本を読むのが昔から好きだった。

 ざらりとした紙の感触を指先から受け取りながら、次々にページをめくって、わたしもその紙の白の中にずぶずぶと精神が沈み込んで行くような気分に浸る。お城に憧れるあの貧乏な娘が夢を叶えたようにお姫様になってみたり、あの羊飼いの少年のように無花果の木の下でずっと夢見ていたものを手にいれたり、そういった物語を自分の事のようにしては、よく空想した。

 この学園の図書室には数多くの本が並べられている。ずらりと整列している背表紙を眺めながら、どれにしようかと物色する。迎えのリムジンが来るまで時間があると、逆巻家の使い魔であるコウモリに告げられたのはついさっき。

 暇潰しに、本を読みに来た。

 あたりをつけた本に手を伸ばしたら、隣からも手が伸びてきた。するりと、わたしが本に触れるよりも一瞬はやく隣から伸びてきた手がそれを掴み、引っ込んでいった。無駄に差し出されたわたしの手。慌てて、本の消えた方に首をめぐらせる。

「……シュウ?」

 ぎっしりと中身のつまった本棚を背に、シュウが立っていた。シュウはわたしの手に収まる筈であった本を手にし、何か用かというような面倒そうな視線をこちらに向けている。

「それ、わたしも読もうと思っていたのに」
「ふーん」
「ふーんて」
「そんなの、俺の知った事じゃない。俺にもこれが必要だからな」
「シュウが童話を読むなんて意外。というか、シュウが読書なんてエネルギー消費の激しい事に挑むなんて珍しいね」

 言った瞬間に、シュウは手にした本を床に投げ出し、それに頭を乗っけて床にごろりと横たわってしまった。必要って、枕として必要って意味ね、と大いにに納得し理解したので、それ以降は意外ともなんとも思わなかった。
 普段は音楽室で寝転んで音楽を聴いてい姿をよく見かけるけれど、図書室も人が少なく静寂が保たれているという点に類似しているので、シュウの入り浸りスポットの一つとなっているのかもしれない。今も辺りを見渡す限りでは誰もいなくて、紙と活字とで占拠されたしんとした空間に、わたしの声だけが響いている。


「なにもひとの読もうとしていた本じゃなくたっていいのに。まさか嫌がらせ?」
「自意識過剰。この高さが一番寝心地がいい」
「あ、そう。本をそんな風に扱うなんて、もしもわたしがレイジだったら、シュウはいま物凄いお説教を受けていたところだと思うけれど」


 横たわるシュウの隣に屈み、顔を覗き込んでみる。フローリングの床と本の枕はとてもじゃないけど寝心地良好には思えなかったけれど、シュウは顔色ひとつ変えずに寝転んでいた。わたしの台詞を聞いた後の一瞬だけ、不愉快そうな顔をしていたけれど。


「――人魚姫、ね」
 “枕”の背表紙を白く長い指先でなぞりながら、シュウは呟くように言った。
「あんたこの本が好きなの?」

 なんとなく話を反らされたような気がしなくもない。


「ううん、まあ、どちらかといえば。ちょっとロマンティックじゃない?」

 助けたニンゲンの王子様に恋をし、愛のためにと自らもニンゲンとなり、最後には消えてしまう人魚のお姫様の儚い恋のお話。小さい頃だけれど、夢中になって何度も読んだ時期がある。物語に登場する王子様はきっとシュウみたいな柔らかなはちみつ色の髪の毛と、透き通るあおい瞳の、整った顔をしているんだろうな、と、こうして床でごろごろしている残念な姿を見せつけられていなければ思ったところなのだけれど。
 ふん、と、見下ろしたシュウの顔に、嘲笑に似た笑みが浮かび上がる。


「なあに、その馬鹿にした感じ」
「べつに」
「べつにって」
「うるさいな……、もう何処かに行ってくれ」
「なんで笑われたのか、すごく気になるんだけど」

 はあ、とため息をついて、シュウがこちらに寝返りをうった。

「馬鹿なあんたにはぴったりだと思っただけ。女は馬鹿だから悲しい結末を好む。ハッピーエンドよりもその方がよっぽど印象に残りやすいからだ」
「確かにわたしは頭がよくはないけど、人魚姫はハッピーエンドの物語だと思うな。人魚は愛する人を生かして空気の精になったんだから」


 人魚姫の隣に、本棚から適当に抜き出した白雪姫を並べて、わたしも頭を乗せてみた。フローリングのベッドと本の枕は思った程寝心地がわるくもない。同じ目線になったシュウを見たら、やっぱり馬鹿にしたような顔をしていた。長いまつげや透き通った瞳、すうっと綺麗に線を描く首筋。何から何まで整っていて王子さまみたいなのに、やる気がなさそうでひとを見下したようなその表情だけに、違和感を覚える。


「だったらそれは、あんたが自己犠牲に浸ってるだけじゃないのか? あんたみたいな女はやたらと“美しい結末”に仕立てあげたがる」
「残酷な結末、よりも、美しい結末、のほうが素敵だと思うけれど。命をかけられるほどの好きな人がいた人魚は、幸せだったんだよ」
「はっ、滑稽だな。人魚はただたんに男を殺す勇気がなかっただけだ」
「なあにそれ。シュウは好きな女の子に短剣で刺されたいとでも思ってるの?」
「そう言うあんたは好きなやつの為に泡になりたいとか思ってんの。痛い女」
「痛いって……」


 ぐったりと体重を床に投げ出すシュウの姿を瞳に映しながら、想像する。どうして彼はこんなにも無気力なんだろう。どうしてシュウは、こんな事を言うのだろう。彼らと一緒に過ごしてきた訳でもなければ価値観も違うわたしには、それは到底想像も及ばぬ事だった。


「人魚姫は愛される事なく死んでいったただの哀れな女の物語だ」


 そう言って天井を見上げるブルーの瞳には、何の色も感じられない。虚無だった。それは、わたしに色を見つけるだけの感性が足りなかったからなのか、本当にシュウが何も考えていないからなのか、分からない。わたしに分かるのはひとつだけ。シュウはきっと、貧乏な娘が夢を叶えたり、羊飼いの少年が無花果の木の下で夢を見つけたりするのは本の中だけの出来事だと、知っているんだ。
 けれど、わたしは、それでも。


「それでもわたしは、全てをかけられる程好きなひとを見つけられた人魚の人生は幸運に満ちていたと思うし、愛の為に泡になれたのなら、やっぱりロマンティックだと思うな」


 シュウは、相変わらずの表情でわたしを見ているだけだった。


20130623

   
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -