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何故俺は此処にいる?

見上げた四角形に切り取られた空は、気の毒なくらい鉛色一色だった。







がん、がん、がん。

耳に残る、鼓膜に刻まれた銃撃音。
熱をもった銃身が今、ひとつの心臓をもって脈打っているみたいだった。
気付けば全力疾走を終えた後のように荒い息を繰り返している。
果たして、今日でもう何日目だ。
こんな地獄に放り込まれてから一体何日たった…。時間感覚はすでになく、朝から何時間たったのか、夜まで何時間あるのかさえわからなくなっていた。

一体、いつになったら終わる?
あと何日経てば解放される?
考えることは他には何もなくて、断末魔と銃声がずっと耳から離れない。


廃墟と化した街。あちこちでコンクリートが剥き出しになった建物。爆破され、煙を上げる車。土嚢とブロックで囲まれた路地。

何故、どうして。

さっきからずっと、その一語が何度も何度も脳内を反芻していた。まるで、途方もなく巨大な何かの前に、茫然と立ち尽くしているかのように。
どうしようもない。なすすべもない。
果たして、この愚かな感情が吹っ切れた先、その先に何がある…?



『ボリス、ダメだ…戻れないっ』



声が聞こえた。懐かしい声だった。



『こ、孤立…嘘だ、そんなっ…嘘だっ!こんなとこで死にたくなんかねぇよ…!』



死にたくない、
そう言えば救われるとでも、その時の俺たちは思っていたのだろうか。















「…っ…、はぁっ…」



唐突に覚醒した。
視界に飛び込んできたのは、煤けた瓦礫でも重苦しい鉛色の空でもなく、何の変哲もないただの白い壁だった。



「…くっ、…ぁ…はっ…く」



息を吐こうとしてそれさえままならないほど上擦る呼吸。じとりと背中に感じるのは、冷えた汗だ。
くらくらした。
久しぶりの悪夢だった。



「…ユー…リィ…」



思わず、自嘲してしまう。
もう顔も思い出せないだろうと勝手に思い込んでいた男の顔は、バカみたいに鮮明に映っていた。声さえ、今でも耳元でがんがんと響いている。まさか、自分の脳みそがここまで優秀だったとは…、呆れた。



「…いらねぇんだよ、…ったく」



呟いた悪態は誰に届くわけもなく、独り虚空に消えてゆく。

日の出にはまだ随分早かった。




















「スターリングラードねぇ〜…」
「確かお前んとこの、ロウドフさんて退役軍人じゃなかった?」
「えー、そうだったっけっかなぁ?俺覚えねぇケド」
「はぁ?頼りになんないヤツ…」
「そりゃあ、悪ぅござんしたね」



べー、と小生意気に舌を出す男の名前は、カンシュコフ。これこそまさに腐れ縁というか、コプチェフと彼は職場は違えど昔からの気のよい仲だった。たまにこうして顔を合わせた時はよく話をする。



「ガキか、お前は」
「うっさいなー。…んで?なんでそんなこと俺に訊くの?」
「ま…、ちょっと…」
「ちょっと?」
「…んー…しゅみ?」
「はっ、」



お前バカじゃねぇの?と、あからさまにバカにした顔をするカンシュコフ。ゲヘヘ、と下品な笑い声をあげて、彼は言う。



「なにコプ、オッサンに興味あんの?」
「お前…、仮にも上司にオッサンはいいのかよ」
「あ、ヘーキヘーキ。今いねぇもん」
「いや…そういう問題じゃないからさ」
「で?なになに?オッサンフェチに目覚めちゃったの?…っ、…ぁイデっ!」



悲鳴を上げるカンシュコフ。
そのニヤニヤとしまりのない鼻っ面に、コプチェフが思いっきりデコぴんをかましたのだ。
彼は顔面を押さえて悶絶している。



「はぅっっう、うぅ…!」
「んなわけねぇだろ、ばぁか。…だからお前の相手は疲れんだよ…」
「いーだーいー!おまっ…容赦なさす…っぎぅ、痛い痛いぃ!」
「ぎぅ?…ま、ともかく、お前が使えないことはよくわかった」
「はっ、ヒドっ…!」



あげく涙目になった彼は、ずるずると縋るようにコプチェフを見つめた。
同い年のくせに童顔な彼は、そんな顔をするとますます乳臭くみえる。同じ涙目でも、ボリスのあの色っぽさとは大違いだ…とコプチェフは一人納得した。



「そういやお前、今日なにしに来たんだっけ」
「言っただろっ、最近担当任された囚人がムカつくーぅ〜ぅ!って」
「囚人?」



カンシュコフはこの街から山一つ隔てたところにある監獄の看守をしていた。
囚人イジメが趣味という彼の最近のもっぱら悩みの種は、担当を任された囚人による下剋上だった。今日は街のミリツィア訪問のついでに、日頃のグチをこぼしに来たらしい。



「そっれがもう、信じられねーんだって!怪力、極悪、非道!マジで人間じゃねーよ、あいつ」
「はぁ?…よくわかんないんだけど」
「だから、ドアが、ドアがっ、べこんって、こう、べこんって…!!」



必死でなにやら(ジェスチャー混じりに)語りだすカンシュコフをスルーして、コプチェフはふと思索に耽る。
そういや今日は相棒とのパトロールはあっただろうか?1日たって、少しでも機嫌が治っていればいいのだが。いづれにせよ、少しばかりやることはあるかもしれない。



「…そんで、もう眼力がっ、眼力がやべぇのっ!こんくらいの覗き窓なんだけどそいつの眼が、眼が眼がっ…。俺もう夜寝れねぇんだって!もう、恐くってさ、マジ夢にでてくんの眼がっ、眼がっ!それもめちゃくちゃリアルなんだってマジでっ!!…ってオイ、コプ聞いてる?」
「…あ、ボリスっ…」
「はっ?」



ふと、何気なく見やった廊下突き当たり、コプチェフには至極馴染みの背中がひょっこり現れた。
彼は何やらポケットを探っていて、どうやら目の前にある自販機で何か買うつもりらしい。
視力には自信のあるコプチェフが見守っていると、彼は恐らくブラックコーヒーと思われるボタンを押した。



「あー、ブラックかぁ…」
「なに?なになに?なにが?」



食いつくカンシュコフをまんま無視してコプチェフはぼやく。
ボリスがブラックを飲むのは、決まって眠気の激しい時やキツい時だ。もしかしたら、昨日は眠れなかったのかな、なんて…相棒観察には事欠かない。



「オイ、コプ。…なんだよ、なに見てんの?」
「ん?、俺の想い人」
「へっ!?マジ、ちょっ…なんだよそれ、どこ?誰誰?」
「うっそー、バーカ」
「はぁぁ???」



カンシュコフの間延びした声が天井に響く。そりゃこんな奴なら、囚人だって下剋上したくなるだろうよ(…なんか、ムカつくし)、と思う反面、ただし脱獄だけはさせないでくれよ、と頼む気持ちは追いかけるのはきっと自分達だろうとわかっているからだ。


ふと、嘘だと言った唇がどこか決まりの悪そうにしているような気がした。
けれど、もう一度見やったそこにはもうすでに彼の姿はなかった。

どことなく寂しく感じた想いは、もっと強い感情を秘めている。
もっと、見ていたい。もっと、声を聞きたい。もっと、そばにいたい…。そんな際限ない欲求がどこからか溢れてくるのに、自分でも驚いた。
そんな些細などよめきが、一体自分は彼に何を求めているのだろうと囁きかけてくる。

もしかしたら、それはもう…答えを知っているのかもしれない。



















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