「サキュバスちゃんにはー、このセクシーなドレスが似合うと思うな。ビッチちゃんのドレスは、こっちのキュートなドレスって決まってるから」
「普通に考えてどっちも布面積がおかしいんだけど」


 ライトが何処からともなく持ってきた色んな部分が剥き出しなドレスがどれ程酷い物だったかなんて事は、とてもわたしの口からは言えないけれど、とりあえず、わたしもユイもそんなものを着る筈がなかったって事だけはお伝えしておきたい。
 そんなわけで今日はカールハインツ主催の舞踏会当日だ。
 レイジに散々躾られたわたしは出来るだけ上品な佇まいに見えるようぴんと背筋を伸ばし、ダンスホールの隅の方で突っ立っていた。三拍子のゆったりとしたリズムが流れる優雅なその空間を何処か他人事のような気持ちで眺めている。ホールを照らし出すシャンデリアの輝きのなんと優美な事か。ぴかぴかに磨きあげられた床と、リズムに身を任せる会場の美女たちの艶めかしいドレスに光が反射しきらきらと瞬いて、まるでスパンコールを敷き詰めたみたいな幻想的な空間。ここにいる全ての者がヴァンパイアだって事が信じられない程に流麗とした時が流れ、なんだかそれは毒毒しくすらも感じる。レイジに言われるままにわたしも一応は着飾ってはきた訳だけど、酷く場違いのような気がしてきた。
 “お兄ちゃん”たちは城につく早々、ある者は絶好のサボりポイントを求めさ迷い歩き、ある者はこの会場唯一のニンゲンのユイの血を巡って争いを始めたりしたので、わたしはすっかりはぐれてしまっていた。わたしもユイの事を追いかけた方がいいかとも考えたけれど、この人――いや、ヴァンパイアの多さではそれも難しい。兄弟だって流石にこんな大勢の前でユイの事をどうこうするって事もないだろうし、大人しくしているに限る。
 しかしこんなに多くのヴァンパイアを目にするのは初めてだから、どうしたらいいのかわからない。ついに壁に背中を預け、背筋に込めていた力を抜いてしまった。こんな姿、レイジに見つかりでもしたらお小言をもらう羽目になるだろう。

「……はぁ」
「なーにそんなとこで溜め息なんかついてんだよ、ナマエ」

 げっと思い素早く背中を壁から引き剥がしたけれど、顔を上げて目があったのは挑発的な翠の瞳だったので、わたしの危惧している事態にはならなそうで一安心。

「なーんだ、アヤトか」
「なんだってなんだよ」
「レイジかと思った。アヤト、ユイの事追いかけていったんじゃなかったの?」

 躍り舞う男女の間を縫いこちらに近づいてくるアヤトは滅多にお目にかかれないような正装に身を包んだ出で立ちで、煌めくダンスホールの中ひときわ目を引いていた。わたしとは違い中々様になっているのがなんだか悔しい。

「けっ、あいつ、ちょこまかと逃げ回りやがって。帰ったらただじゃおかねぇからな」
「ああ、なるほど、振られたわけか」

 うるせぇ、と頭を小突かれた。

「オマエこそこんな所で一人でいるなんて、ほんっと虚しいヤツだよなあ? これがアベのカワってヤツか」
「阿部の皮……。なにその謎の皮、怖いんだけど」
「カベのアナだったか?」
「……ねえ、それってもしかして壁の花の事?」
「あー、それだそれ」

 にいっと悪戯な表情を浮かべるアヤトの背後に広がる空間を、壁一枚隔てた遠い事柄のように感じるわたしは、どうせ壁の花だ。三拍子のワルツの音楽も、右の耳から入って左の耳からすぐに出ていってしまう。逆巻家で暫く暮らし、この兄弟にも随分馴染んで来たというような実感を最近ようやく得ていたのだけれど、こんな光景を見せつけられると思い知らされる。やっぱりわたしと彼らとは、全く別の生き物だ。

「ククッ、その分じゃ誰にもダンスに誘われてねーみてぇじゃん。ま、ナマエじゃ仕方ねぇよな」
「なにそのわたしに魅力が足りないみたいな言い方、アヤトはわたしの事をなんだと思っているの?」
「オレは事実を言ったまでだろ?」

 口を閉じざるを得なくなるわたしに向かい投げ掛けられる、アヤトの勝ち誇った顔のなんと腹の立つことか。大きなてのひらがぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜ、せっかくセットしてきた髪型と、ついでにわたしの気分を乱していった。

「仕方ねぇな、オレ様がナマエとダンスを踊ってやってもいいぜ?」
「アヤトがダンス?」
「ああ、オマエみたいな可哀想な女を誘ってやるなんて、この寛容なアヤト様くらいしかいねえだろ」
「どの口が寛容なんて言うんだか。なんだか意外、アヤト、ダンスなんて踊れるの?」
「あたりまえだろ。オマエこそオレの事を何だと思ってんだよ」
「似合わないと思って」
「ま、クソ面倒臭ぇとは思うけどさ。今の言葉、覚えとけよナマエ。ほら、手ぇ貸しやがれ」

 ぐいっと乱暴に手を取られ、前につんのめりそうになる。わたしが立っていたこの壁際の僅かなスペースと、彼女たちが優雅に舞っているダンスホールとでは何か明確な違いがあると思っていたけれど、転げるように一歩踏み出してみればなんの事はない。わたしを阻む壁なんかどこにもなかったらしく、アヤトに手を引かれるまま、いつの間にかあの遠くから見上げていたシャンデリアの真下、ホールの中央までやってきていた。アヤトの腕が腰に回るとぴったりと体が密着して、彼の体温の低さがダイレクトに伝わってくる。並み居るヴァンパイアの中、こんな中央にまで来てしまった事に少しびくついているわたしに対し、こちらを見下ろすアヤトの表情は威風堂々といった感じ。

「ほら、力抜けよナマエ。オレに体を預けろ」
「うん」

 アヤトはわたしの手を引きながら、曲に合わせてゆったりと体を動かし始めた。わたしはわたしでレイジと練習した通りに、相手の動きに身を委ね、気持ちを一つにするようにゆっくりと動き出す。左の耳から抜けていたリズムが、今度は頭の中でぐるぐると回っているような、そんな感覚になる。体はリズムにのって、ひとりでに動き出す。

「へえ、どうせダンスなんか踊れねえだろうと思ってたのに、ナマエにしては上出来じゃねーか」
「レイジに躾られたからね」

 アヤトの手つきは少し乱暴だったけれど、その運動神経と勘よさを表すように、しっかりとわたしをリードしてくれる。レイジによって期間限定の脆い魔法をかけられただけの付け焼き刃のわたしでもきちんと踊れているのは、アヤトの腕前によるところが大きいだろう。くるりとターンを決めて、アヤトに再び腰を引き寄せられる。合わさったアヤトの胸は少しだけ弾んでいて、耳朶にはアヤトの吐息が掠める。

「そういうアヤトもダンスが上手いんだね、びっくりした」
「ま、子供の頃からやりたくもねーダンスだのマナーだのなんだのって、無理矢理教え込まれたしな。だから言っただろ、オレ様に出来ない事はねぇんだよ」
「お見逸れしました」
「ククッ、覚えとけっつったよな、ナマエ」
「ん、なにが?」

 体をリズムに乗せながら、耳元で囁き合い会話をするのは、何だかおかしな感じだ。アヤトはそのまま耳許からわたしの首筋へとくちびるを移動させると、端から見たらきっと分からないような自然な動作で、ぺろりと肌をなめあげた。ぴんと伸ばしていた背筋に、ぞわりとした感覚が走る。

「……っ!」
「なあ、さっきのオレ様への的外れなブジョク、どうあがなってくれるんだ、ナマエ?」

 ぺろりとくちびるの端をなめずるアヤトは、正装の似合う紳士の顔ではなく、すでにヴァンパイアの顔をしている。

「わ……わーわーわー! そ、そんなことより、さっき子供の頃の話をしていたけれど、皆ってさ、どんな子供だったの?」
「はあ? いきなり話を反らそうったってそうは――」
「反らそうとしてるわけじゃないよ、皆の子供時代って、本当に興味があるし」

 苦し紛れに絞り出した話題とはいえ、これは本当の話だ。あの横暴な逆巻兄弟の過去、実に興味をそそられる事柄ではないか。アヤトは珍しく少し考え込むような顔になって、それから眉間に皺をよせる。そこでくるりともう一度ターンが入ったので、再び体を寄せあい見つめあう頃には、いつもの表情に戻っていたのだけれど。

「べつに、みんな今とかわんねーよ。ライトもカナトも、それから多分、シュウやレイジやスバルも、な」
「今の通りって事は……、大変だったんだね」
「なにがだよ」
 周りのひとが。
「何でもない。じゃあさ、パパは?」
「パパ? あいつの事か?」
「そう、わたしたちのパパ。どんな人なのか、わたしはいまだになにも知らないから」

 その頃には少しだけダンスに慣れてきたわたしは、広いダンスホールをぐるりと見回すような余裕が出来ていた。華麗に踊る彼ら彼女らの間に、“トーゴさん”の姿を探すけれど、わたしの瞳があのママの写真立ての面影を捉える事はない。やはり今日は、パパには会えないのだろうか。どうしても会いたいと思っていたわけではないけれど、少しだけ、期待しているわたしもいた。目の前に可能性がぶら下がっていたのにいざ駄目となると、途端にがっかりすると言うもの。ニンゲンよりは遥かに高い視力をもってして、向こうの隅からこちらの隅まで覗いてみるも、やはり知らない顔ばかり。

「……キョロキョロして、もしかしてあいつのコトでも、探してんの」
「ん、ちょっと、会えるんじゃないかって期待してたんだよね」
「はーあ、無駄な事は止めとけよナマエ。そもそもアイツはさ、姿形からして変幻自在なんだから、探して見つけられるもんじゃねーよ」
「そうなの?」
「ああ、たまにオレ達も知らねぇような姿で時々現れるからな。オマエの言ってる“トーゴさん”っつーのも、お遊びでセージカする時の為の、仮の姿だし」
「……初耳なんだけど」

 それならば、ママと微笑みあう二人のあの写真。あれも、パパの本物の姿では無いのだろうか。胸の底がひんやりと冷たくなるような感覚。アヤトはわたしの混乱なんて知ったことではないという顔で、再びわたしの首筋へと顔を埋め、ぺろりと舌をだす。

「それより、話そらしてんじゃねぇぞナマエ! さっきのわびに、吸血させろよ」
「わっ、ちょっと待ってよ。こんな場所で?」
「ああ。本当はチチナシの血を飲んでやろうと思ってたのに、あの女、逃げやがって」

 途端に機嫌が悪くなったアヤトが、パクリと肌を口に含むと、首筋を甘噛みする。ひっと肩を跳ねさせてしまったわたしにアヤトがにたりとくちびるの端を吊り上げるのが、憎たらしい。これは不味い展開だ。こんなヴァンパイアだらけの空間のど真ん中で吸血されるのだけは、なんとしても避けたい。それがどんなに危険な事なのか、わたしの本能が痛いほどに語りかけてくる。

「……あ!」
「ああ?」
「あそこにユイが!」

 取り合えずアヤトの背後を指差してみる。そこにもちろんユイの姿なんてない。

「ククッ、なんだよその分かりやすい嘘。騙そうったってそうはいかねえっての」
「ええー、本当なんだけどなあ。ライトと一緒に居るみたい。ほら、二人で楽しそうに踊ってるよ。いいの、行かなくても?」
「…………」
「わーお、大変、ライトが今にもユイのこと、押し倒しそう!」
「……くそ、おいナマエ、嘘だったらただじゃおかねーぞ!」

 訝しげなアヤトもわたしの素晴らしい演技力についに観念したらしく、くるりと後ろを振り向くと、ヴァンパイアたちを掻き分けながらそちらの方へ走り出した。凄まじい程の勢いに、ひとが――いや、ヴァンパイアが割れ、道が出来る。必死の背中に少し申し訳ないことをしたような気分になってきたけれど、こっちはこっちで身の危険だったのだから仕方がない。
 なんにせよ、これでしばらくは安全だろう。
 わたしはゆっくりと、アヤトの背中とは反対の方向へと歩きだし、壁際の元居た場所に向かう。やはりわたしには、こちらの方が似合いそう。

「ナマエ」

 何歩か進んだところで背後から声をかけられ、ぎくりと肩が震える。
 まさかもう嘘がばれたのかと恐々としながらゆっくりと振り向けば、わたしの危惧していた事態は今回もただの杞憂に終わるらしく、そこにはアヤトでも他の兄弟でもない、見知らぬ男が立っていた。
 男の、漆黒の外套に身を包んだその姿は、ある意味ニンゲンが想像するヴァンパイア像に似通ったものかもしれない。長く美しい白髪と、瞳の奥の血を写し出したような赤い瞳。アルビノ種の動物のような外見は、スバルに何処と無く似ている。赤い瞳が見定めるようにわたしをじりじりと射抜いている。何処か威厳を感じさせるような、重厚な空気を身に纏う男に、わたしは知らず背中に汗をかいていた。確かに知らない人の筈なのに、何処かで見たことがあるようだと思った。そう、確か最近、どこかでこの顔を――。

「……夢のひと!」

 思わず飛び出した言葉に、あっと両手で口に蓋をするも意味はなし。目の前のその男は口許に僅かばかりの笑みを貼り付けて、眉を跳ねあげた。なにか深淵なる意図のある眼差しのようにも見えるて、只単に呆れていただけのようにも思える。
 近頃、変な夢ばかり見る。そんな時この男はわたしの夢に現れて、何かを言いたそうな顔をしていた。夢魔の夢に他者が介入できる筈もないのだし、これは偶然、ただの似た男、だろうか?

「……これを」

 男は至って落ち着いた、そして威厳のある佇まいで外套から封筒を取り出すと、わたしに向けてそれを差し出す。手を伸ばせば滑らかな手触りとしっくりと手に馴染む重み。裏を返せば封蝋が施してある。押された刻印が、まるで、カナトに破かれたパパの封筒に施されていたものそっくりだ。なんでこの男がわたしにこんなものを。

「……これは?」

 こうした社交の世界では相手に表情を読まれるような事は誉められた物ではない。口角を十度ほど吊り上げた、品のある笑顔を仮面のように張り付けなさい、レイジはそんなような事を言っていたけれど、その時のわたしは頭に浮かぶ疑問符を隠すのも忘れ、暫く封筒を引っくり返して戻してを繰り返したりしていた。それからようやく顔をあげる頃には、そこにはもう、白髪の男の姿はなかった。スパンコールの光きらめく、ダンスホールの優美な光景が瞳に映し出されるのみ。ヴァンパイアがテレポートできるという事は身をもって知っているけれど、いきなり現れて消えられても困る。この封筒は何なんだか。
 仕方がないので封筒の端をびりびりと指で破き、中身を確認する。せめてこれで、差出人の名前くらいは確認できる筈だ。中に入っていた一枚の紙を引きずり出す。二つ織りのそれを開いてまず目に飛び込んできたのが、下の方に印された、差出人の名前だった。
 ――カールハインツ。

「…………もしかして、今の、パパ?」

 わたしの知っている“トーゴさん”と顔は違っていたけれど、雰囲気はどこか似ていたような気がする。見ているこちらが飲み込まれてしまいそうな、不思議な雰囲気。シュウの纏う雰囲気とも、少し似ていた気がする。アヤトの言葉を思い起こせば、パパは姿形すら変幻自在なんだと言っていたっけ。

20131109

   
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