「いったいいつまで僕を待たせる気なんですか、遅いんですよ!」

 まるで雷が落ちた瞬間みたいだと思った。
 カナトの部屋の扉を開けた瞬間に飛んできた玩具の積み木は、かん、と甲高い音をたてて壁にぶつかり砕け散る。まるでわたしの行く先を暗示しているかのような光景に、背筋が冷える。分かっていた反応とはいえ、目の前でヴァンパイア様にこうも怒られると足が竦むものだ。

「たかだかココアをいれるだけにこんな時間がかかるなんて、どこまで無能なんですかナマエは」
「……か、カナト、これにはちょっとした理由が」
「理由? 僕を待たせていい理由なんて、この世にあるとは思えませんが。一応聞いてあげますよ、その理由っていうのは、ナマエからシュウの匂いがする事に、なにか関係があるんですか」
「……っ!」

 全てお見通しと言うような顔で近づいてきたカナトにずいっと顔を覗きこまれる。二三歩体を横にずらしたら、壁にずいっと体を押し付けられ、覆い被さられた。華奢だと思っていたカナトも、こうして近くで見てみると、わたしよりは体が大きい。彼もやはりヴァンパイアのようで、拘束から抜けられそうも無いようだ。腕を持ち上げられ、指先をすんすん、と嗅がれる。シュウに舐められたところだった。

「ほぉら、ここから、シュウの香りがします。僕を待たせておいて、シュウと遊んでいた事が、ナマエの言う理由、ですか?」
「そ、そうじゃなくて」
「じゃあ、この手に持っているシュウと父様の匂いのぷんぷんする封筒が、理由?」

 にたり、と笑ったカナトは、持ち上げたわたしの手に握られていた白い封筒に鼻を近づけ、顔をしかめる。この分だと、最初からお見通しだったみたい。

「そ、そう。それを、シュウから受け取っていて……、舞踏会への、招待状みたい。今度お城で、舞踏会が開かれるんだって」
「ふーん、そういえば、もうそんな時期だったんですね」
「カナトも、出席するんだよね?」
「ええ、本当は行きたくなんかないですが、命令ですから」

 とたんにつまらなそうな顔をして、まじまじと封筒を見つめるカナト。封筒の中身がとても気になったけれど、封も開けずにココア片手に急いでカナトの部屋までやってきた頑張りをもう少し、評価してくれたっていいと思うんだけど。カナトに掴まれていない方の手に収まるマグカップを何とかカナトの手に押し付ける。受け取ったカナトは中身を見下ろして――失礼な事におかしな顔をする。

「そ、それより、ココア! ココア作ってきたから、飲んでくれたら嬉しいんだけれど」
「こんな見るからに不味そうなココアを、僕に飲ませる気ですか?」
「ええ、折角つくったのにそれは酷くないかな」
「そんなものより、その封筒を貸してください」
「え?」

 するり、手にした封筒をカナトに奪い取られる。次の瞬間、カナトはそれをびりびりと破き始めていて、わたしは呆気に取られてしまった。目の前で、どんどんと引きちぎられただの紙片と化して行く、初めてパパから貰ったそれを、どこか他人事のような気持ちで見つめてしまっている。あまりに信じられない出来事があると、ひとは放心してしまうらしい。ぱらぱらと、ばらばらのパズルのピースのようになったそれが、床に舞い落ちる。

「ふふ、いい気味。これは僕を待たせた罰です、ナマエ自身を引きちぎらない僕の温情に感謝する事ですね」
「な、な……!」

 くすくすと笑うカナトの可笑しそうな声にやっとの事で我に帰ったわたしは、床に這いつくばり、落ちた紙屑を両手でかき集めた。ただの紙切れと化したそれをそうして集めてどうする気なのか、わたしにも分からなかったけれど、こうしてしまうくらいにはわたしにとってパパからの招待状が大切で、それからショックを受けているらしい。

「いいですね、その、床に這いつくばってどうでもいいただのゴミを拾っている姿。凄く惨めで、滑稽ですよ、ナマエ。僕がもっと惨めにしてあげようか」

 冷たい、と思ったのは一瞬の事だった。ばしゃり、と水が弾けたみたいな音がしたのは、頭上から冷たい何かが降り注いだ音だ。部屋には甘ったるいような香りが、一気に広がっていった。可愛らしい玩具が散乱するおもちゃ箱みたいなカナトの部屋には、ある意味似合いの香りだ。髪の間から滴り落ちてきた液体がぽたぽたと手元に落ちて、拾い集めていた紙を、ココア色に染め上げる。恐る恐る上を見れば、恍惚とした笑みを浮かべるカナトがわたしを見下ろしている姿が目に飛び込んでくる。その手にはマグカップが逆さに握られていて、その中身は当然空っぽ。何故ならあれの内容物は今、わたしの顔や髪やそれから床を汚している。ぽたぽたと、髪の間からココアが滴り落ちる。

「ふふっ、あはははは、見てよテディ、あのナマエの酷く惨めな姿。僕を馬鹿にするから、きっと天罰が下ったんだね」
「……カナト、これは流石にあんまりな仕打ちじゃない?」
「何かいいましたか?」

 冷たい声だったので、これ以上口を開いてはいけないと悟る。それに、口をひらくとココアが口の中に滑り込んできて、口の中が酷く甘ったるくなる。力の強いものに逆らってはいけない、生きる為の鉄則だ。

「あーあ、顔中こんなにココアまみれにして、すごく……甘い香りがする」

 ココアでぺったりとくっついた髪をかきあげると、それにちゅっとくちびるを落とすカナト。機嫌が良いときの猫のような声で喉を鳴らすと、そのまま頬に舌を這わせた。べとべととした感覚のする頬に冷たくて柔らかい物が伝ってゆく。やることまで猫みたいだ。

「甘い。ナマエの肌で少し暖まって、ちょうどいい温度です。どうしてこんな冷たいココアを持ってきたのかと思ったら、こうする為だったんですね」
「いやいや、そんな訳がな……っぅ」

 口を開きかければ床に押し倒されて、舌を噛みそうになったので、閉じざるを得なくなる。腹に乗り上げたカナトが上からわたしを見下ろして、首筋、胸元、額に瞼にと、ココアの付着した箇所を優しくなめとっていった。まるで、自分がキャンディーにでもなってしまった気分だ。カナトの舌が肌を滑る度に頭がふわふわとしてきて、体が思うように動かなくなってくる。

「可笑しいですね、僕はココアを飲んでいるだけなのに、もしかして感じてるの? こうやって、舐めるたび」
「っ」

 胸元をゆっくりと這うカナトの舌の動きに、肩がびくりと反応する。

「ナマエの体温があがって、ココアが暖かくなって、美味しくなっていきます」

 ふふ、とくちびるの端を舐めるカナトの表情は子供のように無邪気なのに、どこか色っぽさも感じさせるようなアンバランスなもので、たまらなくなる。

「……カナトがいやらしい感じで舐めるのがいけないと思うの」

 ああ、もうどうにでもなれだ。

20131105

   
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -