「おい、コプチェフ…それどうした?」



1日の仕事を終え、ロッカールームで着替えている時だった。
ふいにかけられた何気ない言葉は、仲の良い同僚の一人のもので、彼の視線はコプチェフの背中に向けられていた。



「それ?…それって何?」
「その傷だよ、ほら」



彼が指差した肩甲骨より僅かに下あたりを、ロッカーの扉の鏡に映してみる。するとそこには赤い筋が平行に二三本、痕になっていた。



「うわ、気付かなかったな…」



もしやと思い、反対側の背中も鏡に映す。案の定、ほぼ左右対称にそれはあった。
明らかに、何かに引っかかれた痕にみえる。



「何だよ、色男〜。お前、いつの間に女つくったんだよ」
「なになに?コプどんな女とヤってんの?」
「はっ?ちょ、待てよお前ら…っ」



…時すでに遅し。
バシン、と笑われながら肩を叩かれ、コプチェフは弁明のタイミングを逃してしまった。
もうすでに話はすっかり纏まっていた。

“コプチェフに女がいるらしい…”

ヘタな話題よりも素早くかつ能率的に、そのネタはあっという間に近くにいた仲間たちの耳に届いた。
着替え途中だったはず彼らは、嬉々とした表情を満面に浮かべてしどろもどろになっているコプチェフを取り囲む。
ロッカールームはいっぱしの取り調べ室と化した。
もちろん、容疑者Хはコプチェフである。



「なぁ、どんな女なんだ?美人?カワイイ?気の強ぇやつ?」
「…ま、待てって…」
「おい〜吐けよ〜コプ。水臭ぇじゃねぇか」
「あ、もしかしてこの前呑みに行った時の娘?」
「い、…や…、そういうんじゃ…」



すっかり追い詰められてしまったコプチェフは、視線を明後日の方向に向けた。
否応なくテンションの上がる同僚たちは、こうなったらカンタンには引き下がらない。
普段なら、あっさり流せるはずなのだが…。話題が話題だけに、いつもの調子がでない。

なんたって、…コレは…。


一方、同僚たちは珍しく口ごもるコプチェフにこれはいよいよマジっぽいぞ、とさらにテンションを上げる。



「なんだよ、お前今回マジなわけ?」
「俺らにも言えねぇくらい?」



当たってるには、…当たってる。

が、ここで頷くわけにはいかないのだ。
コプチェフはなんとかしなければ、と必死に言葉を探す。
ところが、



「なに、もしかして俺らも知ってるヤツ?」



グサリ。

ず、…図星だ。

コプチェフの脳裏にいつも不機嫌そうに眉間にシワを寄せている恋人の姿が映った。こういう時だけやけに鋭い同僚たちも、もっちろんよーっく知っている人物だ。



「や、…や…知らない、知らないって!」



苦し紛れに嘘をついた、まさに、その時だった。

ガチャリ。ナイスタイミングでロッカールームの扉が開いた。



「おつかれーっす、」



扉から現れた人物は、なんと…。



「や、やぁ…ボリス、」



ボリスはロッカールームに入って来て早々、ぴたりと足を止めるハメになった。
状況が状況だけに思わず引きつった声を出したコプチェフと、それを取り囲むように集まった状態で、ざっと一気に振り返った同僚たち…。まさにそんな異様な雰囲気に、さすがのボリスも瞬間そのまま硬直してしまったのだ。



「な…、お前らなにやってんの?」
「なにって…」



そりゃ彼も驚くだろう。
なにしろ、もうそれなりにいい歳した男どもが、半裸の様相(着替え途中)で自分の相棒を束になって取り囲んでいるのだから…。
ボリスは未だ、入り口に突っ立ったままでいる。



「いや、コイツにさ新しい女ができたっぽくってさー」
「…コイツ?」
「コプチェフだよ」
「ボリス、お前の相棒だろ。なんか知らねーの?」
「…女??」



ボリスの眼が驚きに大きくなった。



「(うわ、最悪…。)」



コプチェフは絶望にうちひしがれた。



「女って、どういうことだ?」
「なんだ。ボリスも知らねぇのか」
「どんだけ秘密主義なんだよ、コプ」



いやいやいやいや…!!
真っ青になったコプチェフは必死でボリスに視線を送った。



「(ゴ、カ、イ!…誤解だって!!)」



しかし、ボリスは皿のように冷めた眼でコプチェフを見ている。
…いや、睨んでいる。

これは、ヤバい…!
コプチェフの脳内で警報機が作動した。



「だ、だからそんな女いないってば!ちょ、ホントだって…!ボリス、信じて!」
「なんでお前ボリスにすがってんだよ」
「…なんで?ボリス」
「知らね。つか、どーでもいーし」
「ボリスーっっ!!」



ぷいとそっぽを向いて、自分のロッカーに向かうボリス。
どーでもいい…どーでもいい…。
もはや死刑宣告に近いセリフが、何度もコプチェフの脳内をエコーする。
コプチェフは必死の形相でボリスに飛びついた。



「ボリスっ!ね、ちょ…ホントに誤解!濡れ衣!冤罪!!お願い、信じてよっ!」
「うるせ、黙れボケ」
「ボリス〜っ!!」



もはや半泣きのコプチェフに、当然、周りはみんな置いてきぼりをくらっている。
なぜか絶体絶命に陥っているコプチェフと、なぜか最恐に不機嫌になっているボリスと、に何がどうなっているのかわからない。



「ボリスー!俺を信じてよー!」




ロッカールームには悲痛なコプチェフの叫び声が響き渡った。




























この赤い引っ掻き傷は、
もちろん、
彼がつけたものだ。
情事中に。


痛みと快楽の狭間で喘ぎながら必死でしがみついてくる彼は本当に愛おしくて、愛おしくて。
本来はそうではないのに受け入れる方として、行為がどれだけ辛いのかは、もちろん想像ではあるが十分わかっているつもりだ。
こちらだって最中は夢中になっているし、彼が思いきり爪をたてるのは、ほんとにもうこればっかりは仕方ないというか…。
むしろ、彼が自分の存在を求めてくれているみたいで嬉しかった。不器用な彼の、一種の愛情表現みたいで…。

なのに、そのせいで。まさかこんな目にあうとは。…どれだけ運が悪いんだろうか。











「ねぇボリス、わかった?つまり、こういうことなんだって。…みんなが勝手に早とちりしただけで…」
「………」



ボリスはむすっとした顔のまま、無言で歩き続けていた。
舞台は変わって、独身寮への帰り道である。真冬にはまだ少し早いが、もう随分寒い夜道はすっかり雪に覆われていた。
コプチェフが早口にしゃべるたびに、白い息がぽつぽつと宙に舞う。



「もしかして、まだ信じてくれてない?」
「…べつに…」



なんとも頼りない返答だ。
ロッカールームでの、皆からの猛追を逃げ切ってからここまでを、コプチェフはずっとああなった経緯と弁明に費やしていたのだった。
けれども当のボリスがこんな調子では、一体どうしたものか…。



「あのさ、ボリス。俺は…」



ボリスのチョコレート色の髪は、心許ないガス灯の明かりでは暗く沈んで映る。
コプチェフは、渾身の声を出した。



「俺は、…もうボリスしか眼中にないから」



ぴたり、とボリスが歩みを止めた。
俯いて陰ったその白い頬が、ほんのりわずかに色づいている。
彼は、息詰まりながら口を開いた。



「ばっ…か…やろ…。んなハズいこと口にすんじゃねぇよっ…!」



吐き捨てるようにボリスはそれだけ言って、ズカズカと一人で先に歩いて行ってしまった。

その、寒さに丸くなった猫背がどこか微笑ましく映る。もう自分でも無意識に、コプチェフの頬は緩みまくっていた。




「俺、ボリスのこと世界で一番好きだからっ…!」




なりふり構わず大声で叫んだその言葉に、先を行く彼の背中は見事にずっこけたのだった。












愛情表現、そのいち。















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