てのひらに乗っかった彼女の指先は枯木のそれよりもかさかさしていて、触れた部分からこっちの気力まで吸いとられそうな気がした。










 見ず知らずの人間の少女をなかば勢いで拾ったボクが一番最初にしたことといえば、彼女の汚れた身体を洗い、身なりを綺麗に整えてやり、それから服や食事を与えてやる事だった。ミルク色をしたスープをすくったスプーンが、彼女の細い指先によって彼女のくちびるに運ばれてゆく。ボクは埃被った壊れかけの椅子に座り、裸の豆電球の仄かな明かりに揺られる彼女のそんな姿を眺めていた。まさか人間を城に連れ帰るわけにもいかず、この簡素な小屋に連れてきた。この小屋は人間界で遊ぶときにボクがひそかな隠れ場所として使用している、誰かの小屋だ。今は誰も使ってないらしい事がぼろぼろの外装と、埃だらけでかび臭い室内から伺えた。おまけに室内に存在するのは天井からぶら下がっている豆電球と壊れかけの椅子が1脚のみ。電気が来ているっていう事は誰かの管理下にはあるんだろうけど、もう随分様子も見に来てないらしい。そんなわけで勝手に使わせてもらっているけど、お世辞にも居心地がいいとは言えなかったりもする。
 床に座り込んだ彼女は貪るようにハイスピードでスプーンを口に運んでいる。ボクの見立てによると彼女は病気に犯されていたわけではなく、ただの餓死寸前だったみたいだ。消化のことも考え最初は軽い食事からとまだスープしか与えていなかったけれど、この分だとすぐに普通の食事に切り替えられそうだ。

「ボクはね、キミのみたいにスープをとった後の鶏ガラのような身体じゃなく、むっちりとした噛み心地のよさそうな子のほうが好みなんだ。だから、たーんとお食べ」

 食らう事に夢中で聞いているとは思えない彼女は、ついにスプーンを投げ出して皿にかぶりついた。まるで獣や家畜のようなはしたない姿だった。自分の口角が自然とつり上がっていくのを感じる。
 彼女の虚無の瞳を見た瞬間から、ボクは決めていた。あのただの穴のような真っ黒な目を、ボク色に染めてあげようって。この小屋はさしずめ“ケージ”ってところ。ケージの中で彼女を、ボク好みの可愛くて愚かな女の子に育て上げるんだ。彼女が立派にボク好みの女の子に仕立て上がった暁には、彼女のことを魂ごと食べてあげようってね。ボクは死神ではないけれど、この子は自らの選択でボクの手を取ったんだし、ボクの拾った魂なんだから勝手にしたって文句はないはずだ。

「はい、おかわりをあげる」

 椅子から立ち上がり、彼女の前におかわりのスープをもってゆく。上から覗いた彼女は実に貧相だった。メイドの一人から譲ってもらい彼女に与えた服はやっぱりサイズがあっていなくて、おおきく余った襟元から極端に浮き出た鎖骨が覗いている。彼女が今飲んでいるスープは城のコックに作らせたものだけど、その過程で鍋に浮いてた鶏ガラに、やっぱりそっくりだと思った。とてもじゃないけど食欲も沸かない。明日は柔らかいパンとたんぱく質のものも持ってきてあげようなんて考えながら空いた皿を回収して、再び椅子に戻る。暫くして二杯目のスープを飲み終えた彼女が顔をあげた。

「……ありがとう」
「んふ、どういたしまして――と言いたいところだけれど、それは何に対してのお礼かな?」

 この小屋に連れてきてから初めて吐いた台詞が感謝の言葉とは、なかなか律儀な女だ。彼女は少し考えた素振りをしたあと、相変わらずの捻り出したような抑揚のない声でいう。

「あなたは死神さんなのに、わたしの魂を取らずに、食べ物をくれたから」
「もしかしてボクがキミを助けたとでも思ってる? おめでたい子だなあ。ボクはボクのためにやっているだけだよ」

 まあ、感謝してもらうぶんには一行に構わないんだけど、なんて肩を竦めてみたけど、彼女は相変わらず無表情を貫き通した。じっとこちらを見つめる彼女の瞳はやっぱり暗く虚ろだったけれど、少なくともさっきよりは少しだけ人間にあって当たり前の生気を取り戻して見える。とりあえず生命の危機だけはさったようだ。ただ、何を考えているのかはよく分からないのはあまり気持ちのいいものじゃないから、もう少し表情豊かな子にしてあげないと。

「いいかい、暫くのあいだボクがキミの世話をみてあげるけど、それは親切心からじゃない。キミがね、食欲も沸かないあまりにみすぼらしい女の子だから」

 再び席をたって彼女の前に屈みこむ。頬のこけたその顔を覗きこんでもやっぱり無表情で、もう少し可愛らしい反応をしてくれる子にしようと考える。

「ボクがキミを、ボク好みの女の子に育ててあげるんだ。そして、キミの隅々まで、血も皮も肉も骨も、全てを味わい尽くして食べてあげる。最後にその脈打つ心臓を貪り尽くして、魂までボクの中に取り込んであげるから」

 つつ、と頬から顎にかけてのフェイスラインを指先でなぞってみた。彼女は一度まばたきをしたあと、その痩せ細ったくちびるをふるふると震わせる。

「それでも、死神さんはあの森からわたしを救いだしてくれたから――ええ、と……」
「感謝してる?」

 語彙の少ないお馬鹿な人間の子供に助け船を出してあげたら、こくんこくんと勢いよく何度もうなずいた。細すぎる首から頭が転がり落ちていってしまうんじゃないかって勢いだ。
 ボクは喉の奥からおかしな笑いが込み上げてきそうになるのを飲み込むのに必死だった。矯正するまでもなく、随分と愚かな女の子を拾ってきたらしい。魂を食べられるっていうことがどういう事なのか、幼く貧相な脳みそでは想像もできないのかな。それとも、あの森の中で一人寂しく朽ち果てるのは、得体の知れない化け物にすがり付きたくなるほどに辛く苦しい事柄だったのか。どちらにしても、好都合だ。



「ところで、そろそろその『死神さん』ってのはやめにしない? ボクの事はライトくんって呼んでいいよ」
「……ライトくん?」
「よくいえましたー。それで、キミの名前は?」
「……名前」
「名前ちゃんか。んふ、可愛い名前だね」

 人間の名前になんか全く興味はなかったし、ほんとうは“可愛い名前”どころか何の感慨すら抱かなかった。にこりと笑いかけ誉めてやったら、真っ黒の彼女の瞳がほんの少しだけ喜びに色づくのだから単純だ。名前ちゃん。名前っていうのは不思議なものだ。彼女はもうこの世界で一人きりのはずなのに、名付けてくれた人の事を思い出すのか、名乗る瞬間だけは心強いものを味方にしたような、芯のある表情を顔に浮かべてみせるのだ。そんな表情、この子には必要のないものだけど。

「でも、そんな可愛い名前キミには過ぎたものだよね。なんていったってキミは今日からボクのペットなんだから」
 ペットっていうか、この子の結末を考えたら、どちらかといえば家畜みたいなものだけどね。
「キミに相応しい名前を、飼い主のボクが新たにつけてあげるよ」

 失った家族と唯一繋がるものをこうして簡単に取り上げられるのは、一体どんな気分なんだろう。いくら名前に繋がりを見いだしたところで、現実、彼女にはボクしかいないのだ。反論すら叶わないのは、どれだけ気持ち悪いだろう。真っ黒の瞳を覗きながら、どろどろに染まってゆく彼女の心中を想像するだけで、無いはずの心臓が高なるようだった。

「そうだなあ、人間が犬猫につけるような、ありきたりな名前がいいよね。キミには今のところ、大層な名前をつけてやるような価値もないんだし。といってもボクには人間のネーミングセンスはよくわからないし、キミは何か心当たりはない?」

 感謝してるなんて口では言っていたけど、流石に逆らうんじゃないかと思った。だけど彼女は一瞬だけ逡巡したあと、再びたどたどしく語りす。

「……近所のおばあさんの飼っていた猫の名前は、“ミケ”だった」
「ふうん、いいねえ、それ! ミケ! 凄くありきたりで間抜けそうな名前だ。キミにぴったりだね」

 首に手を伸ばす。首輪をイメージして、彼女の首を両手の人差し指と親指で包み込む。片手でも締め上げられそうな細い首はかたい。ぎゅっと力を込めて握ったら、ひゅうと猫が鳴いたみたいな声が彼女の喉から漏れた。


「キミの名前は今日からミケだ」


20130605

   

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