人と人とはそれぞれ考え方は違うけれど、その価値観を受け入れて、みんなで手を繋ぎ、みんなで助け合い、みんなで仲良く生きていきましょう。
 小学生の時の担任の先生はとても人のいい先生で、にこにこと笑顔を浮かべながら、そんなような事をわたしに教えてくれた。幼いわたしはそれにいたく感銘を受けて、どんな人でも理解して、受け入れて、仲良くなるように努力をしようなんて考えていた。けれどそんなのは無理な話なんだなって、高校三年生になって、わたしは漸く理解した。
 人というのはきっと、自分とは考え方の違う人や、何か失敗をしてしまった人、変わった性格の人、容姿が醜い人や、逆によすぎる人、とにかく自分とは違う異端を弾き出す生き物だ。それはきっと当たり前の事で、特に、自分のしでかしてしまった事で周囲から人が遠ざかってしまったのなら、それは受けるべき当然の罰の一つなんだから。


「ていうかさ、苗字さんと無神くんって最近よく一緒にいるよね?」

 休み時間は苦手だ。わたしには痛すぎる言葉が耳に入ってくるから。

「ほんと、苗字さんってどういう神経してるんだろうね、あんな事件引き起こしておいてさ」
「無神くんもあんな頭のおかしい子の事、放っておけばいいのにね。包丁で切り付けるとか、怖すぎ」
「私、まだあの日の事忘れられないよ。苗字さんが血で真っ赤に染まった包丁持って無神くんの事見下ろしてるんだよ」
「やだ、ホラー映画みたい」

 こわーい、と囁きあう声を、ざわざわと煩い教室の中でもひときわよく聞き分けるこの耳なんか嫌いだ。
 あれはわざとじゃなくて、なんて弁明しても、意味の無いことなんだろう。事実は変わらないのだから。両耳をふさいでしまいたかったけれど、そんな風に自分の罪から逃げるのは違う気がして、じっと机の上に両腕をおいて、無言を貫き通す。
 ちらちらとわたしの席を見つめながら話している子の一人は、あの日同じ班をしていた女の子だ。わたしはあの子にも嫌な思いをさせてしまったんだなあ、と、クラスの中での居場所がどんどんと無くなっていくのを感じた。あの日わたしがクラスじゅうに大きな衝撃を生んでしまったのは、事実だ。いい思いをされないという事も、当たり前の事。わたしはすっかりクラスメイトの中で、包丁を持って暴れ出したクレイジーな女という位置付けがなされた。クレイジーな女は、彼女らの価値観にけして受け入れられる事はない。
 いつも休み時間を一緒に過ごしている子も何だかよそよそしくなって、ついに一人ぼっちで過ごすようになってしまったのは、つい昨日の話。
 思わず彼女たちの方に目を向けたら、きゃあっと鴉が鳴いたみたいな悲鳴があがった。

「今こっち睨んでたよね? 聞こえてたんじゃない?」
「え、やだ、また包丁持って暴れだしたらどうする?」

 殺人鬼でも見たのではないかというような、恐怖に満ち溢れた瞳。
 ああ、やってしまった。
 わたしは咄嗟に視線を自分の机に戻して、袖口から包帯の覗く自分の腕を見下ろし、じっとしている事にする。一人ぼっちで過ごすこの時間が怖い。休み時間なんかなければいい、早く次の授業が始まってしまえば、みんなの声を聞かなくても済むのに。ざわざわと煩い教室のなか、黒板の前で喋ってる男子のグループも、教室半ばで談笑する女子のグループも、あっちの男女も、みんながわたしがアズサくんにしでかした事について、どれだけ罪深い事なのか、どれだけわたしが恐ろしい女なのかという事を議論している気がする。怖い、怖い。ぴくんと机の上の指先が動いて、ついに両耳を手で覆ってしまった。
 その手首をぎゅっと掴まれたのは、その瞬間だ。突然の冷たさに、びくりと肩が震える。

「……名前さん」
「え?」

 アズサくんが立っている。アズサくんはいつでも神出鬼没で驚かされるけれど、今日ほど驚かされた日があるだろうか。手首に伝わるその冷たさに少しほっとしてしまっている自分の浅ましさに、嫌気がさす。さっきまできゃあきゃあ言っていた女の子たちは、現れたアズサくんをみあげて、口をあんぐりと開けてしまっている。

「いこう」

 短く一言だけ告げると、ぐいっと腕を引っ張られ、立ち上がる事になった。たたらを踏むわたしを支えてから、きっちり手を繋ぐと、アズサくんはわたしの手を引いて歩き出す。教室の中心を突っ切り、クラスメイトを掻き分けて、教室を後にする。ぎゅっと隙間なく繋がれる手と手は冷たいのに何だか暖かくて、けれど皆の視線が注がれているんじゃないかと思ったら少し居心地が悪い。








「アズサくん、アズサくん、授業……!」

 アズサくんに腕を引かれ黙々と廊下を歩いてから数分、もう教室に戻らなければ次の授業が始まってしまうという時間になっていた。訳もわからず足を動かしていたわたしが流石に立ち止まれば、アズサくんも立ち止まってこちらを振り向いた。はあ、はあ、と息が上がっているわたしに対し、彼はいつもどおりのどこか虚ろな印象を受ける顔で、こちらを見ている。

「あの、授業、始まっちゃうよ?」
「……授業なんて、出なくたっていいでしょ……?」
「え、っと、サボるってこと?」
「……うん……」

 たまにアズサくんが席に座っていない事があるけれど、こうして抜け出していたのだろうか。流石にわたしはそういう事をしたことがないし、その為に教室を出てきたというのなら、何故アズサくんはわたしを伴ったのだろう。
 何となく、アズサくんの視線から逃れるように下を向けば、二人の身体の間を繋ぐ架け橋のように二つの腕が伸び、いまだにぎゅっと繋がれたままでいて、どきりと心臓が跳ね上がってしまった。

「ご、ごめん、手……!」

 咄嗟に離そうと手を動かしたけれど、アズサくんの指はしっかりとわたしの指に絡み付いていて、強い力で繋がれていたため、ぶらんと二人の腕が揺れただけの結果に終わってしまった。恐る恐る顔をあげれば、すぐそこのアズサくんは、少し悲しそうな顔になっている。

「……ねえ、俺に手を繋がれるのが、……いやなの?」
「え?」
「だって、今、手を離そうとした。俺から、逃げたい……? 俺は名前さんにとって、必要ない……?」
「……ちが、わたしは、アズサくんが嫌なんじゃないかと思って」

 みるみるうちに翳りを見せる顔に思わず言えば、今度は首を傾げる彼。
 憎い相手とこうして手を繋いでいるなんて、彼を傷つけてしまった汚いわたしの手を握るなんて、とても気持ちが悪い事なんじゃないかって、そう思うのだ。さっき向けられたばかりの、クラスメイトの恐怖に満ち溢れた瞳が、網膜に張り付いてしまったみたいに消えなくて、瞬きをするたびにわたしを責め立てる。アズサくんが一番、わたしにああいった瞳を向けるべきなのに、アズサくんはそうはしない。それどころかこうして手を繋いで、わたしをあの教室の中から救いだしてくれた。彼にどういった思惑があったにせよ、今のわたしにとってアズサくんは救いの光のように見えてしまい、そう思ってしまう自分が、この冷たいのに暖かい手にすがり付いてしまいそうになる自分が、嫌で嫌で仕方がない。

「俺が君の手をとったのに、俺が嫌がる……それって、どういうこと……?」
「だって、わたしはアズサくんに――」
「……?? 名前さんは、嫌じゃないって事?」
「………………うん」

 頷くべきじゃないと分かっているのに、頷いてしまった。そうしたらアズサくんは「よかった」と言って、恋人同士がするように、わたしの五本、アズサくんの五本、計十本の指と指を絡め合わせて、ぎゅっと再び握ってくる。それに今までとは違う意味でどきりとしてしまった出来の悪いわたしの心臓が申し訳なくて、一歩後ずさる。絡み合った二人の手は離れず繋がれたままでいて、かかる橋が二人の距離に比例して、ぴんとはりつめた。

「嫌じゃないっていったのに……逃げるの? どうして?」

 アズサくんはまた傷ついたような顔をしてしまって、わたしはアズサくんが何をしたいのかほとほと分からなくて、泣き出しそうになってしまう。ごめんなさいも受け入れてくれない。憎い人にするようにわたしを傷つけたと思ったら、わたしにもナイフを握らせ、傷をつけさせる。わたしが怖いと思った時、手を繋いでくれる。
 一歩後ずさると、距離を積めて、身を寄せてくる。二人の距離に比例して、ぶらんとたわむ架け橋。

「だって、……わたし、アズサくんが分からないよ」

 分からないから怖くて、離れたいのに、申し訳ないのに、こうして繋いだ手にすがり付いてしまいたくなる自分もいる。どうしよう、どうしよう、感情が押さえきれない。なにかが競り上がってくるみたいに、胸の奥から戸惑いが込み上げてくる。もう一歩足を引いたら、もう一歩積められる。

「……君の方が、分からない。どうしてそんな顔をするの? ねえ、どうして? どこかが痛いから? ナイフで痛そうにする君の顔は可愛くて好きなのに、その顔は、嫌いだよ……」

 意味が分からないのは、アズサくんの方だ。どうしてアズサくんは、そんな顔。

「……君は俺といると、ずっとそういう顔をしてるんだ。俺を見るたびに、びくびくってして、身構える……。初めは気にならなかったのに、最近、君のそういう顔を見てると……」

 繋いでいない方の手で握り拳をつくると、ぎゅっと胸の前に押し当てたアズサくんの顔が、ぐしゃっと歪む。

「この辺りが痛いんだ。身体の痛いは好きなのに、見えない痛いは気持ち悪いから、嫌いだよ……」

 わたしもだ。胸がいたい。アズサくんにナイフで切られるよりもずっと、もっと、ずきずきと痛い。心臓をずたずたに切り裂かれているみたいだ。ぼろぼろと、競り上がったなにかがついに涙としてこぼれ落ち始める。

「……どうして泣くの……?」

 アズサくんはわたしの罪が始まった次の日にそうしたみたいに、また不思議そうな顔をして、繋がれた腕を引き、わたしの事を抱き締めてくれた。繋がれた手は離れてしまったけれど、背中に回されたその腕の中は酷く落ち着いて、耳朶におちる彼の戸惑ったような声が酷く心地いいのだ。

「……さっき、教室でいるときも、そうやって泣きそうな顔してた……」
「……っ」

 アズサくんの細い指先が、ゆっくりと涙の跡を伝う。

「俺も、分かるんだ。一人ぼっちは、辛くて、怖い……」

 だからアズサくんは、居場所の無くなったわたしを教室から連れ出してくれたのだろうか。拭った涙に柔らかく口付けをしたアズサくんはまるで、王子様みたいだと思った。どきどきと、意味が分からないくらいに、心臓が鳴っている。
 どうしてアズサくんは、憎いはずのわたしに、こんな風に優しくしてくれるの? これもわたしに罰を与えるための何か? だったらわたしは、この難解な言葉をどうやって噛み砕いて、どうやって受け止めるのが正解なんだろう。

「……分からないよ」

 キーンコーンカーンコーン、と、状況にそぐわないような間の抜けた始業を告げる鐘の音が、吐き出したわたしの声に重なった。授業が始まり、静寂に満ちた廊下で、わたしとアズサくんは分からない、分からないとしきりに呟きながら、互いの体温を分かち合っていた。
 わたしの価値観とアズサくんの価値観は、なにが一緒でなにが違っているのだろう。

20131212

   

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