような味がした。彼はにやりとくちびるを吊り上げて、うめぇだろ、と満足そうな顔をする。彼は随分野菜の事を大切にしているようだから、初対面のわたしにこうも簡単にそれを分け与えてくれるだなんて、少し意外だ。まあ、“シュガーちゃん”の事も同じく大切にしているようなので、そのせいかもしれないけれど。

「これと、それからこれもやるよ」
「いいの?」
「いいから勿体ぶらずに受け取っておけよ。このユーマ様の野菜が貰えるなんて、せいぜい泣いて有り難がれよ。なあ、逆巻妹ォ」

 おや、と思い瞬きをした瞬間に、ずいっと顔面にトマトと南瓜を押し付けられて、視界が遮られる。息を吸うと鼻腔いっぱいに野菜の青々とした香りが広がった。なんとかそれを受け取り、視界をクリアにした頃には、彼はもうすでに地面にちらけていたバケツやスコップなんかの園芸用品を片して、歩き去っているところだった。

「ねぇ、これ、ありがとう」

 両手のトマトと南瓜を掲げて、遠ざかる背中に語りかける。おー、と間の抜けたような調子でバケツを下げた手を持ち上げる彼。彼の歩みに合わせて、バケツがゆらゆらと揺れていた。
 何でわたしが逆巻家の者だって知っていたんだろうか、彼は。答えは簡単。ついに転入前の転入生の耳に届くほど、逆巻兄弟の悪名がとどろいてしまったらしい。

20131112

   
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