こぽこぽと音をたて、紅茶がティーカップを満たしてゆく。室内にふわりと漂うベルガモットの香りに、心が踊った。すごくいい香り。



「どうぞ、アールグレイです」
「あ、ありがとう」



 通された部屋は当たり前と言えば当たり前だけど、昨日と同じリビングルームだった。今日は灯されているきらきら光るシャンデリアに照らされながら、例のだるだるヴァンパイアと出会ったソファーに座って、優雅にティータイムなんかを楽しんでいる。なんというか、摩可不思議な事だ。わたしだって驚いていた。もう少し酷い扱いを受けると思っていたから。
 まるで本職の執事のように滑らかな手付きで人数分の紅茶を用意する眼鏡を盗み見る。昨日の姿が嘘のよう。背筋をぴんと伸ばした優雅な彼は、やけに丁寧に接してくれている。正式な客人としてならば礼を尽くすという事らしい。



「おいしい」



 彼のいれてくれた紅茶は、いままで飲んだどのお茶よりもいい香りだった。茶葉もいいんだろうけれど食器もいい。拘りがあるのか、研きあげられつやつや光を反射しているティーカップやポット。知識のないわたしでも、とてもいいものだと分かる。シンプルな白いティーカップは扱い方を間違えたらすぐに壊れてしまいそうに繊細。滑らかで手触りがよくて、口に当たる部分は特に薄くて存在を感じさせない程だ。



「それはよかった。では本題にはいりましょう」
「……っ、はい!」



 眼鏡ヴァンパイアの醸し出すやたらに優雅な空気に流されてすっかり寛いでいたわたしははっとして、慌ててティーカップから口を離す。あぶないあぶない、何をのんびりしているんだわたしは。危機的状況ともいえる現在、とても気を抜いている場合では無いのに。
 ヴァンパイアたちは相変わらず昨日と同じようなポジションに配置されている。両隣からぎゅうぎゅう身体を圧迫してくる帽子と赤髪、背後のテディベアの子に、目の前テーブルの向こう側で紅茶の世話をしている眼鏡。後は少し離れた場所でだるそうに壁に持たれてる彼と、扉の前で腕を組んで苛ついたような顔でこちらを窺っているスバルもおまけについてきた。この屋敷の良心、ニンゲンの女の子は部屋に帰ってしまったようだ。



「貴女はお母様に紹介されて我が家に来たと」
「そう」
「それは、これからこの家で我々と暮らすため」
「そう――いうことになってしまうのかな」



 もごもごと言葉が喉の奥に引っ掛かってうまく出てこない。確かに寝泊まり出来る家は欲しいし、ありがたい。けれどなんでよりにもよってヴァンパイアの家に、今でもわたしは理由が分からない。何かの手違いではないのか。
 眼鏡の彼も納得はできていないのか、ちらりと怠そうに壁にもたれかかった彼に視線をやる。


「あいつに言われてるから、手違いとかではない」


 相も変わらず、噛み殺しもせず盛大なあくびをひとつ。だけど口調ははっきり、断言された。



「しかし信じられない話ですね、あなたのような下級妖魔をこの屋敷に入れるなど。使い魔としてならまだ話も分かりますが」
「……下級は言い過ぎだと思う」
「これは失礼」
「失礼なんて思ってないくせに。わたしもママとヴァンパイアが知り合いだなんて聞かされてない。……あ」


 そこでぴんとひらめいた。


「もしかしたら、パパの知り合いだったりして」



 わたしが遙々離れたこの国にやってきたそもそもの理由、それはパパの存在だ。ママとパパが出会った地。同じ大地を、わたしも踏みたかった。この家にわたしが導かれたのも、パパの紹介という線が一番自然かもしれない。
 パパ? と眉を顰めるヴァンパイアたちに、ぴんと人差し指を立て説明する。



「わたしのパパ。でもパパはニンゲンだから、それこそヴァンパイアと知り合いだったらおかしいか……」
「いったいどういった人間なんですか?」
「うーん、会った事は無いからな。ニホンにいて、今は政治家をやっているらしいって聞いた」
「政治家……」


 途端に室内の空気が変わった。立ち込めるのはこちらまで苦しくなってしまいそうな、重苦しい空気。皆一様に、“うんざり”という四文字を顔に貼り付けていた。



「なに、どうしたの、みんなして凄い顔してるけど」
「無いとは思いますが一応確認しておきます。貴女の仰るその“パパ”の名を」
「え、パパの名前?」



 なにぶんこっちは会ったことも無いのだから、たまにママから聞かされる話と、リビングに飾られたたった一枚の写真の中でしかその存在を認知していない。それでもわたしがパパに抱く感情は、好意的な方に重りが傾いていた。ママの唇から語られるその名前が、愛しくて大切なものに向ける響きを秘めていたから。ママがパパの名前を呼ぶとき、天使を祝福する光の眩しい部分だけを集めたきらきらと輝くものが、空気中を飛び回っているような錯覚がする。闇の生き物のわたしには眩しすぎる光だ。



「確かママは、トーゴさん、トーゴさんって呼んでいた気が」


 更にヴァンパイアたちの顔のうんざり具合が酷い事になった。理由はよくわからないけれど、余裕綽々といった風のこのヴァンパイアたちがこんな顔をしているのが面白くて、だめ押しの一声を叩きつける。


「で、名字がえーっと……」


「そう、サカマキ!」



 ぱんと手を叩いて顔を挙げたら、目の前の顔はうんざりのさらに上、げんなりした顔になっていた。回りを見渡してみたら、全員同じ表情だ。室内のどよーんとした空気が、更に重い。全員、何かを理解したようだった。


「なるほど、貴女が我が家に来た理由、一緒に暮らす事となった理由がこれでハッキリしました」
「……ん? わたしはまだ理解できてない。そっちだけで勝手にハッキリさせないで欲しいんだけど」


 最早事態が飲み込めていないのは、わたしだけみたいだった。おのおの「なるほど」だとか「どーりで」だとか口々に言っていたけれど、わたしの頭には答えどころかハテナしか生まれてこない。ここの住人において“トーゴさん”のワードがどれ程の位置にあるものなのかは知らないけれど、わたしの中での”トーゴさん”はよく知らない人なのだから。



「ちゃんと説明してよ」
「説明もなにも……」


 そこではたと思い出したように眉をあげ、彼は少しだけ照れ臭そうな顔をした。本当に照れている訳ではなく、表面上のポーズだとすぐに分かるわざとらしさだったけれど。


「そういえば、まだ名前を名乗っていませんでしたね。私としたことがお恥ずかしい」
「はあ」
「申し遅れましたが、逆巻レイジです」
「逆巻……さかまき……サカマキ……!!」


 どこかで聞いたような名前。再びもたげる嫌な予感。昨日から嫌な予感しか感じていない気がする。わたしがもしもロボットで、後頭部辺りに嫌な予感メーターが設置されていたなら数値が物凄い事になっているはず。でも悲観するにはまだ早い。ニホンに来たばかりのわたしはそのファミリーネームがどれくらい広まっているものなのか、分からないし。
 もしかしたらポピュラーな名前なのかもしれない眼鏡――改め逆巻レイジが名乗ったのを皮切りに、この場に居た全員が次々に名乗り始める。


「なーに驚いた顔してんの? ちなみにオレの名前は、逆巻アヤト様だ」
「逆巻カナトです。こっちはテディ」
「んふ、ボクは逆巻ライト。よろしくねサキュバスちゃん」
「……逆巻シュウ」
「……。」

「……は、はあ。ナマエです……」


 思わず流れに乗ってわたしまで自己紹介を披露してしまったではないか。スバルは名乗らずチッとか言って舌打ちなんかしてたけれど、そういえば不良グループに“逆巻”スバルくぅーんみたいな風に呼ばれてなかっただろうか。どうして気がつかなかったんだろう、わたし。
 ぱくぱくと塞がらなくなった口をなんとか動かし、疑問を吐き出す。今の自己紹介大会の後に生まれるに妥当な疑問だ。


「なんていうか、あまり似てないけれど……あなたたち全員兄弟?」
「だいぶ心外だけど、まあ、世間一般ではそう呼ばれてる」
「そ、そうだよねー」
「そして我々の父、この家の当主が――」


 わたしとアヤトとライトの体重を支えて、ついでにカナトが肘をついている分の重さも受け止めているソファーの、真ん前に位置するテーブル。そのテーブルを挟んでちょうど向かい側に立っていたレイジが、すっと身体を動かす。わたしから見て右側に一歩、移動した訳だけれど、それはその場所に用事があるとかではなく、避けるためだった。
 ちょうどレイジの身体で遮られていたものが、わたしの目前にさらされる。
 壁の上の方、飾られた肖像画にわたしの視線は釘付けだった。いままでにないってくらいに、見開いた目で。


「逆巻透吾、この肖像画の人物です」
「と……っ、トーゴさん!!」


 肖像画の中で厳めしい顔付きを披露しこちらを恐縮させようと努めているその人は、ママの大切にしていた写真の中のパパと同じ顔に見える。あの写真以外で初めて出会えたパパ。表情こそ違うものの、目尻のしわや瞳のいろ、唇の形や鼻の高さ、細部に至るまで、写真たてのガラス越しに何度も何度も眺めたトーゴさんそのものなのだ。


 額縁に飾り立てられたトーゴさんの厳めしい瞳から目を離せるようになるまで、随分な時間を要した気がする。



「さて、その貧相な脳みそを使ってよーく考えてみてください。貴女の知りたがっている答えは簡単に導き出される筈ですから」


 彼の言うところの貧相な脳みそは真っ白に塗りつぶされていて、忍び込んできたその逆巻レイジの嘲るような声が、異様な存在感を放ってリフレインしていた。


20130216

 
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