※暗くて色んな意味で痛いお話になると思います。読んでいて楽しい気分にはならないので注意。



















 神様はいたずらが大好きだ。
 天から地上を見下ろして、そこに足を下ろし暮らすものたちに、その唯一無双の力をもって、様々な奇跡や苦難を授ける。全てはきまぐれ、いたずら、暇潰し。そんな言葉で片付けられる事象。私たち人間は身に降り注ぐそれらを、ただ享受することしかかなわない。

 たとえばもし愛するひとが。神様のいたずらである日突然醜い化け物にされてしまったとしたら、どうするだろう。
 たとえどんな姿になろうともそれが愛するひとなのだとしたら、ひとつたりとも変わらない愛を捧げる事が出来る。そんなドラマや映画できいたような安っぽい台詞を、ぬけぬけと吐いてみせるのか。凡そ人間とは思えない、目を背けたくなるような醜い見てくれに変化していたのだとしても、1グラムの誤差もなくそんな台詞を紡げるだろうか。


「――たとえどんな姿になっても、目を反らさない。オレだけがオマエを愛してやるよ、ずうっとな」


 ふわふわと漂う不確かな意識の中で、聞こえるのはいつだってそんな声だった。それが現実に体験したものなのか、それとも私が生み出した妄想なのか、判断がつかない。ただ私はこうして眠るたび、深海を泳ぐ魚になって、朦朧とした現実と無意識の境の海をふよふよと漂いながら、ずっとその声を聞いている。甘あい果実を前にした時のように恍惚としていて、溶けかけのアイスクリームのようにとろけていて、それでいて毒を含んでいる。白雪姫が口にした毒リンゴのような声。
 ふわり、と、漆黒の海に赤い色が浮いては消え、浮いては消えを繰り返す。よくよく見ればそれは誰かの後頭部で、鮮やかな赤の髪を生やしたその誰かが消えて行くたび、魚になった私の小さな心臓は締め付けられるように悲鳴をあげる。全身を食らいつくすこの切ないような感情の答えが知りたくて、赤色が再び現れた隙を狙って、私はそれめがけて尾びれや背鰭を必死に動かした。すると後頭部はゆっくりと振り向いて、誰かの顔が私を見据える。翡翠石の色をした瞳が、絡み付くように私をとらえて離さない。彼は、誰だっただろうか。そう思った瞬間に、ばらばらと崩れ落ちるように世界が崩壊してゆく。
 海底からごうごうと炎が燃え上がり、なみなみと満たされた心地よい水は煮えたぎり、一気に蒸発してしまった。作り物のように甘いチョコレートでコーティングされた嘘の世界が、熱に炙られどろどろと溶け落ちてゆくのが見える。その頃には私は人間に戻っていて、ぼたぼたと降りそそぐチョコレートの雨を、干上がりひび割れた海底で浴びていた。
 それでも私は崩れ落ちた嘘を、生えた四肢を駆使して拾い集め、それに醜くすがり付いている。どうか、どうか夢が覚めませんように。どうかあの耐え難い現実が私の胸を抉りませんように。床に溶け落ちた茶色く甘い液体をみっともなく跪いて、啜ってみせる。だけどそれはすでに、苦い苦いビターチョコレートへと変化をしていて甘さなんてちっとも感じない。まるで薬のような苦さが口腔内を占領してしまう。そこまで来れば、あれだけ目をそらしたかった現実はすぐそこだ。苦味は痛みへと変化を遂げて、口から顎のあたり、頬、鼻、目へと次々と燃え移るように広がってゆく。しまいには顔中皮膚を剥き取られたみたいな痛みが走る。きつきと顔面を襲う痛みは、無情にも私を意識を偽りの世界から本当の世界へと引きずり出すのだ。






「お、やっと起きたのかよ」


 ぼやけた視界にまず映るのは天井の色。霞んだ視界ではそれが白なのか黒なのかすら危ういのだけれど、私の脳みそは彼の部屋の天井は確か黒色だったと記憶している。ひりひりと刺すような痛みを我慢して僅かに顔を動かせば、視界にふわりとした赤い色が浮かび上がる。翡翠石の色をした瞳が、絡み付くように私を見据えている。夢で見る顔と寸分違わない姿が、すぐ隣に横たわっていた。


「……アヤト、くん」


 逆巻アヤト。
 彼の名前を私が認識したのは、およそ一週間ほど前の出来事だった。私の記憶では確かに、私と彼の出会いは一週間ほど前の話なはずなのに、実際にはもっと昔から私は彼の事を知っているのだと聞かされた。全く、思い出せなかった。だけど毎日見る夢に、その片鱗を見る事がある。


「どうした、喉でも渇いたのか。水、飲むか?」
「ううん、目が覚めただけだよ。ありがとう」



 返答を受け、上体を起こしかけたアヤトくんがまた隣にごろりと横たわる。背中から伝わる硬く冷たい鉄の温度。アイアンメイデンの中で眠るのにもなれた。蓋を開けていてくれるので、息苦しくもないし、明るい。二人の距離の近さだけが少しだけ不便だけどあまり気にならない。
 上手く動かない口を動かして、二人で少しだけ話をした。特にこれといって意味もない、話そうが話すまいが世界の存亡には全く関わって来るはずもない、たわいのない話だ。その間ずっと翡翠石のような緑の瞳は、ずっと私を見つめていた。
 こうして目覚めると必ずと言っていいほど、隣でアヤトくんが私を見つめている。横たわる彼は、私のように動けない訳ではないはずなのに、私が目覚めるといつも隣にいてくれる。余りにも隣にいるものだから、24時間ずうっと、隣で見守ってくれているのではないだろうかと錯覚を覚える程だ。私がいつも寝ている間、彼は何をして暇を潰しているのだろうか。ただただアイアンメイデンに身を沈めているのだろうか。それとも私の知らない隙に部屋の外で用事を済ませているのか。聞いてみたことは無いし、私がそれを知る術もない。

「……でさぁ、」

 会話の最中、アヤトくんから伸びてきた掌が私の頬を軽くなぜる。壊れ物を扱うように、とまではいかないにしても彼にしては幾分も優しい手付きだった。それでも包帯越しに感じたその刺激は今の私には強すぎるもので、途端に襲ってくる焼け付くような痛みに息がつまった。


「……っ」
「……っと、痛かったか。でもよ、オマエ眠ってばっかだからそろそろオレも退屈だしな」
「ぅ、だ……だ、いじょ……」


 言葉すら満足に紡げない自分に嫌気がさす。燃えるように熱を持ち始めてしまった顔面が、大丈夫なんて言わせてはくれない。じぃとこちらを見つめる双眸に居心地が悪くなって身じろぎたいのに、それもままならない。包帯の下で焼けただれた顔面が、許してはくれないのだ。アヤトくんを、がっかりさせたくなんかないのに。

 今の私にはアヤトくんが全てだった。

 今からすこし前、わたしは大火傷をおった。――負った、らしい。
 一週間ほど前目覚めた私には、その時やそれ以前の記憶がなかった。アヤトくんは記憶を失った私に少しだけ驚いたあと、それはきっと火傷のショックによるものだろうと言った。今の私の記憶は、その時初めて、アヤトくんの存在を認識した。
 火傷は何日間も寝込むような酷いもので、目覚めてから随分時がたった今でもまだ包帯が外せないでいる。特に顔や首回りが酷く、未だに顔面を炎が這いずり回っているように痛い。満足に身体も動かせない。
 自分では水も飲めないため、こうやってアヤトくんが隣にいてくれなかったら、私は今頃熱と激痛にうなされながらあの世へと旅立っていたのだろう。目覚めてからこの方、この鉄の体から一歩も動けていない。まだ体力が回復していないからなのか、一日の大半を眠って過ごしている。


「覚醒しかけのオマエがこの程度のことで死ぬわけねぇだろ」
 私はもしかしたら、このまま死ぬのかもしれない。そう弱音を吐いた私にアヤトくんがかけた言葉。最初は意味が理解できかったけれど、彼がヴァンパイアだと知ってから、ようやく理解できた。以前の私がどうやってヴァンパイアと知り合ったのかは知らない。だけど彼らとながい時間を共にした私はヴァンパイアになりかけていて、ちょっとの事じゃ死なない体なのらしい。
 それでもアヤトくんがいなければ、こうして安穏とした毎日を生きていられないのだとおもう。私が雛鳥ならアヤトくんは親鳥。庇護を受けていなければ息さえも出来ない。


「……ごめん、なんかやっぱり辛い、かも。もう少しだけ寝させてね」
「んだよ、オマエほんっとにずっと眠ってるよな」
「……ん」
「ま、今回は許してやるよ。早く動けるくらいにはなってもらわないと、オレ様も楽しみがないしな。いろいろと」


 痛みもそろそろ限界だった。とはいえ、今回はいつもよりも長く会話が続いていたような気もする。満足して目を閉じればもう一度アヤトくんの指が頬をそっと撫でたという事を痛みが教えてくれる。

 こうしてアヤトくんと話していられる時間は楽しい。だけど私は恐ろしかった。

 包帯の下にひっそりと隠れた酷く痛むこの顔は、既に人間のそれではないに違いない。私は既に化け物なのだ。隣に横たわるヴァンパイアみたいに、月のよく似合う麗しい夜の怪物なんかではない。一目見るだけでおぞましい気分になる、醜悪な化け物。ハロウィンに見かけるデフォルメされた可愛らしい化け物なんかではない。
 本物の、バケモノ。


20130322

   

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