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コーヒーの飲み過ぎで、胃が重い気がする。いや、寝不足が体全体に祟っているに違いない…。究極に…ダルい…。


風が少し冷たいせいか、ボリスの他に屋上には人っ子一人いなかった。
シンと静まったそこは、広く灰色の街と灰色の雲が見えるだけ。煮えきった思考を鎮めるにはちょうど良かった。
ボリスの手には、場違いにボールペンが握られている。無我夢中で席を立ったあの瞬間…思わずそれを置いてくるのを忘れ、持って来てしまったのだ。学生の頃覚えたペン回しで弄ぶそれは…手痛く、あの瞬間の自分の余裕のなさを物語っている。



「バカやろ…」



百回言ったって足りない気がした。
ごめん……って、あいつが謝る必要なんかなかったのに。あいつは何も悪くなんかないのに…。
どうしてあの時、自分じゃなくて同僚の女の子の方を選ばなかったんだ。どうして、自分なんかを…あいつは…。



「…バカ…やろ…」



つまらない意地を張っているのはこっちだと、そんなことはいっそエグいくらいにわかっていた。何年この性格と付き合ってきたか知れない。筋金入りのバカは、むしろこっちだ。


くるり、くるり、と回転するペンは訳もなく無邪気に見える。軽快な動きを指は記憶していても、心は重かった。


視界がスッキリせず、どことなくぼーっとしているのは、言うまでもなく寝不足のせいで…。
ずっと後頭部がズキズキと痛むのも、きっと寝不足の余計なオプションに違いなかった。
もともと、眠るなんていう動作が苦手で、普段から寝つきが悪く、眠れても眠りが浅いという、いわゆる不眠症ではあった。
しかし、だからといって、こんなことは馴れている…なんて、とても簡単には言いきれない。
持っている薬はどんどん体の耐性がついて、飲んでも飲んでもいつの間にか効かなくなった。その度に強い薬を貰いに行かなければならなず…、もうこれ以上は、と医者からは何度も釘を刺されていた。
しかし、それでもダメなのだ。それでも…眠れない…。医者の許可がなければ手に入らないようなキツい奴でも…また効かなくなってしまう。



「……っ…」



ふと、強く、ニコチンが欲しいと思った。

狙撃手として、タバコのような中毒性のあるものはご法度だったが、それでも、物凄く体に悪そうな奴を思いきり吸いたくなった。

そう…緩く、軽い、自殺の気分で。
ここから飛び降りるなんてことは、もちろん他人様に迷惑がかかるし、ぐちゃぐちゃな死に方なんてみっともなさすぎるし…。
せめて、見えないところで肺胞細胞をぶちぶち死滅させるくらいなら、誰も文句を言いやしないだろうから…。

冷たい風がうなじの髪をくすぐってゆく。目蓋を閉じなければ、眩暈がしそうだった。




ガシャンという大仰な音を鳴らして、ボリスは飛び降り防止のフェンスに背を預けた。微妙にたわむクッションがどこか頼りなく、そのままずるずるとその場にうずくまる。


左手首の腕時計は、そろそろ昼休憩の終わりを告げていた。


あと20分、15分、10分、…時間だけは容赦ない。




「ごめん…コプチェフ…」



思わず呟いたその名前に、ぎゅうと胸が苦しくなった。
罪悪感と背徳感。
今頃、自分が来るのを一人で待ってるだろうな…なんて、彼が不安そうに時計を確認する姿が目に浮かんでしまう。
いっそさっさと諦めて、他の奴と行ってくれればいいのに。相棒なんて最低な野郎だって、もういっそのことうんざりしてくれればいいのに…。

しかし、彼は待っているんだろう…きっと。



相棒になって約半年、彼の人間性の豊さはいやというほど思い知らされていた。

さっき彼がどんな思いで声をかけて来たのかも、だいたい想像がつく。
彼なりに今まで通り元に戻ろうと、相棒として分かり合おうと、何より自分を優先してくれている。優しい彼ならきっと、何もかも受け入れ理解してくれる…そんな、漠然とした確信だってあった。
それがいわゆる、信頼だとか信用だとかいう、皆が喜んで口にするものなのかもしれないと、どこかで自嘲しながらも。





彼とコンビを組んでからの半年間はあっという間だった。

実を言うと最初の頃は、一年が限界だと、勝手にそんな風に思っていた。無理やりに“相棒を持て”なんて言われて、一年ぐらいの関係ならと、嫌々妥協してのこと。それで持った、彼はミリツィアに入ってから初めての相棒だった。
信頼?信用?…そんなものは、ただのクソだと思っていたし。保育園児じゃあるまいし、仲良しこよしだなんて…もう二度と御免だと…。

そんな気配は彼も察していたに違いなく、彼だって大層失望したことだろう。
そりゃせっかく組んだ相棒が、信頼なんてクソ喰らえ、じゃどうしようもない…。それもこっちは、これで愛想尽かされるならそれはそれで大歓迎!…なんていう腹づもりだったから、尚更ヒドい…。


しかし、彼は音を上げなかった。
彼自身どういうつもりだったのかは分からないけれど。相当我慢強い性格なのか(そうは見えない…)、別に何か理由があるのか。ともかく、コンビ解散なんてことにはならなかったのだ。


そして、いつの間にか…お互いの呼吸が合うようになり、ミリツィアでも名前のでるコンビになっていた。相性だとかいうものをまともに考えたことなんてなかったけれど。それでもそれは、仕事時に限らず、日常のふとした瞬間にも感じられるようになった。
気付けば…、いつの間にか彼という存在を受け入れ、いつの間にか彼の笑顔を心待ちにしている。

そんな自分が、いて……。



「……っ…」



それは本当ならば許されることではない。本当なら、自分はそんな存在を持ってはいけないのだから…。
こんなことになるのなら、初めから安易な妥協などせずに、相棒なんて断固組まなければ良かった。

けれど、一度抱いた気持ちを消すことはできない…。
彼と築いたこの関係を…ぶち壊すなんて……とても…。





ふと見やった時計の針は、淡々と休憩時間の終了を告げていた。























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