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運が悪いことに、今日もパトロールの予定は入っていなかった。
パトロールは二人だけになれる絶好の機会なのに…欲しい時にないなんて、何だこれは、何か仕組まれているのかこれは…。
はぁーと、ほぼ条件反射的にコプチェフは本日何度目かの深いため息を吐く。偶然すれ違った人に気の毒そうな顔をされてしまった。
まさか相棒とケンカなんていう事態が、こんなに深刻になるとは…。
ともかく何とかしなければ。
もどかしくも、逸るような焦るような気持ちがコプチェフの心の中で渦巻いている。
こうなったら、自分から機会を作るしかない。今回ばかりは時間が解決してくれる、なんて悠長なことは言ってられなかった。













ひとつ、ふたつ…。

昨日よりひとつ増えている。
苦味でお馴染みの缶コーヒーが、彼のデスクの上で仲良く並んでいた。
当の本人は今にも突っ伏しそうな(ほぼ突っ伏している)態勢で、何やら物を書いている。裁判所に提出する記録書類かもしれない。つい先週まで、とあるヤク売りの組織の張り込みをしていた。おそらくそれの関係書類に違いない。勿論、コプチェフも同じものを書いている途中だ。
昨晩も寝れなかったのだろう。
その背中からは険悪な雰囲気がプンプン漂っている。他の同僚たちもその気配は察しているらしく、みんなどこか遠巻きだった。

よし、頑張って声掛けようっ…。
心の中で自分にファイト、だなんてどこの少女漫画だか…。自嘲しながらも、一歩、一歩踏みしめるように彼に近付く。落ち着け、なんて考えるとなおさら緊張してしまうようだった。いつも通り、いつも通り、…なんて呟いてる時点ですでにいつも通りじゃない。
と、その時だった。



「コプチェフくん、」
「はっ…えっ」



そりゃもう集中していただけに、突然のそれには心臓を吐き出しそうになった。
案の定、まともな返答ができなかった気がする…。振り返ったそこ、馴染みの同僚の女の子が立っていた。



「あ、何…どうしたの?」
「どうしたの、じゃないでしょー。この前、お昼美味しいとこ連れてってくれるって言ってたじゃない。いつになったら、連れてってくれるのー?」



そんな約束したっけか…。
地味に記憶がなかった。余裕がない時に、これはキツいボディーブロー。なんつー、KYな女…。顔が引きつりそうなのを、コプチェフはなんとかこらえた。



「あ、ごめん。今日はちょっと、いろいろあってさ…」



いろいろってなんだー…。
我ながら、ヘタクソな言い逃れだった。しかし、この会話が相棒の耳に届いていたらと思うとまともに頭が動かない。



「また、今度。ちゃんと連れてくからさ、お願い、もうちょっと待ってて…」
「もー、絶対だよー?」



多分可愛い部類に入る彼女は、タイミングは最悪だが、物分かりはいいらしい。可愛らしくふくれっ面をする顔は、うん、確かに可愛い…。バイバイなんて、手振ったりして…、うん、確かに可愛いな。(もしかしたら、誘ったかもしれない…)


彼女の後ろ姿が廊下の角に消える。ちらっと奥の机の彼を見やると、彼は相変わらず書類に没頭しているようだった。心なしか、コプチェフはほっとして今一度深呼吸する。

いつも通り、いつも通り…。



「…ボリス、…」



声は多少上擦ってしまったかもしれない。ぴたりと、彼のペンが動きを止めた。



「あの…さ…」



声が小さくても聞こえるように、近くにある自分の椅子を引っ張って座った。

周りからはごく自然に見えるように、けれど何を話してるかは聞こえないように、と細心の注意を払う。
背中同士を向け合う姿勢のまま、声を絞った。



「その…、昨日は…ごめん。謝るよ」
「……」



ボリスは身動きひとつしない。
彼の顔を見たい衝動に駆られたが、必死で我慢した。



「それで、さ…昼飯…ちょっと外に出ない?俺、奢るからさ」
「………」



返事がない。
じとりと、背中に嫌な汗をかいた気がしてコプチェフはごくりと唾を飲み込んだ。
さっきの女の子との会話がまずかっただろうか。しかし、普段の彼ならそんなこと気にしないはず…。
いや、普段じゃない?
もう、いつも通りじゃない?
まさか…。
ぐるぐると、頭の中で疑問符が回転していた。まるで、一秒一秒が十倍に引き延ばされたみたいで。沈黙をひどく長く感じる。焦燥感がどんどん膨らんで…、ヤバい、やっぱマズかっ…、



「バカ…やろ…」
「え?」



ガタン。
彼が椅子から立ち上がった音だった。
驚いて振り返ったコプチェフに一瞥もくれず、ボリスは逃げるように部屋から出て行ってしまった。






























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