「はい、それじゃあ今日は転校生を紹介するぞ」


 教室に事務的な声が響く。転校生を紹介する“センセイ”の声は、特に感動もなければ抑揚もない、定規で引いたような声だった。

 それでも、それを受けたわたしにとってのクラスメイトになるであろうニンゲンたちには、いかに彼が事務的であるかなんてどうでもいいらしい。途端にざわめく室内。期待に満ちた瞳でこちらを見つめたり、隣のニンゲンと囁きあったりする、縦横に列をなして座っているニンゲンの集団。
 まあ、それこそわたしには、先生が事務的であることも、彼らの期待に満ちた瞳も、どうでもいい事柄だけど。どうでもよかったっていうのもあるけれど、考えている暇だって無かったっていうのが一番近い。

 先生に招かれ教室に入ったわたしの視線の先、一番奥の窓際の真ん中あたりの席で、深い深い赤の瞳がこちらを睨み付けるようにしてる。そのニンゲン――もといヴァンパイアには、物凄く見覚えがあった。朝、リムジンで別れたばかりの瞳。透けるような白銀の髪の毛。特にわたしに興味がないようで言葉も交わさなかったし、挨拶すらしなかったけれど、この時ばかりは彼も、わたしを熱心に睨――もとい、見つめていた。


「今日から皆の仲間になった、逆巻ナマエさんだ。仲良くするように」

 再び響く事務的な声。逆巻と呼ばれると何やら慣れなくて、むず痒いような感覚がする。なんといってもこちらを睨み付ける彼と同じ名前だし。そう、同じ名字をもつ、逆巻スバルくんが、ニンゲンたちの期待に満ちた眼差しに混ざり、こちらを睨んでるのだ。睨んでる。凄く睨んでる。わたしと同じクラスになったことが、それほどまでに嫌だったのかと凹んでしまうくらいの眼力だ。
 逆巻の名を聞いて、教室内のニンゲンたちも心なしかざわざわしている気がする。わたしは何とも言えない気分で「……よろしく」と短く挨拶をしておいた。








「えー、であるからして」

 教卓の前で鷹揚に身振りを交えるニンゲンの間の抜けたような声が、まるで子守唄のような効力を発揮している。
 わたしはスバルの少しだけ怒ったような背中を見つめながら、うとうとしている。わたしだってまさかクラスメイトになるとは思っていなかったから、そんなあからさまに不機嫌オーラを漂わせなくてもいいのに。わたしの席はスバルの真後ろの席で、彼の意外にしゅっとした逞しい背中が、ずっと視界を占拠している。

 初体験である授業について少しだけ心配していたのだけれど、大して難しくはなかったからひと安心。頭の出来が良いわけでもないわたしが勉強していた知識でも十分についていけるような物ばかり。なんて余裕をかましてられたのも少しの間だけ。数時間後。数学の授業の次に現れた、この国の歴史についてらしい授業に、わたしは早くもお手上げ状態だった。
 この国で生まれた訳ではないわたしには、眼鏡をかけたいかにもなあの教師が何を言っているのか、正直いってさっぱりだった。オダノブナガ、というのはどうやら人名らしいのだけれど、この国のニンゲンの名前はなにやら呪文めいている。何かの儀式を行えそう。浪浪と流れる子守唄のような声もあいまって、わたしはまた舟を漕ぎそうになる。

 既に睡眠導入材と化している教科書から目を離し、目の前にある背中をちらりと覗き見てみる。すらりと引き締まっているのに広い背中と、ふわりと軽そうな白髪。スバルは黒板の方には目もくれず、頬杖をついて窓の外を眺めている。授業を聞いているのかも危ういくらいだ。わたしのように授業についていけていない訳でも無いだろうに。
 もう一度机の上に視線を落とす。机上に広げられた教科書やノート、筆記用具なんかは、リムジンの中でレイジに渡された鞄に入っていたものだ。まだ殆んど書き入れされていないまっさらなノートの片隅を少しだけ、四角く千切りとる。メモ用紙がわりだった。シャープペンシルで千切った紙に、手短に文字を書き入れた。
 『help!』
 適当に四角く折り畳む。角が合わずにいびつな形になってしまった。気にせず人差し指の上に伸せて、コインを弾くような要領で親指で上へと押し出す。高く舞い上がったノートの切れ端はスバルの身体を飛び越え、ちょうどスバルの机の上へと着地を決める。衝撃で一度だけバウンドしたけれど、それで床に転がり落ちずなんとか持ちこたえた。

「えー、ここで最も重要なのが、」

 授業は滞りなく進んでいるため、この教室でわたしのメッセージに気がついているニンゲンは一人としていないようだった。肝心のメッセージの送り主のヴァンパイアさんも、相変わらず窓の外を眺めている。くそう、シカトされた。もう一度ノートを破り取り、メモ用紙を設える。

 『あの眼鏡なにいってるのか分かんないんだけど、呪文でも唱えてるのかな?』

 呪文に聞こえすぎてもう教師が教科書のどのページを読み上げているのかすらさっぱりだ。再び降り畳んだ用紙がスバルの机に着地する。やっぱりスバルは反応を示さなかったので、周りに気づかれないように然り気無く身を乗り出して、ちょんちょんと背中を指先でつついてみた。チッとちいさな舌打ちが聞こえる。そしてやっとの事でスバルが動きだし、机の上へと視線をうつした。目の前の背中の位置が微妙に変化した為、そこから先はスバルの机の上の様子が分からなかったけれど、スバルの後ろ姿がもぞもぞと動いているところを見る限り、どうやらメモの中身を瞳に写している最中らしい。ぴたり、と少しだけ、動きを止めた後、またもぞもぞと動き出す。そして五秒と経たないうちに、頭上から紙が降ってきた。わたしが弾いたままの、角の揃っていない四つ織りの切れ端紙だ。
 わたしの書いたhelpの字を横線で消して、僅かに空いた下のスペースに殴り書きのような乱暴な筆跡で返答が書かれている。

 『左を見てみろ』

 左? スバルがなにを言いたいのかはよくわからないけれど、とりあえず左に首を巡らす。窓際の席のためすぐそこに窓が位置していて、闇を深めるばかりの外の景色が広がっている。今日もぎらぎらとかがやく月が素敵。スバルが窓の外に見惚れるのも分かるなあ。ってそうじゃない。けっきょくスバルは何が言いたかったのか。授業なんか忘れて月を眺めようぜ、みたいな?
 顔を戻したら机の上の教科書の開かれたページが変わっていた。先程まで教師の話についてゆけず全く検討違いなページが開かれていたわけだけれど、どうやら今開かれているページは然るべきページらしい。もしかしたらわたしが窓の外に気をとられている隙に、スバルが?
 ページを開かれたところでやっぱり授業には付いていける気がしないけれど、“お兄ちゃん”たちから苛められこそすれ優しさなんか受け取った事がないわたしからしたら、ちょっと嬉しい出来事だった。さっそくスバルにお礼を言おうとまた新たなメモをノートから千切り取ろうとして、気がつく。ノートの上の方に書いた記憶のない殴り書きのような文字が書き入れられている。筆跡がさっき受け取ったスバルのものとよく似ている。上下逆さになっていたので読みづらかったけど、目を近づけて解読した。

『右を見ろ』

 今度は右? やっぱりよくわからなかったけど、再び言葉に倣う。

 すぐ隣で、先程まで向こうで教鞭を執っていた筈の教師が仁王立ちをして、わたしを見下ろしていた。眼鏡の奥の瞳はそれはもう吊り上がっていて、授業態度のなっていない生意気な転校生を咎める気満々の眼差しをしている。わお、これは転校早々、やばいやつだ。












 様々な試練を乗り越えやっとの事で放課となった。
「逆巻さん」
「ねえ、逆巻さん」

 どうやらスバルは学校ではクラスメイトに大人気らしく、先ほどから教室に逆巻逆巻響いていてうるさいくらいだ。わたしは頬杖をついて、ぼんやりしながらスバルの後ろ姿を眺めていた。逆巻さん、そう呼ぶ声はあってもそれに答える声はない。クラスメイトからの熱のこもった呼び掛けを、机に顔を伏せって黙殺し続けるスバル。少しくらい答えてあげれば良いのに。

「逆巻さんたら!」

 肩をぐいっと捕まれて、わたしは顔をあげた。目の前に期待のこもった眼差しのニンゲンの顔が、いくつも並んでいる。全員が逆巻さん、逆巻さんと口々に言っていた。

「……わ、わたし?」

 どうやら彼女たちの逆巻さんコールを無視し続けていた失礼な逆巻さんはスバルではなくわたしだったらしい。逆巻と呼ばれても全くもってぴんと来ないので、気がつかなかった。そういえばわたしもつい昨日から逆巻さんカテゴリーに分類されたんだった。

「な、なにかな?」

 首を傾げれば次々に質問が投げ掛けられた。どこから来たの、趣味はなに、得意科目は、なんたらかんたら。どうやらこんな時期に転校してきたわたしが珍しいらしく、みんな興味津々だ。この質問攻めは転校生における通過儀礼的なものらしい。

「逆巻さんって、――スバルくんとは兄弟なの?」

 何気ない質問の間になんとも答えづらい質問が挟まれる。「スバルくん」とスバルの名前を呼ぶときだけ明らかに声が潜められたのが、このクラスにおけるスバルの立ち位置が如実に体現されているのだろう。いくら小声にしたってヴァンパイアの耳には関係ないだろう事を彼女らは知らないのだ。思わずスバルの後ろ姿を伺ったけど、相変わらず机に突っ伏していた。

「え? スバル?」

 別に真実なのだから兄弟と言ってしまえばいいような気もするけど、そうするとどうして同じ学年なのかと勘ぐられる事になってしまう。上の三人が三つ子だという話は聞き及んでいるから、ここで双子だなんて言っても信憑性は薄い。そもそも麗しきヴァンパイア様のスバルとサキュバスのわたしでは、似ても似つかないだろうし。レイジは怪しまれるような事は言うなと言っていたし、下手な事を言ってがみがみ怒られるのは勘弁だ。

「ええとね……えへへ……」


 わたしはニホン人の得意技である“曖昧な笑顔”を披露して、この場を流す事にした。授業中、開いた教科書にたまたま載っていたのが目に入ったけれど、この国にはこんなコトワザだってあるらしいもの。郷に入っては郷に従えってね。


20130615

   
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -