そして休日がやってきた。

 晩餐会だか朝食だかよくわからない食事もそこそこに自室に戻ってきたわたしは、昨日レイジに用意して貰った問題集を机に広げ、それと向かい合う。レイジ曰くこれさえやっておけばそれなりの点が稼げるらしい。
 ようし、やるぞと自分に渇をいれ、ペンを握りしめる。勉強というのはやる気の問題だと昨日レイジが力説していた。シュウの方をちらちらみながら。
 最初の問題を解いている最中、問題集の乗っかった机の端から、ひょっこりとくまのぬいぐるみの顔が半分現れた。片方は眼帯に隠されたくりくりとした瞳がこちらを覗いている。はっとしたわたしは顔をあげる。

「……カナト!」
「なにを、しているんですか?」
「何ってテスト勉強だけれど。カナトこそわたしの部屋で何をしているの?」

 いつの間に入ってきたんだとよっぽど言おうかと思ったけれど、テレポートすら出来る彼らにそんな事聞いても無駄だと考え直す。カナトは少し不思議そうな顔をして、テディをぎゅっと抱き締めた。


「ふーん、あの子も勉強をしてました。君たちはよっぽど勉強が好きなんですね。せっかく訪ねてあげた僕を、この僕を邪魔者扱いして追い返すなんて……酷い、許せない……」

 カナトの肩がぷるぷる震え始めたら赤信号だ。何だかよくわからないけれど、ペンを放り出し慌てて宥めに入った。
 カナトの話を聞く限りでは、ユイも朝っぱらならぬ夜っぱらからテスト勉強に勤しんでいて、部屋にいったら会話もそこそこに追い返されたらしい。それでわたしのところに来たらわたしも勉強をしていた為、カナトの沸点の低い怒りがついに爆発したみたいだ。なんだろう、彼らの中ではユイに構ってもらえなかったらわたしに八つ当たりするとか、そんな方程式でも出来上がっているのかな。今回ばかりはわたしのほうがユイよりも深刻なのだから察してほしいものだ。


「それで結局、カナトは何をしにわたしのところにやってきたの?」

 カナトには申し訳ないがこのままでは勉強にならないので用件をさっさと聞いてお引き取り願おう。内心を悟られないようににこりと笑顔を形作って首を傾げたら、嫌そうな顔をされた。

「血をください」
「はい?」
「怒ったらお腹が空きました。ナマエの美味しくもない血なんか飲みたくないですが、我慢してあげますよ」

 散々な言われようだ。

「ううん、それはちょっとどうだろう……」

 彼らに吸血されたのは一度や二度じゃない。とても気持ちがいいのでその行為自体は嫌いじゃないんだけれど、いかんせんその後が辛かったりする。加減なんて言葉を知らない彼らが好きなだけ血を持っていくので、その日一日まるまる動くことすらままならなくなる時もあるくらい。平時ならばそれでも別に構わなかったのだけれど、今日それをされると非常に困る。今日のわたしには勉強という使命があるのだから。せめて問題集の半分までは今日中に済ませてしまいたい。
 煮えきらないわたしの態度にカナトの眉間にしわが刻まれた。


「聞いたテディ、あの女僕のお願いを断る気かな」
「いや、あの、テディさん。今日は本当に無理だから、いつか埋め合わせを……」
「もったいぶる程の血でもないくせに、ふざけるな!」
「……でも来週からテストじゃない。カナトも勉強をしないの?」
「君の有るか無いかも分からないような矮小な脳味噌と僕の脳味噌を一緒にしないでください。そんなもの僕に必要だと思いますか」


 流石同じお腹から生まれてきただけはある、アヤトとまるきり言っている事が同じだ。確かにカナトが机にかじりついて真面目に勉強に取り組む様子はわたしには想像できないし、まあ、それでいいじゃないか。

「とにかく、今日貧血になるのはちょっと困るというか」
「ふーん、ナマエのくせにむかつくけど、じゃあいいです。君の血なんて本当は興味ありませんから。僕はユイさんの血を貰いに行きます」
「……え?」
「沢山吸ってあげようね、テディ。貧血どころか、一生足腰が立たなくなってしまうまで、たくさーん飲もうね。あの子は貧相だから干からびちゃうかも」
「わー、待って待って、わたしが悪かったから」


 さあっと全身から血の気が引く。部屋から去ろうとしたカナトの服の裾を掴んで、慌てて引き留める。とたんにカナトが勝ち誇った顔で振り返ったのだから全くたまらない。カナトの思うつぼだとは分かっているけれど、カナトはやるといったら本当にやりかねないのでどうしようもない。
 最近の彼らと来たらわたしの弱点がユイだと思い込んでいるようで事あるごとにそのネタで揺すってくる。それに簡単に振り回されているわたしもわたしではあるのだけれど。


「なんですかこの手は。僕はナマエの血になんか興味が無いといったはずですが」
「ごめん、ごめんなさい。お願いだからわたしの血を飲んで」
「ふーん、どうしても僕に吸って欲しいんですか? 汚ならしい夢魔のくせに浅ましいですね」
「どうしてもカナト様に吸って欲しいです、お願いします」

 浅ましいくて醜い夢魔の分際ですが、と頭に付けてやろうかと考えたけれど、流石にそこまではわたしのちっぽけなプライドが許さなかった。カナトがにやりと隈の濃い大きな瞳を細める。

「いいですよ、特別に吸ってあげても」

 カナトの服を掴んでいたわたしの右手にカナトの細い指が絡み付き、持ち上げられた。そのまま、わたしの人差し指が、カナトのくちびるの中に消えていった。口腔内の膜のぬるりとした柔らかい感触と、ひんやりと冷たい温度。それから舌が指を撫でるざらりとした感触。口からおかしな声が漏れそうになるのを何とか堪える。

「喜んでください。ここに、僕の牙を突き立てあげます」

 指を口に含んだまま喋るから声は少しくぐもっている。人差し指に歯が当たったり手の甲に息が手にかかったりして、くすぐったい。それからカナトの牙の先がわたしの人差し指の腹の真ん中辺りに添えられたのを感覚だけで感じとる。
 その瞬間、思い至った。
 このまま牙で穿たれたら、傷口が痛くてペンが握られない事態に陥ってしまうんじゃないかって。そうなったらもう、勉強どころの話じゃない。でもカナトはそんな事初めから分かっていて、指なんてマニアックな場所を選んだのかも。
 ちょっと待ってと止めようとした瞬間ににやりと笑ってから、思いっきり牙が突き立てられた。
 がつんと脳味噌を殴られたような衝撃と、肉を割って進む牙の気持ちよさ。ぎゅっと口を引き結び悲鳴が上がりそうになるのを堪える。すぐさま牙を引き抜いたカナトが指先に舌を這わせたり吸い付いたりする。ここからはもう、気持ちよさとの戦いだ。自分の指が舐められている所なんか見たくもないので目をつむったけれど、そうすると指を吸う時や血を啜る音が凄くよく聞こえてくる。

「君の血は相変わらず美味しくはないけど、いつ飲んでもいやらしい味がしますね」
「……っ、ひとの指くわえながら、喋らないで、ほしい」
「気持ち良いんですか? じゃあこっちも噛んであげます」

 今度は親指を口に含まれ、同じように噛まれる。やっぱりカナトは分かっていてやっているのだ。これで完璧にペンがまともに握れなくなった。指の先からどんどんと血が流れ出ていく感覚に思考力を奪われる。せめてもの抵抗にと机の上の問題集に手を伸ばしたら、指先に滲んだ血で表紙に赤い染みが付いた。



20130718

   
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