屋敷に帰るとカナトが玄関ホールで待ち構えていた。抱えたテディの向こう側から不満げな瞳が見つめている。じいっと吸い込まれそうな目力に、帰宅したばかりで訳も分からないわたしはたじろいだ。


「……どうしたの、カナト?」
「お腹がすきました」
「ああ、ユイを待っていたんだ?」
「違います。レイジを待っているんです」
「レイジ?」

 まさか同族同士の兄弟間でも吸血しあっているのだろうか、この兄弟は。十分ありえそうな話に顔を青ざめさせていると、「なにを想像しているんですか」とカナトが嫌そうな顔をして説明をはじめる。
 なんでもレイジはヴァンパイアのくせに料理が出来るらしいので、お菓子を作らせる気でいるのだとか。別にユイさんでもいいですけど、と、付け足したカナトがお腹をさすると、ぐうっと虫が悲鳴をあげた。
 お腹が空いてお菓子を求めるヴァンパイアなんて、初めて見た。


「もう限界です。あの二人はいつ帰ってくるんですか、僕を待たせるなんて!」
「知らないよそんなの」
「僕にこんな仕打ちをするなんて、酷いです。ナマエが何とかしろよ!」
「はい?」

 がしっと遠慮なしに手を掴まれて、骨がぎしりと軋んだ。そのまま強引にひっぱられ、連行されたのは、逆巻家のキッチンだった。ユイが自分のために食事を作る時か、たまの晩餐会の時か、レイジが趣味で使用してる時か、それくらいしか出番がないだろうその空間は、隅々まで磨かれてピカピカに輝いている。


「なにか甘いものを作って下さい」
「いきなりそんな事言われても、ニンゲンの食べ物なんて作ったことないし」
「誰もナマエに期待なんかしてませんから。この際食べられるレベルのものだったらなんでもいいです」
「じゃあ自分で作ったらいいんじゃないかな」
「なんで僕がそんなこと。テディが汚れたり、僕の手が荒れてしまったらどうするんです」
「わたしの手が荒れてしまったらどうするの」
「どうもしません」


 けろりと言われて顔がひきつる。
 わたしも彼らよりも立場やら魔力やら全てが低い身だ。命じられたら口答えせずにはいはいと従っておくのがここで生き残るための秘訣だとは分かっているけれど、それでも出来ることと出来ないことがある。自分のポリシーに反する事ははいそうですかと簡単に頷くことは出来ないし、どうあってもわたしに出来ない事を成すのはそもそも不可能だ。今回は後者。わたしは、料理の仕方なんて知らないもの。


「料理も出来ない無能なナマエの為に、これを用意しましたから。早く始めてください」

 何冊にも積み上げられた本を、両手に握らされる。ずしりとてのひらにかなりの重み。どうやらレシピ本のようだった。背表紙のタイトルに目をやる。

『美味しいカルボナーラ』
『カルボナーラ・バリエーション』
『カルボナーラと暮らす日々』

 その他エトセトラも、ことごとくカルボナーラの名前が見受けられる。どこから持ってきたのかは知らないけれど、これはもしかして、レイジのレシピ本コレクションとか、そんな感じじゃないのか。どの表紙にも美味しそうに撮影されたカルボナーラの写真が使われている。
 しかも、どの本も表紙がよれたり角がすり減ったりしておらず、新品同様の輝きを放っている。絶対にレイジの本だと確信した。レイジはきっと、教科書に折れ目をつけないように至って几帳面に使用するタイプだもの。積み上げられた本を両手でぎゅっと抱き締める。曲げたり汚したりしたら、大変な事になるだろう。


「カルボナーラの本でどうやってスイーツを作れっていうの?」
「ほんっとに頭が足りないんですね。どんなレシピ本でも最後のほうにはスイーツのレシピが掲載されているものです」

 ふうっ、と小馬鹿にしたようなため息をついてから、わたしの手の上の本を一冊抜き取り、カナトはペラペラとページをめくった。紙にインクが印刷された、本独特の香りがキッチンに漂う。香りまで新品同様だ。随分うしろの方までめくり、やがてカナトの手が止まる。
 カナトがこちらに大きく開いてみせたページには、確かに甘くて美味しそうなスイーツの写真がでかでかと掲げられ、隅の方にはレシピが記してあるようだ。上のほうには、カルボナーラに合うスイーツとの見出し。


「ティラミスにミルクプリンにバニラ・スフレ……わあ、ほんと」
「だから言ったでしょう。早く作って下さい、これ以上待たせたら承知しません」


 カナトに馬鹿だ足りないと散々貶されているわたしの頭がその時考えていた事は、この後に待ち構えている作った事もないスイーツをレシピ本だけを頼りに作らなきゃならない困難の道についてでじゃなかった。あんなに思いきり開いたらスイーツのページに開きぐせがついちゃうよ! っていう、重大事項について。


「わかったわかった、なにか作るから」
「なんですかその嫌そうな言い方」
「カナト様の為にスイーツを作れるなど欣喜雀躍にございます! 誠心誠意慇懃に努めさせて戴きます!!」
「頭が悪いくせに無理に難しい言葉を使おうとしないでください。よけいに頭が悪そうですよ」


 その後のわたしの作ったスイーツの出来なんて言うまでもないのだった。


20130628

   
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