これがニュートラルなの



「あれ、」
「ああ、おはよう由有」
「おはよ…今日早くない?」

習慣である休日朝の走り込みを終えて家に帰ってきたら、ドアの前で立ち尽くす彼氏がいた。
休日に彼が来るのはいつものことだが、普段はお昼頃に来るのに現在午前9時を過ぎたところだ。予想外に早いお出ましに、正直こんな汗だくの姿はあまり見られなくなかったな…と思いながら鍵をまわす。

「この本の続きが気になって、早く読みたかったんだ」
「あ、あーそれね…」
部屋に通した彼は以前貸したシリーズものの小説を取り出してみせた。そうだね、それはちょうどすごい盛り上がりの部分で確かに続き気になるよね。
ちょっと待ってて、と彼から受け取った1冊を持って寝室へ引っ込み、本棚から次の巻を引っ張り出す。うっすら埃を被ったページにフッと息を吹きかけ、そういえば私も最近これ読んでいないな、とひとりごちる。

「はい、私シャワー浴びるから、悪いけど勝手にお茶淹れて飲んでて」
「ありがとう、悪いな」
目蔵くんに本を手渡して、そそくさとバスルームへ逃げる。いつもならば本を読む彼にコーヒーを淹れてあげて、ソファに2人座ってゆっくりするのが常だけど…汗でべたべたのまま彼に寄り添うのは憚られるし、このままでいて汗臭いと思われるのは、ちょっと。


ジャージから部屋着に着替えて髪を拭きつつリビングへ戻り、本を読み耽っている目蔵くんの横に腰掛ける。
「おい」
「うん?」
「髪、ちゃんと乾かせ。風邪を引く」
「あー私髪いつも自然乾燥に任せてt「何?」
て、を言い終わる前に、ドスの効いた声が被せられた。目蔵くん、ただでさえ声が低いのに怒ると余計トーンが下がって怖い。

「いつも濡れたままにしているのか」
「いや、ほっとけば乾くし…」
「風邪を引くだろう、待ってろ」
言うなり目蔵くんは本を閉じ、バスルームからドライヤーとブラシを持ってきた。両手にそれらを持ったままぽんぽん、と胡座をかいた膝をまた別の手で叩く。
「…え?」
「乾かしてやるから、来い」
「嫌なんですけど?」

そんな幼児じゃあるまいし、一人でできるわい。しかし「いいから、」とさらに増えた手に捕まってすっぽりと抱えられてしまえば抵抗する気も失せていく。もうこうなったら早々に諦めるのが吉というのは学習済みだ。

ブオオオ、と久しぶりに稼働したドライヤー(最後に使ったのはいつだったか覚えがない)はなんちゃらターボの結構強い温風を吹き出し、私の濡れた髪を巻き上げる。バタバタと暴れる髪に目を瞑ると、顔にかかる髪が優しく掬われた。
私が乱雑に拭いたせいで、ところどころぼさぼさに絡まった髪を丁寧に撫で梳きながら乾かされる。大きくも器用な手に撫でられるのが心地よくて、つい脱力し彼に身体を預けた。

「ほら、終わったぞ」
「んー…ありがと」
閉じていた目をしぱしぱと瞬かせて、しっかり乾燥していつもよりさらりとした仕上がりの髪に触れる。指通りのよさに若干感動していると、その手に目蔵くんの複製腕が重ねられた。
「ちゃんと乾かした方がいいだろ」
「…そだね」
くるくると指先で毛束をいじくり、不意に複製した口が触れた。彼はよく髪にキスをしてくる。
「……目蔵くんさ、もしかして私の髪好き?」
「好きだぞ、綺麗だ」
「…お、おう…ほぉん…」
彼は、素直だ。というか、余計な口を利かないために、少ない言葉で端的な物言いをする。
その率直な言葉は私の琴線を容易に捉えて、なんでもないことのように言われたそれにいちいち照れてしまうのは、そろそろ慣れてはくれないものかと自嘲する。

「…私、目蔵くんの髪の方が綺麗だと思うな」
見上げると、真っ白な直毛が光を透かして輝いて見える。固めているような見た目だが、顔にかかる前髪にそっと触れるとさらりとしているので、わざわざ整髪料でセットしているのではないらしい。
預けていた背中を離して、彼に対面する形で膝に乗り上げる。矯めつ眇めつ不思議な髪型をした髪を眺めていると、目蔵くんが顔を上げて正面から私と向きあった。
じい、と黒目の小さな四白眼がなにか言いたげに細められる。彼が何を言いたいのかはわかるが、それでもやっぱり慣れないものは慣れない。
少し目を泳がせ、逡巡ののちに目を瞑り、マスク越しに唇を重ねた。

すぐに離れて、次第に赤みがさしてくる私の頬を撫でて「まだ慣れないのか」と笑い混じりに言う。自分は慣れたとでも言うのだろうか。目蔵くんだって、顔赤いくせに。
それでも強がって優位ぶる目蔵くんがなんだか可愛いので、知らないフリをしてあげる。


「あ、もうお昼…目蔵くん、なにか食べたいものある?」
本を読む彼にくっついてぼんやりしていたら、いつの間にか時計の針は天井を向いていた。いつもはこのくらいの時間に彼が訪ねてくるのだが。
キッチンへ向かい、適当に髪を括ってエプロンをかける。
「なんでもいい、任せる」と帰ってきたが、なんでもいい、が一番困るって知らないのかな。まあ聞いたわりには何を作るかは自分の中でだいたい決まっているんだけど。小皿に乗せられた親指大の墨袋を冷蔵庫から取り出す。
「…ここにイカスミがあるのですが」
「イカスミパスタで」
即答。ちょっと笑った。
彼の好物だけど、正直彼と知り合ってからイカやタコを調理する時に、得体の知れない罪悪感を感じてしまうのは私だけなのだろうか…と本に集中している彼の肩から生えた触手と傘膜をちらりと一瞥した。共食い、という言葉が頭から離れない。
変なことを考えていたからか、開いた墨袋のスミがエプロンにハネて染みになってしまった。

「はいどうぞ召し上がれ〜」
「…!!」
ほかほかと湯気を立てる真っ黒なパスタに目を輝かせる。イカスミパスタっておいしいけど、口が真っ黒になるし中々取れないから人前で食べるのは憚られる。まして、彼氏の前なんかでは。
しかし目蔵くんは好物を出されると食べるのに集中してしまって、こちらをあまり気にしなくなるので見られなくて済むのがありがたい。
常備菜であるマリネと昨日の残り物のスープを並べた食卓にいそいそと座り直して、「いただきます」と声を合わせた。

んー、我ながらおいしい。私ってば天才。まあ、自分の好きな味付けで作ってるんだから自分で食べておいしいのは当たり前なんだけど。
こっそり口元を隠して目蔵くんを盗み見ると、きらきらした瞳で夢中になってパスタを咀嚼していた。
うん、聞かなくても味は大丈夫そうだ。


揃って「ごちそうさまでした」と合掌したのち、皿洗いを引き受けてくれた目蔵くんに甘えて急いで洗面所に走った。口の周りは食事中も執拗に拭きまくっていたためなんともなかったが、口を開けると前歯や舌に黒い粘液がべっとりとついてしまっている。
念入りに歯を磨いて鏡の前で口内をチェックして戻ると、目蔵くんは両手で皿を洗いつつもう1対の腕を目を駆使してすすぎを行っているところだった。なんて機能的。見ている分にはたいそう面白い。
その背後の棚からコーヒーを取り出し、湯沸かし機をセット。マグカップに注いだ牛乳をレンジにかける。目の1つがこっちを向いているのに気付いて、「コーヒーでいい?」の意味を込めてインスタントコーヒーの瓶を振ってみせると、その目がこくりと頷く仕草を見せた。かわいい。

お湯を注いだだけのブラックコーヒーと、牛乳に砂糖を入れて甘くしたカフェオレ。私のマグカップはなんかのキャンペーンで当たったどこにでもありそうなものだけど、目蔵くんのは彼がうちに通うようになってから購入したものだ。水玉模様のように目玉がたくさんプリントされていて、「これ目蔵くん専用っぽい!」とテンションが上がって衝動買いしたんだけど、彼には不評だった。それでも使ってくれる優しい目蔵くんが好きだ…

「なんか見んの?」
手馴れた様子で、プレイヤーにレンタルしてきたらしいディスクを入れる目蔵くんに声をかけつつソファに腰掛ける。
「この間見たがっていた映画がレンタル落ちしていたから借りてきた」
「え、なになに?」
無言で寄越してきたケースのパッケージには、私が以前見たいと言っていたホラー映画のタイトル。おお、これもうレンタル入ったんだ。もの凄く怖いとネットでも評判でトラウマ扱いされてたやつだ。
「あ、じゃあちょっと待って…」
寝室に行って、ベッドに常駐している巨大なテディベアを引っ張ってきた。ふわふわもこもこでサイズも抱きつくのにちょうどいいお気に入り。ホラー好きだけど、見るときは怖いからこいつに抱きつく。
目蔵くんが変な顔(あんまり見えないけど)してるとかそんなの知らない。


「ぉっ…おゎっ…」
ホラー映画のプロローグって雰囲気を作るためなのかしらないけど、やたら恐怖感を煽る始まり方するよね…もうこの時点で手汗が滲んできた。テディごめんよ、120分私のホールドに耐えておくれ!

「…ひぇ〜……やばいよこれ絶対なんか出るってぇ…」
「…」
映画、ことホラーを見るときは独り言が増える。話しかけているようなトーンで話すけど、怖さを紛らわすための独り言だ。だいぶ私の扱いも心得ている目蔵くんは、それもちゃんとわかっているからいちいち返してこない。

「っぴぃあ!?」
「ぐふっ…ww」
緊迫する場面からの、いきなり大きな音という古典的なビックリ手法に大袈裟に驚く私に目蔵くんが瞬時に顔を背けたけど、笑ったのバレてるからな!
「てか目蔵くん怖くないの!?」
「いやっ…自分より怖がってる奴、がいると…怖くなくなると、いうか…」
「声震えてんぞ!」
「すまん、笑っ……っぐぅwww」
「おいいいい…っきゃあああ!!」
「っwwwww」


「はぁ…あ〜…お、面白かった…」
「涙目だぞ」
「イヤイヤ全然、全然そんなことないよ」
「そうか」
強がる私の頭をよしよし、と複製腕で撫でてくれるので、甘えて彼の胴に抱きつく。タンクトップにぐりぐり顔を擦りつけて目元の水分を染み込ませたらチョップされた。
「いったぁ…」
「拭くな」
「もっかい見よ〜?」
「泣くくせにか」
「泣いてませんしおすし!」
映画は繰り返して見る派だ。1回でわからなかったところとか伏線の場所とかもう1度見るともっと楽しめる。
2回目の再生が始まると同時に胴に腕を回されて、目蔵くんの膝の上に載せられる。テディベアは取り上げられてソファの下に降ろされてしまった。
「怖いなら俺にくっついていろ」
「…お〜」
これなら背後も気にならないし、ぴったりくっついてたらあんまり怖くないかもしれない。吃驚したらしがみつけるし。
しかし頭の上に顎を乗せられてしまい、画面から目をそらすことができなくなってしまった。ちょっと目蔵さん。


その後、2回目にもかかわらずビビりまくって叫び倒す私と終始笑いっぱなしの目蔵くんというシュールな2時間を過ごし、終わった頃には窓の外に夕陽が傾いていた。
「由有、この本の続きはあるか?」
「もう読み終わったの?」
「いや、今日中に読み終わりそうだから貸してくれ」
「えっ…」
「なんだ?」
「帰るとか言わないよね?」
「帰るぞ?」
「はぁ!?」
テーブルの上を片付ける彼の腕を思わずがっしりと掴んだ。そうはさせん、そうはさせんぞ!!
「目蔵くん帰ったあとお化け出たらどうすんの!?」
「出ないだろ(お化け…)」
「おっ、お願いだからひとりにしないでよぉ…!泊まってくださいぃ…」
「…仕方ないな(計画通り)」


お風呂に入る時でさえ怖がって扉の向こうに目蔵くんに待機してもらい、2分おきに「いる?」「いる?」と聞くほどの怖がりようを発揮(目蔵くんに一緒に入る提案をされたが流石に却下)した私が1人で眠れるはずもなく、現在目蔵くんにしがみついてベッドの中であった。

「ううううう、暗いよう怖いよう」
「…なんで苦手なのに見たがるんだ」
「怖いもの見たさというか…好きなんだもん、ああでも怖かったぁ…」
主人公を襲う怪物は一目見ただけで嫌悪と不安感を底から沸き立たせるようなうまいデザインをしていて、インパクトのある見た目は網膜に焼き付いて離れない。トラウマと評される原因は間違いなくあのキャラクターだ。いないと分かっていても、背後が気になって仕方ない。

「由有、他のことに夢中になれば、忘れられると思わないか?」
「他のこと…って、ヤダ、ちょっと、変なとこ触んないでっ……あっ…!」
「全部忘れさせてやるから」
「いやァンッ、目蔵くんのエッチ!」
「由有、男子高校生はみんなエッチなんだ。それよりもう1回『エッチ』って言ってくれないか」
「うわああああん!!!変態ーーー!!」


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袂様のリクエスト「if障子恋人設定でイチャコラする1日」でした。
リクエストをもらったとき、「コレダー!!」と思いました。とにかくいちゃいちゃいちゃいちゃするだけの話、大変楽しかったです。もうさせたいことしかさせてないので支離滅裂かつ文脈のおかしなぶつ切り文章になった気がしますが、これ以上どうしようもありません。これでも頑張りました。終わり方も雑ですがオチだけはこうしようと決めてました。すみません。
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