拷問の歴史というのは長く、わたしたち妖魔の歴史は勿論のこと、ニンゲンの歴史にすら随分と昔からその足跡をのこしている。中には勘違いや理不尽な言い掛かりによって無意味に痛め付けられた者も、少なくはない。中世、魔女狩りに合いふいの拷問にさらされた彼女たちは、もしかしたら今のわたしと同じ気持ちでお腹を満たしていたかもしれない。


「…………いたい」


 独特の臭気で満たされた部屋で、鎖と手錠によって壁にくくりつけられていた。わたしの知識の中でこんなふうに脳みその奥を泡立てるような臭いを発する物体とといえば、錆びた鉄か乾いた大量の血くらいのもので、目眩がする。


「それはそうでしょう。痛くなければ意味がないのですから」
「……なんでこんな部屋があるんだか」


 地下に続く階段を経て連れてこられた一室。広い石造りの空間に散乱する拷問器具の数々と、肺が空気を欲するたびに鼻腔にひろがる生臭さから、どんな用途の為に取られた部屋なのかなんて事は嫌というほどわかる。ヴァンパイアの屋敷にそういった部屋がある事も特には不思議に思わないけれど、わたしの唇が自然に尖っていくのも仕方のない事だ。
 左の口角だけを器用に吊り上げた目の前のヴァンパイアのその表情も、その後ろで愉快にショーを鑑賞している三つの影だって、もはや見飽きてきたのだから。
 リビングにいた頃との変化といえば、几帳面さを纏ったような白い手袋の眼鏡のその両手に、黒光りする鞭が握られてるって事くらい。まるで蛇のようにしならせながら、ぎりぎりと音を鳴らす。全くもって嫌になる。


「おや、私たちはまだなにもしていませんよ。そんな辟易とした顔をなさらないで下さい」
「するなってほうが無理な話だとは思わない?」
「さあ。少なくとも女性はそんな醜い顔をするものではないと思いますがね」
「誰がさせてるんだか」


 醜いって言われる程には酷い顔はしてないと思うのだけれど。こっそり溜め息を吐き出そうと思ったら、この世の憂鬱全てを詰め込んだみたいな深い息がこぼれ落ちて自分でも驚いたくらい。


「なんですかそのため息は」
「べつに」


 ふんと顔を背ける。視線の先では壁に唯一備え付けられた光源、蝋燭の炎がまるでわたしの憂鬱を表すかのようにゆらゆら藻掻いている。炎すらもあんなに必死になっているのに、わたしときたらとっくに戦意を喪失してご覧の有り様だ。
 少し、抵抗してやろうか。
 試しに少しだけ身動ぎをしてみたら、じゃらじゃらと鎖と石とがすれあう音がして、手首にぐいぐいと手錠が食い込んできた。冷たくて硬い、鉄の感触。
 壁から伸びる鎖の先の手錠に繋がれたのは、少しだけ前の話。足は宙に浮いていて、ほんとうに絶妙な位置で地面には届かない。全体重を支えているのは手錠のみといった具合で、手首から先は既に鬱血し始めている。
 これは正直かなり痛い。普段ならば眉間にタイルの隙間みたいな深い溝を刻み込んで呻き声をあげたいところだけれど、それは余りにも悔しいのでなんとか踏みとどまって努めて清ました顔はしているものの。もう外では太陽が顔をだしているのか、力が沸いてこない。宙に浮いて痛みを軽減する事も出来ないし。この閉鎖された地下室では、外の様子なんか分かんないけど。




「……さて。とりあえずこうして捕らえた訳ですが、どうしましょうかね。貴女の処遇は」
「知らない、好きにしたらいい」
「ほう、いいんですか?」
「……」


 本当に好きにされたら確実によろしくない事態に展開してゆくだろう現状をどうしたものか。ゆらゆらと炎を瞳に映しながら、脳みそをフル回転させる。
 先刻の痛みと引き換えに得た情報といえば、どうやらこの手錠はニンゲンを捕らえる事だけを前提として製造された既製品だろうという事くらい。
 これくらいの強度ならばわたしの力でも十分に引きちぎる事が出来そうだけれど、問題は蝋燭から視線を前に戻したら、ぎらぎら光る8つのモンスターの目玉と、目があってしまうという事にある。上手く手錠を破壊して一時的な自由を手に入れたところで、彼らの監視の中では意味がない。すぐに捕らえられてしまうようなものを、本物の自由とは呼べないのだから。
 何か、隙を作れれば。
 手錠を壊すのに0.5秒。
 扉まで逃げるのに3秒。
 最低でも3.5秒程の隙が出来れば今度こそ逃げられるかもしれないのに。
 一人ならまだしも、四人ものヴァンパイアが一度にそんな隙を見せるような方法なんかわたしの不出来な脳みそではどうあっても見つからなくて、ぼこぼこ音をたてて頭が沸騰しそう。


「逃げる算段をつけてるところ申し訳ないのですが、おっしゃる通り好きにさせて頂きます」


 眼鏡のヴァンパイアの声がわたしの思考を遮る。やけに丁寧な声色とは裏腹に、どうでもいいものや軽蔑したものを見下すような、ぞんざいな視線が絡み付く。手元の鞭が蝋燭の炎を反射して怪しく光るもんだから、嫌でも目を奪われる。



 それから彼は後ろで控えていた三人と何やら目配せしあい視線だけで相談事を始めたようだった。じりじりした気持ちでそれを見詰めていたのは一瞬、すぐに四人の中から一人がわたしの方へと向き直る。
 そしてお得意の瞬間移動を披露して、いつの間にかわたしのすぐ前目と鼻の先に移動してきた。

そこには、







にやにやしてるヴァンパイアの姿が。

偉そうに見下ろすヴァンパイアの姿が。




大きな瞳で見上げてくるヴァンパイアの姿が。

眼鏡を押し上げるヴァンパイアの姿が。

※↑編集中

   
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