※シュウルートバットエンド前提に色々捏造した救われない話














 わたしは子供の頃から小さな幽霊が見えた。
 わたしの視界にはいつも、豆粒ほどの小さな小さな半透明の塊がいくつもぞろりと連なってふわふわふわふわ浮いているのだ。それはテレビで見るような人間の姿形はしていなかったし、喋りもしなかったけれど、きっと幽霊や何かの魂がわたしにだけ見えるんだと子供心に思っていた。
 理科の授業でミジンコを初めて見た時、いつも見ていた幽霊にそっくりで驚いた。だからわたしはわたしにだけ見えるその幽霊の事を、「ミジンコおばけ」と命名したのだ。もしかしたら本当に、毎日魚に食べられて大量に死んでいるだろうミジンコの怨念の籠もった霊がわたしにだけ見えているのかもしれないと、わりと本気で考えている。
 わたしの世界はとにかくミジンコおばけで溢れていた。ふわふわと私が何処に行っても付いてきて、部屋で寛いでいるときも、学校へ行っても、トイレの中にすら付いて回る。
 奴らは酷く臆病者で、目を凝らしてその姿を捉えようとすると途端にふっと姿を消すくせに、ぼおっと明るい方を見つめていると、すぐに現れる。

 わたし、幽霊が見えるの。
 そんな事をクラスメイトの逆巻レイジくんに告白したら、彼はどんな反応を示すだろうか。眼鏡の奥の理知的な赤い瞳をもつ彼は、きっと物凄い現実主義者で、霊だ何だなんて非現実的な話は少しも信じてはくれないのかもしれない。


「ミジンコおばけ、ですか」
「そう、わたし見えるの、ミジンコの幽霊が」

 ぱちんぱちんと一定のペースでホチキスを留めていたレイジくんの手がピタリと止まり、赤い瞳がわたしを捉える。わたしはぱちんとプリントにホチキスの針を突き刺してから、その瞳を見つめ返す。放課後、二人きりの教室。クラスメイトのレイジくんがよくこうして放課後に、クラスの仕事をこなしてくれているという事を知っている。わたしはそんなレイジくんに何故だかとても興味があって、たまにこうしてお手伝いをしていた。わたし達には特に共通の話題というものもなく、すべなくしてわたしが捻り出したのが、この話題だ。

「ほう、ミジンコの幽霊なんて奇怪な話は今まで一度も聞いた事がない。で、それはどういった姿をしているのですか」

 レイジくんは再びプリントを手にすると、ぱちんぱちんと二つの角にホチキスを留めていった。想像していたレイジくんの反応と違い、呆れられた様子は無い。わたしは椅子にかけた背中をぐいっと反らして、白い天井とぴかっと明るい蛍光灯の光を見上げた。すぐにミジンコおばけが現れて、わたしの視界の中でふわふわーっと踊りだす。

「明るい方や白いものを見ると、よく見えるの。半透明の小さい豆粒みたいな、まさにミジンコみたいなものが。たまに黒い点や、ちかちかした光が見えることもあるよ」
「なるほど」
 彼はなにかに納得したというように喉を鳴らした。
「貴女が見ていたのはミジンコではなく、もしかしたら蚊の霊かもしれませんね」
「……蚊?」

 すっとんきょうな声をあげてしまう。確かに、たまに蚊のような黒い影も見える事はあるけれど。反らしていた背中ぴんと伸ばして視線を元に戻したら、レイジくんの眼鏡の奥の瞳は仄かに笑っていて、くちびるも少しつりあがっていたのに驚いた。レイジくんも、こんな顔するんだなって。彼はいつも少しつまらなそうな顔で授業を受けているから、笑う事なんか無いんだと思っていた。何故だかそれはこのクラスの中でわたしだけが知っている彼の表情な気がして、嬉しいような気分になった。

「飛蚊症、知りませんか?」
「ひぶんしょう?」
「人間がかかる目の疾患の一つですよ。名前の通り、蚊のような影が常に視界を飛び回っているように見える症状が現れる。硝子体の混濁が、その原因とされています」
「しょーしたい?」
「その、貴女が今くりくりとさせている眼球の中の、水晶体と網膜の間にある透明なゼリー状の組織の事です」

 レイジくんはもう少し詳しく解説をしてくれたけれど、わたしには半分も言っている事が理解できなくて、はあ、と相づちを打つことしかかなわなかった。

「一般的には特に問題はない疾患ですが、あまりに症状が酷いようでしたら眼科を受診したほうがよいでしょう」

 ぱちんぱちん、留め終わったプリントの山が高くなってゆき、ばらばらのプリントの山はどんどんと低くなる。

「じゃあ、わたしに見えているものは……」
「ただの貴女の瞳が見せる幻でしょう。貴女の語る症状の全てが、飛蚊症患者のそれだ。けして幽霊なんかではない」

 ぴしゃりと断定されて、妙に納得してしまった。わたしが子供の頃からミジンコのおばけだと信じていたものは、ただの目のレンズについた傷や汚れだったというわけだ。よく分からないけれど。レイジくんはわたしを笑い飛ばすでもなく、かといって驚くでもなく、すっきりとスマートに話題を解決に導いた。わたしが予期していたレイジくんの反応とは全く逸していたけれど、凄くレイジくんらしくて、凄くかっこいいと思った。

「す……」
「す?」
「凄いねレイジくん! 凄く詳しくて、わたし病院に来た気分になったよ」
「この程度は一般常識の類です」
「そんな事ないよ。流石成績学年トップ、物知りなんだね」

 わたしの長年の謎が解決され、ぱちぱちと両手をめいっぱい叩き合わせて拍手でも贈りたい気分だったけれど、彼は貴女に誉められてもなんら嬉しくありませんとばかりに冷静な顔で作業を続けている。少しだけ自分が恥ずかしくなった瞬間だ。

「わたしずっと幽霊なんだって思ってた。でもそうだよね、幽霊なんてこの世に居るはずもないものね」
「さて、それは分かりませんよ」
「え?」

 くいっと眼鏡を押し上げたレイジくんの指先が、長くて綺麗なんだという事を、わたしはこの時初めて知った。眼鏡の奥の目の睫毛の長さも。その瞳はやっぱり微かに笑っていて、少しどきりとしてしまう。

「何だか意外。レイジくんって、現実主義者なのかと思ってた」
「貴女は何をもって現実主義者と定義付けているのでしょうか。自分の信じられないものから目を背け、それはあり得ない事だと撥ね付ける事? 私に言わせれば、それは愚か者のする事だ」

 ぱちん、一際高く響いたホチキスの音が、終わりを告げる音色だった。プリントの山にレイジくんの留めたプリントが積み上げられ、山のようだったばらばらのプリントは今や姿もない。作業終了だ。さて、と言ってレイジくんが立ち上がる。

「そろそろ帰りの車が来る時間なので、私は帰ります。貴女も、手伝いをありがとうございました」
「あ、どういたしまして」

 プリントを纏め、ささっと帰り支度を整える姿ですら何だか優雅に見えて、やっぱりわたしはこの人に興味があるなあと思った。几帳面で真面目そうなのに、不敵な笑みも浮かべるし、丁寧なようで、少し見下されているよう。なんというか、掴み所のない不思議な人だ。厳しそうな雰囲気を纏っているのでクラスでは一目置かれては居ても、少し近寄りがたい人という位置付けだけれど、わたしはもっとレイジくんの事が知りたいと思った。頭がとてもいい人だという事だけは分かる。中の下程の成績のわたしからしたらそれだけで尊敬に足る人物だ。

「では、失礼します。貴女も一応は女性なのですから、夜も遅いですし、帰り道に気を付けるのですよ」
「あ、ちょっと待って」
「はい?」

 思わず呼び止めてしまった。レイジくんがくるりと振り返って、その赤い瞳と目があってまた胸がどきんとした。何で呼び止めてしまったんだろう。わたしはもだもだと指先を動かしながら、視線をさ迷わせる。

「まだ何か用事が?」
「えと……、あ、そうだ。レイジくんとはあまり話した事は無いけれど、わたしこのクラスで一番レイジくんを尊敬して……います」

 って、なんだそれは。我ながら訳のわからない文句が口を飛び出てしまった事に頭を抱えたくなった所で、ふっと笑われた。もちろん、レイジくんにだ。何を当たり前の事を、とでも言うような笑顔だった。わたしはほおっとその自信に満ちた笑顔に見とれてしまう。

「私も、このクラスでは貴女が一番マシな人だと思いますよ。このクラスの者は責任感というものがありませんが、貴女は手伝いをしようという気持ちだけはありますから」

 あまり戦力にはなりませんでしたけどね、と言って、脇に抱えたプリントの束を持ち上げて見せるレイジくん。

「では、また明日。苗字名前さん」

 今度こそ背を向けて、そのすっと背筋の伸びた広い背中がドアの向こうへと消える。わたしはぽかんと放心状態だった。レイジくんってわたしの名前を知っていたんだ、と当たり前の事だけれど驚いてしまった。貴女、貴女、としか呼ばれた事がなかったから。あんなに頭のいい人なのだから、クラスメイトの顔と名前くらい覚えていて当然なのだけれど、彼の口からわたしの名前が出てきたという事が衝撃的だ。けれどわたしは何だか満たされたみたいな気分になって、教室の白い壁に映るミジンコおばけ改め飛蚊症の半透明の影も、何だかうきうきと陽気なステップで踊り出しているかのように見えた。

20131013

   

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