世の妖魔たちのほとんど全てが口を揃えて「嫌い」と言い放つ言葉が存在する。その言葉は、この世に何も怖いものなど存在しないと言わんばかりのあの逆巻兄弟をして、苦手と言わしめる効力があるだろう。もちろんわたしも例に漏れず、その言葉が大嫌いだ。

 平和だとか平穏だとか安寧だとかいった類いのコトバは、退屈すぎてあくびがでちゃいそう。

 ニンゲンたちのほとんどすべてはその言葉たちを深く深く愛しているんだろうけれど、わたしたちにとって退屈なんか天敵。平穏なんかくそくらえだ。人生はスリルと刺激とで成り立っている。


「……つまんない」

 逆巻家で暮らすことになって早数日。近頃のわたしときたら、毎日が平穏すぎて文字通りの退屈な日々を過ごしていた。毎日毎日“がっこう”に通うだけ。学園生活はそれなりに楽しいものではあるけれど、いかんせんニンゲンとでは価値観があわない。パパに会えるでもなければ何の問題も発生しない、月並みな表現で言えば、ぬるま湯に浸かっているような日々だった。
 問題の“お兄ちゃん”たちとも今ではそれなりに良好な関係を築けていたりするので、家でも概ね平和だった。
 最近知ったのは、この家でなぜか暮らしているわたしの友人、ユイは、極上の血を持っていて、彼らの食事としてこの家で暮らしているんだとか。ユイの血はかなり美味しいとみんな口を揃えて言っていた。ゆえにあれ以来わたしの血が狙われる事はたまにしかなかったから、今日まで無事に逃げおおせている。もちろんわたしはマゾヒストじゃないし、ヴァンパイアに吸血される趣味はないし、自分の身に不幸が降りかかってほしい訳じゃないから、それに関しては大いに結構なんだけど。

 カフェの片隅でひとり寂しくグラスの中の氷をつんつんとつついている少女がいたとしたら、それはきっと憂鬱を紛らすためだろう。氷がぶつかるからんという涼やかな音は、何だか嫌な気分を払拭する魔力がある気がする。


「下らない。で、貴女はどうしたいというのですか」
「いや、どうしたいという事もないんだけど、単なる愚痴みたいな」
「つまらない愚痴なら他の兄弟に聞かせてやるといい。私は貴女と茶飲み話を繰り広げるほど暇じゃないんです」


 汗をかいたグラスのふちを撫でてみるとひんやりしていて気持ち良かった。
 レイジはきっと、退屈を歓迎できる数少ない妖魔のひとりだとおもう。いや、歓迎じゃなく共存だ。彼の理知的なあかい瞳の奥にはやっぱり揺るがぬヴァンパイアとしての本能があって、けれどヴァンパイアの矜持でそれを押さえつけている。レイジは常に冷静なんだもの。
 冷えたアイスティーの最後の一口をいっきにぐいっと飲み干す。こんな風に現状を飲み込んでしまえたら楽しめるのかな。










「は? オレたちがどうやって暇を潰してんのかって?」

 先達たちの意見でも聞こうかと遊戯室に集まっていた三つ子の元にやってきた。この時間の三つ子はだいたい遊戯室でビリヤードやダーツやチェスやカードといったニンゲンの遊びに興じている。ほんとうは別の兄弟に話を伺おうとしたんだけれど、レイジはなにやら怪しい研究をしていて、美味しいアイスティーだけ出されて早々に追い返されたし、シュウは熟睡していて揺すっても起きないし、スバル至っては部屋に鍵をかけて棺に閉じ籠っていて、その姿さえおがめなかった。そして、最終的にここにたどり着いたってわけ。


「サキュバスちゃんたら、何をいまさら。刺激が欲しいんだったら、ボクたちと遊んでみる?」

 やはり話を聞く相手を間違えたようだ。三つ子ときたら、特にライトは毎日つまらないことなんかないってくらいに、いつも飄飄と漂っている。参考にはとてもなりそうになかった。

「ほら、キミも交ぜてあげる」

 んふふ、といつもの含みのある笑みを浮かべながら、ライトから細長い棒状の何かを渡された。首を傾げながら棒の下から先までを眺める。なんだっけこれ、確かビリヤードをする時に使う――キューとかいう道具だ。
 どうぞとライトに促されて、深緑色した台の上に乗っかったりんごみたいにつるつるした球を、棒の先でつんと撞いてみる。りんご色の球はまるで虫でも這ってるんじゃないかって早さでちょろちょろと進み、十センチもしないうちに、何処にも当たらずに停止した。
 アヤトにはやり方がなってねえ! とお叱りを受けるし、カナトには邪魔をしないでくださいと嫌な顔されるし、ライトは手つきがいやらしいねとよくわかんない事を言ってるし、散々だった。わたしにはニンゲンの遊びの才能がないようだ。



「学校がつまらないだとかそういった話でしたら、僕も同意しますけどね」
「学校はそれなりに楽しいんだけど、どうも落ち着かないというか」

 今度はチェスボードの前に座らされ、二対二の勝負が始まる。カナトとアヤト、わたしとライトという組分けで、向かいに座ったカナトが黒のポーン兵を動かしながら言った。
 隣に座ったライトが、同じく白のポーン兵を前に進めながら言う。

「学校にはキミがだぁい好きな人間たちが山ほどいるじゃない。ボクらにとったらパラダイスってトコロ?」
「それが問題なんだけどね」

 だぁい好きという言い方に引っ掛からなかった訳じゃないけど、そんな些細な事に構ってたらライトとは会話が進められないので突っ込みたい気持ちを押し止める。そうなのだ。学校にはわたしのご飯が沢山いて、わたしの視界の端で誘惑してくる。美味しそうなものを目の前に指をくわえてただ学園生活を送るなんて、つまんない生活は疲れちゃう。

「もしかしてサキュバスちゃんたら我慢なんかしちゃってるの? 美味しそうなものが目の前にあるんだったら、何も考えずかぶり付いちゃえばいいんだよ」
「もしかしてあなたたち、学校でニンゲンを吸血していたりするの?」

 次の番の来たアヤトは体を動かすゲームを好み、頭を働かせるゲームは好きじゃないようだった。しばらく考えてから、あぐねたように一手を進める。

「むしろなんでオレ様が我慢してやんなきゃならねぇんだつうの」

 好きじゃないだけであって、けして頭が悪いわけではないらしいことが、鋭い一手に現れている。チェスくらいならわたしもたしなんだことがあるので、今度こそ腕の見せどころだ。さて、次はわたしの番だ、どうしようか。ライトに足手まといと思われるのだけはしゃくなので、十分考えた上での一手を進める。白のビショップは、見た目通りのつるりとした触り心地だった。

「学園にはヴァンパイアが紛れ込んでるだとか、このお屋敷はお化け屋敷だとか、やたらと噂になってるのはあなたたちの所為だったってわけね」

 それから、カナトに戻ってライト、アヤト、わたしと順順に手を進める。チェスボードの上で、兵たちが進んだり取られたりといった熱いドラマを展開していった。


「キミは真面目だなあ。魔族にしては、だけど。どこでそんなつまらない価値観植え付けられちゃったんだか」
「そうやってやせ我慢を続けていたらお腹がすいていつか干からびてしまいますよ」
「大丈夫、寝静まったニンゲンの家に忍び込んで“食事”してるから」
「それがよくて学校では駄目っていう基準がわかんねぇよ」
「え、そう?」
「キミの求めるなんだっけ、愛、なんかももしかしたらガッコーで見つかるかもしれないじゃない」
「……まさかそっち方面でも手を出してたり?」
「クク、こいつは“それ”で停学処分くらった事あるくらいのド変態だからな」
「……うわぁ」
「サキュバスちゃんたら、そんな嫌そうな顔して。いいねえ、その蔑むような瞳でもっとボクのことを見て見て」
「気持ち悪いですライト……と、チェックメイト」
「あちゃあ、ボクたち負けちゃったみたいだよサキュバスちゃん」

 カナトの鋭い一手が攻め込む。ライトは両手をあげて降参のポーズをとってみせた。確かにわたしたちのキングは追い詰められて、逃げ場のない状態にいるみたい。

「ほんと、わたしたちの負けだ」
「ククッ、まあ、オレ様が勝つのは当然の結果だな」
「んー、負けたからには仕方がないね。大人しく罰ゲームを受け入れなくちゃ」
「罰ゲームとかあるの? 聞いてないんだけれど」
「勝負事に罰ゲームはつきものでしょ。アヤトくんとカナトくんに罰せられるっていうのはアレだけど、キミと一緒だっていうのは楽しみだね」

 さあ立ってと腕をひかれて立ち上がる。ライトは今から罰ゲームを言い渡される身の上とは思えないようなわくわくした瞳で目の前の二人を見つめているし、二人は二人で嗜虐心を全面に押し出したような悪ーいかおでわたしたちをいたぶる方法を議論していた。

「…………。」

 今日は、思い直したことがひとつあります。わたしも平穏な毎日を愛する数少ない妖魔のひとりになろうと思いました。おしまい。


20130620

   
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