ボリスと俺はいちおう同期だが、実を言うと彼の方がひとつ年上らしい。
言うならば、彼は色素の薄い細面で男にしてはそれなりの美人さんだ。
けれど、口は悪いし激しく気分屋だったり、平均以上に人間不信だったり…とかなり厄介な性格の持ち主であったりもする。(あとかなり足癖も悪い)
それに彼は重度の不眠症で、眼の下にはもはや彼のトレードマークといっていいくらいのすごい隈を持っていた。
そのせいで、魅力的な瞳も整った容姿も、ずいぶん凶悪な面にも見えてしまう。
とくに寝起きなんかは、機嫌の悪さも相まって最恐だった。
前述の通り、中身もどちらかというと、損をする性格なので、よって署内では一匹オオカミ的な印象が強い。
現に、俺とコンビ組むまではきっとそうだったのだろう。
それでも、彼が凄腕の狙撃手であることに違いはない。
聞いた話によると、軍隊のエース隊上がりだとか、どうとか。
若いわりに従軍経験もあるらしく、一部のミリツィア達の間では一目置かれているらしい。
もしかしたら我が道をゆく性格はそれ故なのかもしれない。
それに対して俺は、(自分で言うのもなんだが)周りと協調していくタイプだから、案外相性としてはいいのだろう、多分。
同僚も、ボリスは俺とつるむようになって柔らかくなったとかとっつき易くなったとか言っていたし。
俺としてはまぁ嬉しい限りだ。ボリスと世界との緩衝材になれるなら、まさにこれ以上の喜びはない。
なんたって俺は、そんな彼を愛しちゃってるんだから。
「コプ、喉渇いた…」
「ちょっと、それくらい自分でとってよ」
「ムリ」
「いやムリじゃなくて、俺運転してんだから」
「知らねぇ、早く」
「もー」
助手席でリクライニングを倒した彼は帽子を顔に乗っけて手だけひらひらさせている。彼の求めているものが、ダッシュボード上のホルダーに入っているカフェオレだろうことくらいわかっている。
はぁ、と俺はあからさまなため息を吐いてカフェオレを取って渡してやった。
さんきゅ。くぐもった礼が返ってくる。
「ボリス、今勤務中なんだけど」
「ん」
「ん、じゃなくて」
タイミングよく信号停止したところで、チラリと彼を見やると、彼はカフェオレのストローをくわえながら眠そうな眼で返してきた。
「つぅか、仕事は?」
「お前が見てるだろ」
「だから俺は運転…」
「あーおー、青青青」
前を見れば信号は青で、俺は歯噛みしながらもアクセルを踏む。
「ボリス、職務怠慢って言葉知ってる?」
「知らない」
「嘘だぁ〜」
「うるせ。あ、そういやお前さ、今日部屋帰れ」
「は?なんで」
「なんでって、いい加減狭いんだよ。一人部屋に男二人も」
「いやそれ今更だって。つぅか、いきなり言われても困りますー」
「あのな、お前ひとん家に私物持ち込みすぎなんだよ。なんだあのミニカーは」
「ミニカーとか言わないでよ俺のフィアット。あれはプーラーモー。俺のささやかな趣味」
「ああ?…そのフィなんとか、今朝俺の通行の妨害しやがったからぶっ飛ばしといた」
「はっ!?え、ちょっと待った!!」
キキーッ、タイヤのゴムが悲鳴をあげる。俺は彼の衝撃発言に思わず急ブレーキを踏んだ。ガクンと、前のめりにつんのめったラーダカスタムは停止する。
その瞬間、慣性の法則にのっとって彼の帽子がフロントガラスに激突した。
「あっぶねー!…てめぇ、何考えてんっ…」
もろにシートベルトに食い込んだ彼は若干咽せながら運転席を睨みつけた。
しかし俺の顔を見た瞬間その後が言えなくなる。
「…な、どうしたコプチェフ。…何か俺…した…っけか…」
さっきまでの態度から打って変わってしどろもどろになるボリス。
何かしたっけか、じゃねぇよ。いつもしてんだよ…というのは今は置いといて、だ!そうじゃなくて、今大事なのは俺のフィアット124!
「ぶっ飛ばしたって…どういうこと?」
「あ、いや…それはちょっとニュアンスを間違えた。…ぶっ飛ばし…じゃなくて、どかした…が正しい」
「どうやって?」
「…ど、どうやってって…その…て、手…」
「嘘つかないでくれる?」
「あ……あ…足…っで…」
ダンッ!と助手席側の窓に手を衝くと、分かりやすいほどびくりとボリスの両肩がびくついた。
そのままゆっくりと、彼を倒れたままの助手席に押し倒してゆく。
「足で、俺の大事なフィアットをぶっ飛ばしたと…?」
「や、ぶっ飛ばしては…多分ナイ。コプチェフ、な…コプチェフ…落ち着け…」
今やボリスの顔はこれ以上ないくらい青ざめていた。のしかかる俺の影に覆われて、それはより顕著になっている。
彼は必死に俺から逃れようと身を捩るが、シートベルトをしているせいでますます身動きがとれない。
「コプチェフ…!やめろ…謝るから…!ちゃんと謝るから…っ」
「じゃあ、出て行けなんてのは撤回してよ。今晩たっぷり、償ってもらいたいし」
「え…はっ?…、ちょ、おま……つ、償うってオイ…」
「分かった?」
「……は…はい…」
うなだれた彼に内心爆笑を抑えきれず、俺はニッコリと微笑みながら彼の額にささやかな口付けを贈ってから離れた。
「コプチェフっ…!おまっ…!」
「へへ、ボリスかわいっ」
「てめぇ、何笑ってんだよ…!」
彼の頬はもう茹で蛸みたいに真っ赤になってしまって、そんな顔で何を言ったって迫力なんて皆無だ。
俺はとりあえず彼をいたぶれて満足したので、悠々と運転席に戻りもう一度アクセルを踏み直した。
今晩は宣言通りに彼をめちゃくちゃにしてやろう、なんていう不謹慎な目論見が自然口元を緩くする。
隣で彼はすっかり不機嫌になってしまっていた。けれど、大きな楽しみができたことに違いはない。
ザッツ、日常範疇凸凹デイズ