「ああ、やっとで会えたよ、キミが噂の“音楽室のおばけ”ちゃんだね?」

 逆巻アヤトは好奇心旺盛で、逆巻ライトは楽しい事さえあれば世の中を生きてゆけると思っていて、逆巻カナトは自分の理解できないものは馬鹿にされているようで嫌いだった。そんな逆巻家の三つ子が、音楽室に突如沸いて出たらしい女子生徒の霊に興味を示すのは至極当然の流れだったのであろう。好奇心を満たし、退屈でぺちゃんこになったお腹をいっぱいにしてくれる存在を、彼らはいつだって大歓迎しているのだから。





「んふ、思ってたより可愛い女の子なんだね?」

 三対の目玉が音楽室に浮かぶ半透明の体を見つめていた。わたしがいつものように鍵盤に指を滑らせていた時、三人の男子生徒が音楽室に入ってきたのだった。彼らを見たとき、わたしは最初、また噂を聞き付け冷やかしにやってきた人間なんだと考えた。演奏の手を止め、じっと彼らを見つめ返し、彼らが飽きて居なくなるのを静かに待つ体制に入る。
 様子がおかしいと気がついたのは、それからすぐだった。
 帽子をかぶっていたりぬいぐるみを持っていたりと少しおかしな風貌をした彼らは、まるでシュウくんの時のように、ピアノの前に座ったわたしを一心不乱に見つめていたからだ。彼らの視線はピアノというよりも、わたしにピントが合っているような気がする。
 ついに声をかけられた瞬間、シュウくんにそうされた時のように驚いてしまう。

「可愛いかどうかは別として、血塗れの怪物ではなかったみたいですね」
「なんだよ、どっからどう見ても普通の女じゃねーか。つっまんねぇ」
「まーまー二人とも。噂には尾ひれがくっついてくるものだって決まってるし。気持ちが悪い化け物よりは可愛い女の子のほうがいいじゃない。得したなーって思っておけば」
「けっ、それはテメェだけだろライト。オレはもっとグロテスクなやつを期待してたんだぜ」
「テディも面白味が足りないって言っています」

 じろじろと、三対の目玉はまるで檻の中の動物を見るような、大きな好奇心と僅かな哀れみや嘲りに充ち溢れた目付きをしていた。やっぱり彼らはわたしが見えていて、わたしに語りかけているのだ。
 やいやいと会話を交わしている彼らに、ほんの少しの居心地の悪さを感じる。至って普通な人生を歩んできたわたしは、噂の中心人物となったり大きく注目されたりしたことなんかない。
 だけどシュウくん以外にも自分の姿を認めてくれるひとがいるのを知って、少しだけ嬉しくもある。ふと、シュウくんの言葉を思い出す。彼らが、あの日シュウくんの言っていた「お仲間さん」なのかもしれない。盛り上がっている様子の三人に口を挟むのは気が引けたけれど、こうしていても話は進まないので、おずおずと口を開く。

「あのう、あなたたちが、シュウくんの言っていたお仲間さん?」
 テディ・ベアを抱えた子が、意外そうな顔つきになる。
「仲間? シュウと知り合いなんですか?」
「ええ。いつも音楽室まで来てくれて、わたしの演奏に唯一耳を傾けてくれるお客さんなの」
 ふふっと笑ってみせたら、赤い髪の毛の子に、へぇっと感心された。
「そういえばあいつ、音楽室の主とか間抜けなあだ名がついてるんだっけ。シュウの野郎、オレらがこの女の噂をしてるとき、なんも言ってなかったくせして」
「ま、面倒だったんでしょー。あのひと信じられない程のめんどくさがりだし」
「シュウは僕らの事、仲間だなんていっていたんですか?」

「ううん、仲間って言われるのは心外だって。あなたたちって相当仲がよくないのね。シュウくんはあなたたちの事を『やっかいだから気を付けろ』なんて言っていたよ」

 目の前の三人の男の子たちは、途端に驚愕したような表情になって、さっきよりももっと熱心な顔つきでわたしを舐めるように見つめた。なにか面白い出来事があったというような、好奇心にみち溢れた瞳。

「あのシュウがわざわざ忠告? ククッ、明日は雨でも降るんじゃねーか」
「雨ならまだいいですよ、天変地異でも起きたらどうしてくれるんですか」
「もしかしたらキミ、シュウのお気に入りなの? いいね、面白いよそれ」

 何がそんなにおかしいのか、わたしにはよくわからなくて、なんとも言えない気持ちに満たされる。

 それから彼らはわたしに、自分達の自己紹介やシュウくんとの関係なんかを軽く説明してくれた。この三人の男の子は、シュウくん――逆巻シュウくんの兄弟らしい。シュウくんからは名前だけは何とか聞き出したものの、名字なんかは知りもしなかったから、凄く驚いた。逆巻兄弟。それこそわたしが音楽室のおばけとして噂をされる前から、学園での噂話の定番と化していた逆巻家の六人の兄弟。その長男とわたしの知っているシュウくんとが同一の存在である事を、わたしはその時、初めて気がついたのだ。


「それで、かの有名な逆巻さんがわたしに会いに来てくれたのは、何か用事があったから?」
「もっちろん。ボクらはキミに会いたくてやって来たんだ」
「もしかしたら、わたしの演奏を聴きにきてくれた、とか」
「んふ、演奏なんかより可愛いキミとお話がしたいな」

 演奏、なんか。逆巻ライトくんと名乗った彼は肩を竦めて軽い口調でいい放つ。彼に悪気は無かったんだろうけれど、生前から大切にしてきたものをぞんざいに扱われた気がして、眉をひそめる。彼らはシュウくんとは違い、音楽には一片の興味もないらしい。自分の演奏に耳を傾けてくれるひとが増えるのを少しだけ期待していたが、違うようだ。

「僕たち、噂の真相を確かめに来たんですよ。音楽室のおばけはどうやら普通の女子生徒の姿をしているという事はつきとめましたが」
「噂、か。わたしが噂になっている事は知っているけれど、そんなにも凄い噂になってるの?」
「血まみれの姿だとか手足が何本も生えてるだとか」
 想像するとなんとも不愉快な噂だ。
「あとは、事故死とか病死とか自殺したとか誰かに殺されただとかだな。オマエさ、ホントはどうやって死んだんだよ」
「え?」

 何気ないアヤトくんの質問に、がつんと鈍器で殴られたような衝撃を受けた。考えた事もなかった。自分がどうやって死んだのか、幽霊になってしまった経緯について。

「……どうしてだろう、思い出せない」

 いくら思い返そうとしても、わたしは自分が幽霊になった瞬間の事を思い出すことが出来なかった。生前の記憶もしっかりしているし、半透明な身体を手に入れた後の事だって覚えている。けれどその瞬間の事だけは、よく分からない。頭のなかに黒い靄がかかっているような、何となく気持ち悪が悪い感覚に体を支配される。

「ふーん、ま、そんなことはもうどうでもいいんだけど」

 にたり、と、目の前のライトくんのくちびるが、三日月のような弧を描いた事で、すぐに話題は移り変わる。

「ねえキミ、ボクの使い魔にならない? こんなところで独り寂しく漂っているよりよっぽど楽しいと思うよ」

 話題が自分の死因についての話から彼らの興味が反れたのには、正直少しだけ安心していた。これ以上考えても、なにも思い出せないような気がしていたから。
 だけどやっぱり、彼らの話にはわたしはあまり、ついていけない。使い魔というのが何なのかすら、わたしには分からない。

「ククッ、こんな使い道の無さそうなの勧誘するとか、ライトは趣味悪すぎるぜ」
「テディのほうがよっぽど世の中の役に立ちますよ」
「えー、そーかな、楽しそうなのに」
「ええと、ちょっと待って。その、使い魔っていうのは?」
「ああ、そうか。キミは普通の人間だったんだから、まだわからないよね。使い魔っていうのはボクらのお手伝いさんみたいなものだよ。そうだなぁ、」

 そう言ってライトくんはパチンと長い指先を擦り合わせた。ぶわりと少しだけ、彼の周囲の空気が揺れた気がして少し目を細めると、次の瞬間にはライトくんの背後に、数人の女の子が立っていた。
 全員が可愛らしい少女の顔をしていた。しかし表情という表情の見当たらない不自然なほど白い顔をしており、その可愛らしさが逆に不気味さを演出している。生気の一切感じられない彼女たちはきっと、わたしと同じで本来この世にあるべきではない存在なんだろうな、と直感する。
 死んで以来、自分以外の霊を目にしたのはこれが初めてだった。彼女たちを見ていると、自分と同じ存在だとは思えないような、暗くて辛くて悲しげな思念が流れ込んでくるようだと思った。なんともいえない気味の悪さがふつふつと込み上げてくる。表情の無い顔で不確かにきらめく半分透き通った瞳には、なんの感情もないか、はたまた憎悪や悲しみといった類いの感情しか映っていないように見える。その瞳にじっと見据えられると、今すぐ逃げ出したいような気分になる。
 怖い。これが正直な感想だ。

「とまあ、彼女たちみたいな子の事をいうんだけど。仲間にならない?」
「い、いい、遠慮しておきます」
「んふ、なんで断るのかな。すごく楽しいと思うよ?」

 首をかしげたライトくんの手が伸びてきて、がしりと手首を掴まれた。ぎゅうっと手首を圧迫される久し振りの感覚に、わたしはひゅうっと喉を鳴らす。
 ライトくんの作り物のような笑顔や、にやにや笑っているアヤトくんやカナトくん、何より彼らの背後で浮かんでいる少女の霊が恐ろしかった。自分もあんな風に無表情の操り人形のようにされてしまうのではないかと考えて、生きてる頃のように震えが込み上げてくる。それを久方ぶりの感覚だ、と喜べるような余裕もなかった。
 怖い。ライトくんに掴まれている手首から底知れぬ何かが伝わってくるようで、吐き気にも似た感情を腹の中に持て余す。目の前に真っ暗ななにかが見える。知らない男の人に触られているのが怖い。シュウくんに触られた時にはそんなこと、一切感じなかったのに。自分みたいな存在に触れられる人がいる事は、嬉しい事のはずなのに。
 ぐるぐると巡る思考に混乱しそうで、わたしは考えることと動くことを止めた。
 少しでも動いたら体ごと闇に引きずり込まれてしまいそうで、もう一ミリだって動けない。



「……おい」

 がらりと音楽室の扉が空いたのはそんな時だった。時刻は放課後。窓の外はすっかり夜も更けている。ピアノの前で固まっていたわたしたち四人は一斉に扉の方に振り向いて、声の主を知った。シュウくんが相変わらず気の抜けるような気だるげな動作で、わたしたちの方へとゆっくりと近づいている。

「こんなところでなにやってるんだ、お前ら」
「んふ、シュウじゃないか。シュウこそこんなところで何やって――って、聞くまでもないか」

 ぱっとわたしの手を解放して、ライトくんは肩を竦めて見せる。にやにやと、何処か探るような目付きでシュウくんを見ている彼に、少しほっとした。今のライトくんたちの興味は、わたしじゃなくシュウくんに向いているみたいだ。

「ハァ、ひとの数少ない安眠スペースを汚すなよ……、さっさと出ていけ」
「出ていけだなんて、あんまりな言い種ですね。ここはシュウの専属スペースではなかった筈ですが」
「後から来たのはそっちのくせに、偉そうにしやがって」
「……ぎゃあぎゃあ騒ぐな、久々に授業を最後まで聞かされて、俺はいま凄く眠いんだ。煩いお子様たちは早くここから消えろよ」

 シュウくんの言葉に彼の弟たちは反抗の意を示していたけれど、最終的にはシュウに追い出され、部屋を後にする事になった。
 三人の足音が遠ざかると、室内に静寂が戻ってくる。
 音楽室には一人のヴァンパイア逆巻シュウと、一人の幽霊苗字名前といういつもの構図が出来上がった。わたしの硬直していた体ははやっとの事で動く権利を取り戻す。

「……っ、あっ、あの、シュウくん、ありがとう」
「なにが」
「なんだかよく分からないけれど、急に身体が動かなくなって困っていたの」
「だからあいつらには気を付けろって忠告してやったのに、まぬけだな、あんた」
「うん、そうかも。本当にありがとう」
「……まさか俺があんたの事を助けただとか、勘違いはしてないよな?」
「シュウくんはシュウくんのお昼寝スペースを確保しただけなんでしょう。けれど、わたしの事は追い出さないでいてくれる」
「あんたを追い出そうとしても無駄だろ。どうせこの部屋からは出られないんだから」
「……え?」

 まさかとは思ったけれど、そういえば自分は一度だって外に出ようとした試しがない事を思い出す。音楽室にはピアノがあったから外に出る必要がなかったし、わたしの音色を聴いてくれるひとも出来たから、ますます外に出る必要が無くなった。
 わたしは初めて扉に近づいて、外に出ようと試みてみた。彼の言うことは事実らしく、本当に外には出られないようで、普通ならすり抜けられる筈の扉に体が突き当たって、押し戻される。

「ほんと、わたしってこの部屋に閉じ込められていたんだ」
「今更気が付いたのか」
「出ようなんて考えた事も無かったし。わたしにとって外の世界って、それほど重要なことじゃなかったみたい」

 わたしは、ピアノが何よりも大切だ。だからわたしは死んだ今でもこの世を離れられないし、ピアノにだけは触れられるし、ピアノのある音楽室からは出られないのだろう。その他はわたしには必要が無い事だから。


「出られないついでに、今日もなにか一曲弾くね」

 いつもの席へと戻り、わたしはまた、曲を奏でる。鍵盤に指で触れられるその心地よさを噛み締めながら、暫し考えてみた。
 床に寝そべりながら、わたしの演奏を聴いてくれるただ一人のお客さん。気味悪がられるばかりのわたしの演奏を、心地いいと言ってくれたひと。シュウくんが客席にいてくれると、わたしも随分と心地よく演奏が出来る。
 聴衆のいない演奏会なんて滑稽だ。わたしの演奏は聴いてくれるひとが居なければ、なんの意味もないのかもしれない。だとしたらわたしは、シュウくんに出会わなかったら、いつの日か聴衆を求めて外の世界に憧れ、打ちのめされる日も来たのかもしれない。
 わたしの音楽室での毎日がこんなにも楽しいものになったのは、シュウくんと出会ってからだ。わたしは演奏の手を止めると、シュウくんに向き直る。

「今日だけじゃない……シュウくんは、いつだってわたしに心の救いをくれるね」

20130806

   

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