「…っ…ほっ…けほっ」



肺にくすぶった気体を吐き出す。
喉がカラカラで、呼吸する度にチクリと痛んだ。
うつ伏せに地面に突っ伏したせいか、土をもろに顔面にくらっていた。顔を上げるとぱらぱらとこぼれ落ちる砂、砂利。
口の中にも入ってしまったのだろうか、変な感触がある。



「…く、…かはっ、ぅ」



吐き出し、吸い込んだ空気が冷たい。
腕を突っ張って上半身を起こすと、左肩に激痛が走った。痛い、痛い痛い。
耐えきれず、再び地面に仰向けに転がる。真っ黒な空がそこにあった。



「く、そっ…」



吐き出すように悪態をつく。

そういえば、…相棒は?
一緒にふっ飛ばされたっけ…。



「コプ…、コプチェフっ…!」



何とか右腕だけで上半身を起こし、大きく叫んだ。喉がカラカラなせいで上手く発音できなかったが、辺りには敢然と響きわたった。



「……」



応える者はなく、聞こえるのはぱちぱちと火がはぜる音。

そして、眼前に広がった光景は唖然とするものだった。
さっきまで乗っていたはずのラーダが、呆気なくひっくり返っていた。
そのバンパーは有り得ない変形をし、ちりちりと小さな火が燃えている。ボンネットからは白い煙があがり、窓ガラスは粉々になって飛び散っていた。
もはやそれが車だったという確証はほとんどない。陽が暮れているのに、こんなに明るいのは、ラーダだけでなく辺りの木々にも火が燃え移っているからだ。

異様な光景に、思わず絶句したまま動けなくなった。相棒の名前さえ、呼ぶことができない。


と、その時。
ふと、赤いものが視界の端で動いた。


─…炎?
ちがう、もっと赤い。
もっともっと、血のように赤い…。


突如、人の形をした影が地面に伸びた。
すっと背筋が伸びた直立不動の背中。
浮いた骨が服の上からでもありありとわかる、肉つきの悪い痩せた体。

赤い炎のバックグラウンドにその男は、突然現れた。



「……てめっ…」



思わず、萎縮した喉を叱咤して言葉を吐き出す。数分前の悪夢が、ありありと脳内に蘇った。
無我夢中でレッグホルスターをまさぐる。ツンと零下を保っていた金属にふれた瞬間、吸い付くようにそれを握り締めた。



「…クソが、よくもっ」



体中が悲鳴を上げるのもお構いなしに立ち上がり、握り締めたトカレフを男に向けた。
すると、気配を悟ったのか凜とした背中は首だけでこちらを振り返る。


瞬間、露わになった冷血な瞳。

…射竦められる。



「…う…動くなっ…」



反射的に飛び出た言葉。
しかし、彼は構うことなくゆっくりとこちらに体を反転させる。

刹那、息ができなくなった。

まるで彫刻のような…、余分なものをすべて削ぎ落とした完璧な造形がそこにあった。
何も無いが故、感情までもを失っている。

ただひとつ、縫い繕ったような不自然な継ぎ目が顔の真ん中を縦断していた。


不意にカタカタという場違いな音がしたと思ったら、自分の構えているトカレフが小刻みに震えていた。

…びびってる。
そんな、ウソだ、ウソだウソだ…。



「…て…手を、頭の後ろに回せっ」



思わず虚勢を張るように叫んだ。
カシャン、と怯みを払拭するかのように安全装置を下ろす。

だが、男は無感動な視線をこちらに向けるだけ。



「聞こえねぇのかっ…手を、あげっ…」



その刹那だった。
突如、世界がひっくり返った。
捉えていたはずの赤い男が目の前から消え、代わりに真っ黒な空が映る。
胸ぐらを掴まれた感触がしたかと思ったら、直後全身を衝撃が襲った。背中から地面に叩きつけられたのだ。



「がはっ…!」



体内の空気が押し潰され、行き場をなくして一気に口から吐き出された。
内臓がひしゃげる。見開いた瞳孔に赤い髪が映った。

…速すぎる、見えなかった。



「…ぅぐっ…はっ、離せ!」



のし掛かられる気配に必死で抵抗し、もがく。
距離をとらなければと、逃げようとして、しかし腰を掴まれた。
ものすごい力で引きずられ、無理矢理に男の下に組み敷かれる。瞬間、咽頭を鷲掴みにされた。



「…はっ…ぁ…がっ!」



尋常じゃない力、その細い腕のどこにそんな力があるのかと疑うくらいの。
夢中になって気管を潰している手を掴んで引き剥がそうとした。
しかし、びくともしない。人間の皮膚の感触はするのに、それは死人のように体温を感じない。

生理的な涙で滲んだ視界に、彫刻のような顔が映っていた。
泣いても笑っても怒ってもいない、人の顔のパーツを持っているのに、まるで仮面の顔のよう。


なんだ、こいつ…っ。
人間じゃない。


酸素が薄くなって、靄がかかり始めた思考の中、徐々に恐怖が絶望に変わってゆく。どくん、どくん、心臓の音が大きくなってくる。

…死ぬ。

ふと、漠然とその二文字が突きつけられた。



「…ぁ、く…っ…」



うっすらと、コプチェフの顔が浮かんだように思った。どうしてこんなことになったのか、実はよく覚えてない。
何もかも、闇の中に引きずり込まれて消えてゆこうとしている。


嫌だ、あいつまで消さないで欲しい…。


最後の力を振り絞った。
ゆっくりと、未だ右手で握り締め続けていたトカレフを赤い男の頭に突きつける。




「死…ね、…くそ…やろ」





─ガァン…。

















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