「いやいや、なに考えてるのお兄ちゃん」
「お兄ちゃん……、んふ、そそられる響きだね」

 駄目だ、話が通じてない。

「それってまさかボクのお願いを断る口実? 前にも言ったよね、兄だとか妹だとか、ボクらにはなんら関係のない話さ」
「わたしにはけっこう関係があるのだけれど」
「ふーん。こんな簡単なお願いが聞けない色魔なんて、存在する価値はあるのかな?」
「そんな事をライトに言われる筋合いは――」
「あるよ、ボクのお願いを聞けない子なんて、ボクにとっては何ら価値がない。そうしたらボクは無価値なキミの存在を、この世から消してしまいかねないからね」
「なんて酷い理屈なの」
「そうかな、僕は理に叶ってると思うけど」


 なんて理不尽な理屈をこねるヴァンパイアだと思ったけれど、ヴァンパイアなんて皆そんな生き物だった。生活を共にしてきたわたしが一番よく知っている事じゃないか。
 頬を撫でていたライトの指先は、今はわたしの手を撫でていた。絡めた五本の指を、握ったり撫でたり弄んでいたライトは、そのまま腕を引いた。必然的に引っ張られたわたしは、寝転んだライトの腹に乗り上げる事になる。ちょうど、わたしが食事をするときに、獲物を組み敷いた時の格好だ。

「君はおかしな子だね、ヴァンパイアがわざわざ自分から襲われてあげるって言ってるんだ。こうやって」
 腹にのった腰を両手で掴み、引き寄せる。
「ちょっとその気にさせてあげたら。他のサキュバスちゃんたちならきっと、泣いて喜んでくれるのに」
「……っ」
「まあ、そういう事だからサキュバスちゃんも分かってくれたよね。ボクのお願い、聞いてくれる? ボクもう待ちきれないんだ」
「ライト、わたしはその気はない」
「どうして。キミはどう抗っても卑しい夢魔風情のくせして、そうやってカマトトぶられるの、そろそろ飽きてきたんだけど」

 見下ろす顔はそろそろ苛々してきた様子で、歪んでゆく。何をどう言われようが、わたしにだって獲物を選ぶ権利がある。彼らが不味い血を吸いたがらないように。腰に絡まる手を退けようとしたら逆に手を引かれ、そのまま上体を倒す羽目になった。ぐっと近付くライトの瞳が、きらめいている。

「ほーら、はやくしてよ」
「だ、だから――」
「いいからやれよ」

 ぐっと後頭部を鷲掴みにされ、無理矢理おでことおでこを合わせる羽目になる。今までの人をくった態度とはうって代わり、低い、命令するような口調だった。ライトの指の間に巻き込まれたもつれた髪の毛が引っ張られて、痛い。こちらを見つめる視線が、有無を言わせぬ強い輝きを放っていて、身震いをする。直感で分かった、どうしても逃がすつもりはないのだと。

「はやくしろ」

 もう一度命令をいい放つとライトはそのまま瞳を閉じた。長い睫毛が、頬に影を落としている。なんだか納得できないけど逃げられそうもないので、しぶしぶわたしも瞳を閉じる。真っ暗になる視界。意識を沈ませるよう、ライトの頭の中を探る。本人が受け入れているからかシュウの時とは違い、すんなりと意識が落ちてゆく。

 黒々とした記憶の中の世界で、ぱあっと視界が開けてきた。目の前に、ライトの記憶が写し出されてゆく。この世に生まれ落ちた瞬間のまだ発達していない目に焼き付いた朧気な記憶、幼少の頃の記憶、だんだんと大きくなってゆくライトの記憶。
 ライトの見た様々なものが雪崩のように押し寄せてきて、ニンゲンの一生分よりもよっぽど濃密なそれに、くらくらする。ライトの生い立ちだとかには少しだけ興味をそそられるけれど、余計なものまで勝手に見るのは気が引ける。思えば知り合いの頭の中を覗くことなんて初めてだった。こういう場合あまり首を突っ込まない方が後々の付き合いに響かないだろう。若かりし頃のトーゴさんらしき人物が現れるたび気を引かれそうになるけれど、必死に顔をそらす。っていうか、ええ、ライトってかの有名な魔王様の孫だったのか。我ながら恐ろしい存在と兄妹やってるものだ――って違う違う、わたしは何も見ていない。見ていない。わたしが探しているのはただ一つ。ライトの憎くて憎くて愛しいひと。
 途中、ちらちらとユイの姿が浮かんでは消えていった。やっぱり兄弟にとってユイはトクベツで、ライトの心の浅くない部分にもユイが存在しているみたい。

 愛しいひとと言うだけあって、ライトにとってその人との記憶は他のものとは逸脱しているようだった。壊れ物を扱うかのように、記憶の隅の方に隔離されていたのを、やっとの事で見つけ出す。確かにこの人がライトの“好みのタイプ”みたいだ。
 少し気の強そうな美しい女だった。ぴったりと体にはりついて凹凸を強調する、セクシーな漆黒のワンピース。何人の男を籠絡してきたか分からない豊満なバストと、滑らかな肌と、美しい髪。しなやかにくねる身体は細いのに、女性らしさを保つに必要な最低限の脂肪だけは確保され、勝ち気な目元から、はだけた首筋から、吐息を吐き出すくちびるから、コケティッシュな魅力を振り撒いている。にやりとつり上がるくちびるからは目が離せないほどの魔力が放たれる。その絡み付くような色香は何処かライトを前にした時を思い出す。









「……って、これ、ママじゃない!」

 彼女の記憶までたどり着いた瞬間に、わたしは思わず叫んでいた。現実が戻ってくる。がばりと上体を起こし目を開いたら、真下のライトもゆっくり目を開いているのが見えた。

 誤解を生みそうなので弁明をしておくと、ママといってもわたしのママの事ではない。わたしが見たもの、それは、ライトに吸血されるライトの実母の姿だった。扇情的な光景とでも言えばいいのだろうか。母の首筋にかぶりついた、まだ幼さの残るライトの顔に浮かんだ恍惚が、脳裏に焼き付いて離れない。

「そう、やっぱりキミにもあの人が見えたんだね」

 ライトは少しだけ目を細め、わたしにはよくわからない表情を浮かべていた。
 これには常日頃冷静を心がけるわたしも、流石に狼狽した。そこ、いつも冷静じゃないとかは言わないように。


「ていうか――え、な、なに今のは」
「やっとその気になってくれたと思ったら、どうしたのサキュバスちゃん。そんなにオロオロして」
「今、ライトのママらしきヴァンパイアが見えたんだけど」
「んふ、そうだねぇ。そういうワケだからキミがボクの妹だろうがなんだろうが、ボクとしてはなんら関係ないんだよねぇ」
「……!」

 すすす、と、太ももを指の腹でなぞられて、ひいっ! とかぎゃあっ! とかいう、女としてはとてもみっともない叫びが溢れ出そうだった。そそがれている熱い眼差しが、ただただ恐ろしい。

「へ……、変態! マザコン!」
「んふっ、ありがとう、よく言われるよ。マザコンに関しては、キミには言われたくないけれどね」

 わたしとしては精一杯の罵りを込めたつもりだったんだけれど、嬉々として受け入れられてしまった。お礼まで言われて、どうしたらいいのやら。
 もう付き合っていられない。ライトの愛しいひとが誰で、どういった特殊な性癖を抱いていようが、わたしには関係ないというのに。ライトの両手を振りほどき立ち上がる。先程の有無を言わせぬ態度から、そう簡単に事は運ばないと考えていたけれど意外にもすんなり外れた拘束に拍子抜けする。

「どうして逃げるのかなあ、今からが良いところだってところなのに」
「もう付き合っていられない、ライトの愛しいひとに化けるなんてごめんだもの」
「んふっ、そっか」

 再び散々ぐちぐち言われるのかと覚悟をしていたのだけど、なんでもない事のようにライトは言って起き上がった。乱れた服を整えて、わたしに笑いかける。

「でも、それで正解かもね」
「正解?」
「キミみたいなのにあの人の紛い物を演じられたら、勢い余ってボクはキミを殺していたかもしれないよ」
「……ん? そっちがやれって言ったんだよね?」
「あの人にもう一度会ってみるのも良いかなと思ったんだけど、よく考えたらそれは本人なんかじゃないしね。それに、あの人との記憶は誰にも踏みいられたくないんだ」

 またしても勝手な理屈をこねはじめたライトには、言葉が通じないんだと理解した。今はもう興味なんか欠片もなくなったとでもいうように、襟元を整える必死なライトに背を向ける。
 ライトは、わたしの事を試したのかもしれない。うなされていたライトの寝顔を思い返す。何も悩み事なんか無さそうなライトにも、なにか抱えているものがある。夢魔が悪夢を見るように、ライトだって悪夢にうなされる。わたしはその日初めて知ったのだ。

 ああ、喉が更にからからだ。
 ライトの部屋なんかさっさと後にしてキッチンで水を飲んでからもう一眠りしよう。扉を潜る瞬間振り向いたら、ライトの顔はいつものにやりとした顔に戻っていたけれど、なんだかそれはもう、仮面が張り付いているもののようにしか映らなかった。


20120721

 
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