「……だれ?」


 適当に服を整えながらふと顔をあげれば、じとっとした視線を感じた。きょろきょろと辺りを探る。目の前にあるのはお城のように大きな建物で、その影になった場所、ちょうどひと一人がすっぽりと入れるように凹んだ隙間を見つけた。夜という事もあって普通だったら気が付かないような隙間。よくよくみればその隙間に隠れるように人影がある。
 人気の無い場所というのは、どうやら訂正しなければならないらしい。ごめんよ、地面で夢見る名前も知らぬニンゲンよ。言い訳すれば、気配は全くなかったから仕方がないと思うの。




「あぁ、なに見てるんだよ」


 隙間にじぃと目を凝らしながら、誰かそこに居るのかと今一度問いかけようかと上唇と下唇を引き剥がした瞬間、コンマ一秒早く声が帰ってきた。少し掠れているけれど、幼さも残っているような、男の子の声。

 この場合「なに見てる」はわたしの台詞のような気もするんだけど、どうだろうか。


「驚いた、全く気配に気付かなかった」


 わたしは少しだけ慌てて返した。ニンゲン社会では衆目の上、猥褻な行為に及ぶと犯罪になるらしいと聞いていたから。彼に通報でもされたらわたしは晴れて犯罪者の仲間入りというわけだ。


「いつからそこに――というか、まずそこから出てきて欲しいんだけど」
「チッ」


 ほとんど満月といっていい今夜も、人工的な明かりがなくとも十分に眩しい。実に盛大な舌打ちを惜しみ無く披露してくれた人影が1歩踏み出せば、月明かりに照された髪の毛が白銀にきらきら光っているのが一番始めに目に入った。次に鼻の頭が照されて、後は顔から順に光の中に現れる。
 若い男。
 髪や肌、彼は全体的に色素の薄い印象だけれど、その眼差しだけは強い意志が感じられるものだった。というかつまり、とにかく苛ついているって一目で分かる、凄く迫力のある顔をしてる。眉間に刻まれた深い皺と、鋭い眼光。まばたきもせずにこちらを睨んでいる。
 やっぱりどう考えても、なに見てるはわたしの台詞である。



「……いつから見てたの?」
「はっ、先にこの場所にいたのは俺だ。さっさとどっかに行け」
「つまり最初から見ていた訳か。良い趣味してる」
「学校の校舎裏でそんな格好してるそっちのほうがよっぽどな趣味だろ」
「がっこう……」


 学校とはつまり、ニンゲンが知識を吸収する為に作った施設の事だ。このお城のように大きな建物、どうやら学校だったみたい。だったら彼が着ているブレザーは制服なのか。この校舎の中に、同じ服を着たニンゲンが鈴生りになっている様が思い浮かぶ。

 ニンゲン界には神聖な学び舎という言葉があるらしい。神だとか聖だとか、わたしにとったら不愉快極まりない言葉の集合体だ。そんな場所で初仕事に及ぶとは我ながらぞっとしない、完璧に変質者ではないか。わたしは急に吹き出てきた汗を拭い、乱れきった自分の着衣を丁寧にただし、ぐぅぐぅいびきをかきながら傍らに転がる男にも慌てて服を着せる。そして照れ隠しをするように言った。


「べ、べ、別に君にはそんなの関係ないし。なんなら君も襲ってあげようか」
「ウゼェ、消えろ」


 がしゃんと鳴り響く轟音。ちょっとした冗談だったのに、彼のイライラメーターは早くも振り切れたらしく、真正面の彼の背後に位置する校舎の壁には蜘蛛の巣状の大きなひびが伝っていた。ひびの真ん中には彼の拳が乗っかっている。もちろん先程まではひびもない滑らかな白い壁がそこに存在していたのであるからして、必然的にあの蜘蛛の巣は中心に乗っかった彼の拳が生み出したということになる。こいつ、校舎を拳ひとつで破壊しやがった。最近のニンゲンの若者がキレやすいという話は聞いていたけれど、随分ダイナミックなキレ方をするものだ。


「ちょ、校舎壊れてるじゃない」
「オレはあんたに消えろって言ったんだ」
「……はいはい、邪魔したみたいでごめんね」


 まったくどうしてわたしがニンゲンの言うことを聞かなければいけないのか。ものすごい剣幕に思わず頷いていた。まあ、こちらとしてもこんな校舎裏でニンゲンと喋っている場合でもないみたいだし、仕方がないか。キーンコーンカーンコーン。その時ちょうど鳴り響いた鐘の音が合図だとばかりに、規則正しく何ヵ所かに集結していたニンゲンの気配が、どっとあふれでてきたのだ。その気配は個々の意思をもち好き勝手散り散りになって、その中のいくつかは絶好の隠れ場所だと思っていたここにも、近寄ってくる。わたしとしても早く消えた方が都合がいいみたい。


「じゃあ、わたし行くよ」


 ぴらぴらと軽く手をふってから、ひとつ思い当たった。一応、地面で夢の世界に旅立っているこの男も連れていった方がいいのだろうか。このまま放置しておくと完璧に変質者コース一直線、流石のわたしでもそれは少しだけ忍びないような気が。うんうんとわたしがうなり始めた頃に、背後から声がかかった。


「あれぇ、あんたこんなところで何してるんだよ」


 しまった、そう思った時には既に手遅れ、世の中は得てしてそんなものだ。もたもたしている間に、近づいていたニンゲンの気配がここにまで到達してしまったらしかった。振り向いてみたら、目の前には四人のニンゲンの男の子たちが壁のように立ちはだかっている。全員制服をだらしなく着崩して、耳にはピアス、表情はいかつく、言葉遣いは汚い。こんな人気のないような校舎裏に近寄るあたりあれだけれど、なんとも分かりやすい事か。こちらも分かりやすく不良グループと命名しよう。真ん中に立つ不良グループリーダーらしき男が、不躾にもわたしの肩に手を回してきた。

「よお、あんたウチの生徒じゃないみたいだけど何してんのよ」
「……」
「おっと、そっちにいるのは逆巻スバルくんじゃぁん。授業さぼって、こんなところで女とよろしくやってたのか、あぁ?」


 なにやら検討違いな事を言い出した不良グループ、ただでさえ不機嫌だった”スバルくん”とやらは物凄く嫌そうに鼻の頭にしわを寄せた。その嫌そうな顔はわたしと仲良くしていたと勘違いされた事にたいしてなのか、それとも絡まれた事に対する不快感なのか。流石にわたしも傷つくので後者であって欲しいものだけど。


「うるせぇ、殺すぞ」
「おぉ、怖い怖い、出来るもんならやってみろよ、なあ?」


 肩に回された腕にぐいと引っ張られて、不良たちの前に立たされる。盾にでもしようと言うのか。おまえの女がどうなってもいいのか? と、ドラマで見たことのある定番の台詞が聞こえてくるようだ。誰かこの男たちの盛大な勘違いを正してくれ。わたしは”スバルくん”とは全くの無関係だし、むしろ鬱陶しがられて立ち去ろうとしていた瞬間だったのに。相手は男四人とはいえ、ニンゲン。肩を掴む腕をへし折って逃げる事もわたしにとったら容易。逃げてしまおうか。


「なぁスバルくぅん、この女がどうなってもい――ぶほっ!」


 この男ほんとうに定番中の定番台詞を吐きやがった、と思った刹那、スバルの拳が飛んできた。わたしが彼にとっての障害にはなり得ない事は分かっていたけれど、ニンゲン離れしたような物凄いスピードで近づいてきた拳が、何故だか不良どころかわたし目掛けて飛んできているように見えるのは気のせいか。肩に絡み付く腕を振り払い間一髪でそれを避けると、わたしの後ろにあった身体の鳩尾にスバルの拳がクリーンヒット。蛙が潰れたような声ののち不良の壁がひとつ崩れ落ちた。


「っ、ちょ……! 今明らかにわたし狙ってたよね、君」
「はっ、被害妄想だろ」
「いやいや、避けてなかったらわたしに当たってたから」
「よかったな。ちゃんと利口に避けられたじゃねえか」


 にやりと口許を歪めて見せるスバルにすこし拍子抜けしたような気持ちになる。不機嫌な顔ばかり見ていたので意外だったけれど、その意地悪そうな笑顔の裏側にほんのすこしの優しさのような感情が見てとれたのだ。もしかしたら彼はわたしがちゃんと避けられるんだって見抜いていたのかもしれない。なんて思った瞬間に、もう一度殴りかかってくるスバル。な、なんなんだいったい、わたしに恨みでもあるのか。今一度素早く回避行動をとる。


「……っ!」
「――がっ!」


 左側に飛んで退いたら背後で二人目の不良が腹に拳をめり込ませ、膝を折った。どうやら不良が後ろからわたしに掴みかかろうとしていたらしいと理解して、一瞬でもスバルを疑った自分を恥じなくてはならなくなってしまう。


「あ、ありがとう……」
「フン」


 それからスバルは逆上して襲いかかってきた不良グループの残りの構成員も、軽い身のこなしで次々に倒していった。ニンゲン相手と言えどその鋭利な刃物のような動きは見惚れる程で、本当に彼がニンゲンかすら疑わし――ん、なんだったっけなこの感じ、デシャヴを感じるんだけど。


「って、ストップストップ! それ以上やったら死んじゃう、死んじゃうから、そのニンゲンたち」


 目の前にはまるで手加減を知らない子供のように、地面に転がる不良たちに馬乗りになり殴り続ける姿。はっとして慌てて止めにはいる。ニンゲンは脆くてすぐに死んでしまう。これくらいの怪我でも致命傷になりかねないというのは長年のニンゲン観察で培った知恵だった。チッと舌打ちをしてスバルは立ち上がる。そして地面に転がったニンゲンが一人から五人へと一気に増えてしまったのだった。最初の一人はわたしのせいだけど後の四人はスバルのせいだ。わたし、知ーらない。


「驚いた、君けっこう強いんだね」


 少しも息は上がっていなかったけど少しだけ服は乱れてしまったみたいで、襟元を正すスバルに言ったら、当たり前だろみたいな顔をされた。


「一応お礼を言っておくね、ありがとう」
「別に礼をいわれるようなことじゃねぇだろ」
「うん、そうだね」


 確かにわたし一人でも十分に対処できた事柄ではあるし、むしろ彼は進んでわたしに攻撃を仕掛けてきていたような気もするけど、ニンゲンながらにその鮮やかな手腕には感服したのだ。――彼だったらもしかして。一瞬浮かんだ思いはすぐに灰になる。わたしは彼に嫌われているんだった。


「……あ、ほっぺに血がついてるよ」


 会話の合間にふと気がつくいたわたしは、とんとんと自らの右、彼から見たら左の頬を指の腹で弾いた。白い頬に、赤い色。頬を染めているだとか、照れているだとか、そんな話だったら平和的でよかったのだけれど、まだ知り合って一言二言目交わしただけのわたしでも、鋭利な雰囲気を纏い針の先っぽみたいな眼光を装備した彼がそんな可愛らしいキャラじゃない事は想像できる。ぬらぬらと光るそれは血液。ついさっきの乱闘騒ぎ――とは名ばかりのスバルの独り舞台の名残らしい。


「血?」
「うん、ほら、ここ」


 どうやら自分では気付いていなかったらしく、拭いてあげようかと手を伸ばしたらするりと避けられてしまう。


「チッ……それこそあんたには関係ねぇだろ」
「まあね。でも乾く前に拭いたほうが良いんじゃないかと思って」
「あんた俺の母親かよ」


 嫌そうに言って彼は自らの指先で頬を拭った。そのまま、まるで朝食のパンを食べた時についたイチゴジャムを拭いましたよ、みたいな顔をして指先ぺろりと舐める。


「……くそ、まずいな」


 途端に現れる苦虫を噛み潰したような顔。血の味はイチゴみたいに甘くはなかったみたい。


「それは美味しい訳がないでしょ。ヴァンパイアじゃ……」


 ヴァンパイアじゃあるまいし。

 もちろんわたしの口はそう言おうとしていたのだけれど、ふと、昨晩の悪夢のような出来事が頭をよぎって口を止める。止めざるをえなかった。あの悪夢を引き起こした原因は、なんだった? 答えは簡単、わたしのお馬鹿な勘違いだ。ニンゲンと、ヴァンパイアを、間違えた。

 ついさっき感じたデシャヴの正体が判明した瞬間だった。わたしときたらニンゲンの街で出会う存在すべてがニンゲンである確証はない、疑ってかかるべきであるという教訓を、昨日の今日ですっかり失念していた。

 みるみるうちに顔から血の気が引いていくのを、自分でも感じる。きっと音にしたら、さあああっといった具合。恐る恐る、さっきまで気軽に軽口を叩いていた彼の瞳を覗きこむ。

 深い赤の瞳。血のようないろ。わたしが大好きだった薔薇の色にそっくりだ。見つめていると魂ごと螺旋を描きながら何処までも、何処までも吸い込まれてしまいそうな。そんな危うい魅力を孕んだ赤。


「……ヴァンパイア?」


 まさか、あなたはヴァンパイアですか?
 そうちゃんと文章にして言えればよかったのだけれど、乾いた口では単語を喋るのが精一杯。だけどその声はシンと静まり返る周囲にやけに響いて聞こえた。ヴァンパイアにはもう関わりたくない。たった一晩で植え付けられた感情が、頭の上から足の爪先まで今現在のわたしの全てを支配している。


「……ハァ?」


 単語ではいまいち伝わらなかったらしい。それはそうだ、わたしたちは出会ったばかりの他人で、あれそれこれで意思の疎通が図れるわけでもないのだし。だけどわたしは彼が口を開いた瞬間、その口許にちらりと覗いた牙を、目敏く見つけていた。
 その瞬間、わたしは踵を返していた。
 全く、この街はどうなっているというのだ。いままでわたしが出会ってきた中でカウントしたら、ニンゲンよりもヴァンパイアの人口密度のほうが断然高い。




「いい、なんでもない、邪魔してごめん。今度こそわたし、行くよ」



 言いながらさっと地面を蹴り、飛び上がる。今夜は満月じゃないにせよ、まだまだ大きな月はその表面になみなみと魔力を満たしているため、恩恵も大きい。さっき補充したばかりなのもあって魔力は十分に血液に乗って身体中に充満している。
 わたしはさっさと空高く、月のもとへと逃げ出したのだった。




20130212

 
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