「レイジ、テスト勉強を教えて!」



 というわけで。
 その日わたしが家に帰るなりしたことはこれだ。ぱんと顔の前で両手を合わせる。恥を捨て精一杯の誠意を込めて懇願した訳だけれど、レイジは手足がいくつも生えた虫を見る時と同じ嫌そうな顔で、わたしの合わさった手を見つめ返していた。手を合わせるのは間違えたかもしれない。まるでニンゲンが神に祈っている姿を彷彿とさせるし、嫌がらせと取られても仕方ない。


「ふう。貴女もですか」

 溜め息を吐くのですらレイジは優雅だった。とりあえず合わせた手を下ろしながら、明後日の方向を向いているレイジの視線の先を追う。リビングの隅の方で、ユイがテキストとノートとを交互に見つめながら、知識を頭に叩き込んでいる姿があった。ちらりと顔を上げようとしたユイは、「集中なさい」とレイジから怒られていた。
 どうやらユイも、レイジに教えを請うているようだ。そのスパルタっぷりにレイジに頼んだ事を一瞬後悔するも、こと頭を使う事関連に至っては、レイジ以外頼りになりそうな兄弟がいない。

「私が貴女の勉強を見て差し上げる必要性を感じない――と、撥ね付けたい所ではありますが、赤点でもとられて逆巻の名に泥を塗られては困る」
「赤点どころか一点すら取れない自信があるからね、わたし」
 主に日本史関連について。
「自らの無知蒙昧を露呈させた上、胸を張るとは嘆かわしい」

 やれやれと大袈裟に首を振って見せたレイジは、わたしの肩に掛かっていた鞄を取り上げる。ファスナーを開き、許可もなく中身を物色し始めた。いくつかノートや教科書を捲られる。ひとにノートを見られるというのは、何やら恥ずかしい。

「貴女の場合、日本史を重点的にやるべきでしょう。そこに座りなさい」
「はぁい」
「間の抜けた返事をしない」
「はいっ」


 何だかんだで、教えてくれる気はあるようだ。席についたわたしの目の前に、テキストが開かれる。呪文のように連なる文字の数々に頭が痛くなりそうだけれど、せっかく教えてもらうんだ。気合いをいれなくては。
 それから地獄のテスト勉強が始まった。レイジの教えはスパルタでひとつ間違えるたびに鞭が飛んでくる勢いだったけれど、教え方が上手いからセンセイの子守唄、もとい授業を聞いているよりよっぽど分かりやすい。わたしとユイとを掛け持ちで別学年の勉強を教えているくせに、レイジは涼しい顔をしている。
 二時間もする頃、頭が煮えくり返りそうになってきた。レイジが何か用事が出来たのか席を立ちリビングを出ていったので、その間に伸ばしていた背筋をだらしなく曲げて、思いきり寛ぐ。
 「大変だよね」とかいったしょうもない雑談をユイと交わしながら適当にテキストのページを開いたり閉じたりしていたら、再び扉が開いて今度はシュウが顔をだした。
 シュウは特に何をするでもなく、のっそりとユイに近づいていった。そして隣にごろりと寝転び、すぐに目を瞑る。……なにもしないのかよ。ユイは相変わらずテキストとノートとを熱心に見つめていて、特に気にするでもないようだ。凄い集中力だ。
 再び扉があいて、今度はアヤトがやってきた。ずかずかと床を踏みしめながらユイの方に近付き、「おい、チチナシ、相手にしろ!」と威張りくさる。ユイはそれにも薄い反応しか示さず、「後でね」と軽くあしらっていた。あのアヤトが少ししゅんとしているのがちょっと面白い。流石にユイはこの屋敷で長いこと暮らしてきただけあって、兄弟のあしらいがうまい。誰がやってきても動じないあの精神力はわたしにも学ぶものがある。って、別の物を学んでどうするんだ。わたしもこっちに集中しなくては。
 と、顔をテキストに戻したところで、どかどかと足音がこちらに近づいてきた。顔をあげればさっきまでユイに構ってもらえずしゅんとしていたアヤトが目の前でわたしを見下ろしている。


「なんだオマエ、くそ真面目に勉強とかしてんの?」
「うん、そうだけど」
「クク、頭のできが悪いやつは大変だな」
「む。アヤトは勉強しなくていいの?」

 どうやらユイに構ってもらえなかったアヤトはターゲットをわたしに変えたらしい。ユイも勉強に勤しんでいる辺り、一大行事らしい今回のテストは一年生だけのものじゃないみたいだけど、アヤトはどうしてそんなに余裕の表情なんだ。アヤトといいシュウといい、来たるテストに備えようという意思が見受けられるのは今のところわたしとユイとレイジしかいない。


「はあ、なんでオレ様がんな事しなきゃいけねぇのか意味わかんねえっつの。オマエとオレじゃ頭の作りからして違うからな!」
「そう? この前の小テスト、アヤトが奇跡の0点を取ったって聞いたけど」
「……くそ、誰だよ喋った奴」

 もちろんクラスが同じらしいユイから聞いた話だけどそんな事言ったら大変な事になるので伏せておこう。

「貴女、下らない私語を挟んでいる余裕があるんですか」

 気がつけばレイジが帰ってきていた。アヤトが背後から現れたレイジに少し驚いたようにしていたし、わたしたちを驚かせるためにわざと気配を消していたのかもしれないと考える。

「アヤト、貴方も貴方です。こんなところで無駄口叩いてるくらいなら少しは貴方も」
「あーあーあー、口うるせぇのがきやがった。オレは行くぜ」

 アヤトが出ていくと再び部屋が静かになる。レイジはいつの間にかユイの隣で寝息をたてていたシュウにもきっと鋭い視線を飛ばしていたけれど、シュウは気づいてもいなかった。
 そういえばレイジは何をしにいったのだろう。レイジの方を改めて見てみたら、脇には紙の束のようなものを抱え、手にはお盆をもっていた。その上にはマグカップが乗っかっていて、ほかほかと湯気が立ち上っている。

「え、なにそれ、もしかして頭がよくなる薬?」
「馬鹿な事を言わないでください」
「だってレイジっていつも怪しい研究をしているじゃない」
「ただのホットチョコレートですよ。疲れた脳には甘いものがよく効きますし、カカオの香りには集中力や記憶力をあげる効果があります」


 どうぞと言いながら、ことり、ことり、とユイとわたしの前にマグカップが置かれる。中のブラウンの液体がさざ波を立てて、甘い香りを運んできた。本当に怪しい薬じゃないのかはちょっと疑問だけど、差し入れは素直にありがたい。なんだかんだ、レイジは面倒見がいいし紳士的だ。一番お兄ちゃん然としているのはもしかしたらレイジなのかもしれない。

「それから、間にあわせではありますがこれも作ってきました」

 それなりの厚みの有る紙の束が、マグカップのお隣に置かれる。上部の両端をホチキスで纏めた簡素な問題集のようで、問題を記す文字はまるで活字のように綺麗だったけれど、少しだけ癖がある。レイジの直筆問題集なのかもしれない。この短時間にそこまで。流石レイジだ。


「明日明後日とこの問題集を解いておけば、とりあえずはそれなりの点が稼げるはずです」
「ありがとうレイジお兄ちゃん!」
「……気持ち悪い呼び方はやめて頂きたいですね。鳥肌が立ちました」



20130718

   
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