その時わたしはレイジの寝顔を眺めながらむくむくと沸き上がってくる悪戯心と葛藤を繰り広げていた。
 レイジに呼び出しを食らったので、レイジの部屋までやって来たのはついさっき。まさかレイジが居眠りをしているなんて、誰が思うだろうか。呼び出された理由はどうせ何かお説教をする為だというのは間違いないのだし、お説教されついでにちょっとした悪戯を試みるのも一つの手だ。
 ソファに腰掛け目蓋を下ろすレイジの顔からは、いつも眉間で威厳を発している皺と、隙の無さを物語っている眼鏡が消えている。だからか、印象が随分と違って、ただの綺麗な顔のニンゲンみたい。窓から差し込む月明かりに照らされたレイジの睫毛は長い。ごくりと唾を飲み込む。こうも額が無防備だと、とってみたくなるのが夢魔の悲しい性だ。
 そっと自分の前髪を掻き分けて、レイジの剥き出しの額に自分のそれを押し付ける。


「……私の寝込みを襲おうとは、いい度胸だ」
 すっと、すぐそこにある目蓋が持ち上がり、赤い瞳が顔を覗かせる。
「うわあ、お、起きてたのレイジ?」
「ええ、貴女が部屋に入ってきた所から」
「なんでまた寝たふりなんか」
「何となく、ですかね」
「レイジって意外とおちゃめさん?」
「お黙りなさい。おかげで、貴女の素行の悪さが判明した訳ですが」
「うっ」

 ふう、とため息を吐き出して、優雅に伸びなんかをしているレイジ。先程まで眠っていた事だけは、どうやら確かみたい。

「そ、それよりレイジが呼んでるってスバルから聞いてきたんだけど、なにかお説教?」
「ほう、される覚えがあるのですか?」
「違うよ。けど、それ以外の用事って浮かばなくて」
「……眼鏡」
「え?」
「眼鏡を取ってください。テーブルの上にありますから」
「あ、ああ、うん」

 わたしはテーブルの上で沈黙する眼鏡を恐る恐る手に取ると、レイジの方に向き直る。何故だかちょっと緊張していた。これはレイジの大切なものだろうから落としでもしたら怒られるだろうし、そんな大切な物に触れさせてもらえるなんて何だか意外で、緊張してしまう。はい、と渡そうとしたら、レイジがすっと目を閉じる。しばしレイジの顔を見つめる。再び伏せられた長いまつげが窓明かりに輝いている。
 無言の重圧。これは、わたしに、掛けろと言うことだろうか。そっと蔓を持って、恐る恐るレイジの耳にそれを乗せた。これでどうだ。

「ど、どう?」
「上出来です」
「それはどうも。で、結局わたしに用事って?」

 内心安堵の息をついていたって事は内緒だ。眼鏡を装着したレイジは何時もの調子に戻ったようで、ぴしりと隙の無い表情を浮かべていた。

「貴女が父上から、今度の舞踏会への招待状を受け取ったと聞きました」
「ああ、その話。確かに受け取ったには受け取ったんだけど……」

 少し前のココア事件の事を思い出し、はあ、と溜め息。あのあと紙の屑を拾い集めてドライヤーで乾かしてみたけれど、どれもこれも茶色に染まっていて、内容はとても読めそうに無かった。結局何の招待状の中身を確認する事もないままに、ゴミへと為った招待状。シュウが言うのだから舞踏会への招待だったんだろうけど、なにかわたしに向けてパパからのメッセージでも書いてあったのかもしれないのに、それすら、知ることの出来ない話だ。

「貴女が口を濁すのは、決まってやましい事がある時だ」
「ええっと、わたし、舞踏会には参加出来ないかなーって」
「ここに来て貴女まであの穀潰しや出来の悪い弟たちと同じ事を言い出すとは、頭が痛い」
「いやいや参加したくないって話じゃなくて、その、招待状を無くしちゃったんだよね」
「ふぅ、……そんな事ですか」
「そんな事って!」

 これでも、あの日から随分と落ち込んでいたのだから、そんな事扱いされたうえ呆れた溜め息を吐かれるのは誠に遺憾である。招待状を持っていなかったシンデレラは、お城に赴く事は許されなかったのだ。わたしはシンデレラではないので、かぼちゃの馬車を用意してくれる魔法使いの知り合いもいない。

「いいですか、貴女はそれでも一応は、逆巻の者なのですよ。いわば、ホスト側の者だ。それが招待状を無くしたごときの事で参加出来ない訳がない」
「そうなの?」
「むしろ、参加しないなんて事は許されないのです。逆巻の名を名乗るのでしたら自覚を持ちなさい、自覚を」

 何だかよく分からないけれど、諭されてしまった。行けないとばかり思っていたので拍子抜けしてしまったわたしは、はぁいと間の抜けた返事をしてから、レイジにお叱りの眼差しを向けられる。

「それでナマエ、貴女、ダンスの経験は?」
「ダンスって社交ダンスのこと?」
「ええ。舞踏会に参加するのに、ダンスも踊れないようでは話にならない」
「レイジの目にはわたしが社交ダンスなんか踊れるお上品な女に見える?」
「いいえ、全く。ですから今日は、貴女の事を呼んだのですよ」

 断言されたら断言されたで、少し落ち込むわけだけれど、仕方のない事だ。
 レイジはソファから立ち上がると、わたしの腰をぐいっと抱き寄せた。レイジの胸に顔から突っ込んだわたしは、何とかレイジの顔を見上げる。眼鏡の奥の瞳はすでに、教師のそれをしている。

「もしかして、ダンス教えてくれるとか?」
「ええ、我が家唯一の女性がダンスも踊れないとなると、逆巻家の品位が疑われる事になりますから。貴女がまともになることは有り得ないにしても、どうにか見られるレベルにはなって頂きたい」

 それってもしかして、わたしも逆巻家の一員だっていう事を、しっかりと認められたという事なんだろうか。っていう事は、聞かないでおいた。

「いいですか、まず貴女は立ち姿勢からなっていません。こう――」

 背中に宛がわれ背骨の上をゆっくりと這うレイジの手は、魔法使いのてのひらだと思った。どうやら彼がわたしの魔法使いだったみたい。レイジはこれから、しがないサキュバスのわたしにも舞踏会に赴けるような、素晴らしい魔法をかけてくれるのだから。その魔法が想像を絶するスパルタ式のものだったという事は、窓の外の月とわたししか知らない。

20131105

   
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