まず耳に届くのが切り離される時のざくりっていう鈍い音。次いで聞こえるちょきん! っていう小気味よいおとは、刃と刃がいきおいよくぶつかり合うおとだ。それらが代わる代わる鼓膜を叩くのが何だか心地がよくて、ボクはなにかに支配されたように夢中になって鋏を動かしていた。ミケの毛が風にさらわれぱらぱらと空を舞う。ひらりひらりと飛んでやがては木々の間に吸い込まれていった。
 女の子の髪の毛を切ってあげるなんて流石のボクも初体験だったけれど、なかなか様になっているんじゃないかな。


「女の子の髪の毛を切るなんて、初めての経験だけど楽しいものだね。ついつい切りすぎて変になっちゃっても許しくれる?」
「うん……。わたしも、男の子に髪の毛を切ってもらうのは初めて」


 出会ったばかりの名前ならきっとここで、たとえば、むかしは髪の毛をママに優しぃく切ってもらっていたんだよ、だとか、そんな下らないこと躊躇いもなく語りだしたんだろう。けれど見下ろした頭の持ち主はもう名前ではなく、ボクの可愛いミケだった。ミケはそれ以上はなにも言わず、ただ髪を撫でるボクの指先の感覚を感じながら椅子の上でおりこうさんを続けてる。
 ちょきん、もうひとふさ髪を切り落とす。栄養状態が改善された為か、ずいぶんと艶の戻ってきたミケの髪。代わりに前よりも三センチくらいは髪が伸びてしまったので今日はこうして散髪してあげる事にした。人間の髪の毛は一ヶ月で約一センチくらい伸びるって聞いたことがあるけれど、この子を飼いはじめてからもうそんなに経過したのかと改めて考えると驚いた。のわりには見下ろす肩はやっぱり貧相。でもそれは毎日顔を突き合わせているからそう思うだけで、よく考えれば貧相なミケも“骨と皮”から“痩せ細った人間”くらいまでには成長しているのかもしれない。

「ミケ、左を向いて」

 枯れ葉に覆われた地面の上にちょこんと据えられている椅子はあの小屋唯一の家具だった。その上のミケは言われたとおりに身体を捻らせる。ミケの髪を梳かしてやる。子供特有の柔らかい髪の毛の手触りでいつまでも撫でている事だって出来そうだ。再びちょきんと切り落とした髪が風にさらわれて行く。

「ライトくん、わたし、こんな大自然のなかで髪の毛を切られるのも、はじめてだよ」
「んふ、たまにはいいじゃない、解放感があって。気持ちがいいでしょ?」
「うん」


 ミケがぶらりと足をゆらして落ち葉を蹴ったら、年季の入った椅子がぎしりと軋んだ。あの小屋で髪の毛なんか切ろう日にはただでさえ埃っぽい小屋が大惨事になる事は目に見えていたし、久々に二人が出会ったあの森に行ってみようと考えた。木々の生い茂る森の開けた場所に小さな椅子を据えれば、即席美容室の完成だ。鬱蒼としげる森のじめっとした薄暗い空気に、きっと人間は、閉塞感や不安感こそ感じれど解放感なんてものは到底抱く筈もないけれど、ボクが一と言えばミケも一で、ボクが二と言えばミケも二だった。



「次は前髪を切るから目をつむってね。毛が入るといけないから、終わるまで開けちゃだめだよ。口も閉じてて」

 覗きこんだ真っ黒の瞳が、まぶたに覆い隠される。真ん中で左右に分けられていた前髪を手櫛でさっと梳かしたら、まぶたの上に伸びた毛先が覆い被さって、顔の半分を覆い隠した。ミケは小さなくちびるをきゅっと引き結び、じっとしている。さあて、どこまで切り落とそうか。鋏の切っ先をそっと額に押し当てて位置を測るように上下に動かしてみたら、小さな肩が驚きに震えた。真っ暗な視界で感じる冷たい刃物の感触は恐ろしいものなのか、居竦まる肩がどんどん小さくなってゆく。言いつけを守りちゃあんと目を瞑ろうと頑張っているミケが、力をこめたことによる皺をぎゅっと眉間に寄せているのが、前髪の隙間から伺える。それがなんだか可愛らしいなぁと考えたら、いたずらがしてみたくなった。
 すぅっとそのまま鋏を滑らせて、下へ下へと運んでゆく。皺のよった眉間を通過して、高くも低くもないミケの鼻を形作る骨の姿をなぞり、うすいくちびるのわずかな膨らみを経て、顎の先を這う。鋏の切っ先をあてがわれたところでナイフと違って切れるわけではないのだけれど、でも鋏だって十分凶器になり得るものなのだ。肌の上を通過してゆく冷たく固いそれに、ミケは動けなくなった。鋏が喉を通過する瞬間には、ミケの喉も一緒にごくりと上下する。
 ミケの中でぐるぐると巡る恐怖の感情が、彼女の背後から滲み出して森に溶け出してゆくのが見えるようだ。
 顎の先にぶら下がっている汗がミケの生への執着心の塊だと考えたら今すぐそれを舐めとってボクの中に取り入れてしまいたい気持ちに駆られる。ボクは我慢が嫌いだったしそもそもミケ相手に我慢してやる意味もないから、すぐにそれを行動にした。暗闇に身を置いた彼女にとってぬるりとした舌先の感触は突然の出来事だったらしく、たいそう驚いたように肩を跳ねさせていたけれど、目を開くのだけは我慢が出来たようだ。前髪の向こうでまぶたがぷるぷる震えているのが面白い。
 鎖骨の間を通り、ついに鋏は胸と胸の間の、うすい皮膚と肉と骨の向こう側で心臓が脈打っている部分に到達する。しいんとした沈黙だけが満ちる森の中、とくん、とくん、と彼女の心臓の控えめなおとは常にボクの鼓膜に届いていたけれど、その瞬間には流石に跳ね上がり、ばくんばくんと暴れまくっていた。


「ねえミケ、人間はさ、ここに鋏を差し込んだだけですぐに死んじゃうんだよね?」


 ぐっと押し込む真似をして、鋏の切っ先を強く押し付ける。こくこくこくと頷くミケの前髪がさらさらと揺れている。深い森に沈殿する重苦しい空気を両肩に背負い、ミケの細い肩が今にも潰れてしまいそうだ。あの生死をさ迷っていた森で、同じ場所で、再び感じる死への恐怖。一回目よりもさらに濃厚な暗闇がずるずると音をたて足元から順に這い上がって、狂ってしまいそうな感情とミケとが、戦っている。


「でもここを突き破ったらきっと、沢山の血があふれでてくるだろうね」

 楽しみだなぁ、耳許に息を吹き込むように囁いてやったら、どくどく鳴っていたミケの心臓がとたんに静かになった。竦み上がっていた肩から力を抜いて、椅子の背もたれに体重をのせ、全部をボクに預けきるように緊張をとく。
 ミケはきっと思い出したのだ。自分がボクに食べられるために生かされているのだという事に。ボクに食べられるっていう事がどういうことなのか、この時ミケは初めて、それを現実味を帯びた実感として感じ取ったに違いない。結果ミケはこう考えた。死への恐怖心で一瞬忘れていただけでボクにこうされるのは自分にとって当たり前の事で、怖れる事ではないって。静寂な森に響く落ち着いた心音から、ミケの考えている事は手に取るように分かる。
 今のミケはボクの好みとはかけ離れた女の子だからもちろん本当に鋏を突き刺す事はしないけれど、今はその自覚を持たせることが出来ただけで十分だ。ミケの頭をよしよしと撫でてやると、前髪に半分覆い隠された顔の唯一のパーツとなっている、死人のように白い肌に映える薄桃色のくちびるにキスを落とす。抱き締めた肩が別の意味で驚いて跳ねた。きっとこれが、ミケにとってのファーストキスなんだろうな。
 すぐに顔をはなしてミケを覗き混んでみたけれど、前髪で覆い隠された顔ではぽかんと半開きのくちびるしか見えなかった。あの真っ黒なミケの目が写し出したのは、ただの驚きだけの感情なのか、それともほんの少し色めいたりしていたのか、表情を伺えなかった事はすごく残念な気がして、さっさと前髪を切り落とすことにする。さくりさくりとリズミカルに切り揃えていけば、すぐに作業は終わった。


「はい、ミケ、終わったから目を開けてもいいよ。口もね」


 そのころにはやっぱりもう、ミケの瞳はただの真っ黒に戻っていた。彼女は自分の髪の毛をぺたぺたと触り、ずいぶんと短くなった新しい髪型を触覚で確認していた。出会ったころ肩のうえで切り揃えられていた彼女の髪は、首に僅かにかかるくらいのショートヘアーに生まれ変わった。


「ライトくんは、髪の短い女の子が好み?」
「ううん、どうだろう。どっちかっていえば、長いほうが女の子らしくていいなあって思うかも」


 脳裏に浮かぶのは、近くに寄ればたちまち絡めとられてしまいそうな艶やかな髪だった。一本一本がまるで現実味を見つけられないくらいに美しい色を主張して、触れるのすら躊躇われるような。手間をかけちゃんと手入れされているそれは酩酊感を覚えるほどのいい香りでボクの胸を満たしてゆく。それとミケの髪となんて比べるべくもないのだけれど、ボクの中で物事の基準を作っていたのはやっぱりあの人で、ボクは息を吸うようにそのことばかりを考えている。
 たちまちショックを受けたミケの眉が下がってゆくのがおかしくて、もう一度ミケの髪を撫でた。


「んふ、そんな落ち込んだ顔をしなくても大丈夫。ボクは髪型ごときで女の子を判断しないよ。それに、ミケにはそっちの方が似合っていると思うんだ」


 くるくると指に巻き付けて弄んだのはミケの未熟で柔らかい髪なのに、やっぱりボクはあの人の髪の色を瞳にうつしていた。


20130612

   

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