「ふぉおう・・・」
遙先輩が貸してくれたジャージを羽織って、水の中をすいすい泳ぐ彼らを見つめる。
素人目から見ても、遙先輩って・・・人魚みたいに優雅に泳ぐなぁ。ぽけっと口を半開きにして眺めていると、隣に並んで座ってきた松岡さんがにっこりと笑ってとんでもない事を言ってきた。
「遙先輩の彼女さんって聞いたよ!」
「違う!渚ァ!!」
「だってそうじゃないのー?未来の」
「ああもう・・・」
あれっ、違ったんだ、ごめんね!と謝ってきた松岡さんだがどこか楽しそうだ。
ダメだこれ、もう諦めて適当に流したほうがいいのかもしれない。ふふ、と可愛らしい笑みを浮かべる彼女を見て、視線を懸命に練習する彼らに戻す。夕日が水面に反射して、少し眩しかった。
あんなウザい渚でさえ、輝いて見えるのだから部活って不思議だ。心から水泳が好きなんだろうな。・・・その中でも、遙先輩は軍を抜いて。
「松岡さん、」
「コウって呼んで!久遠ちゃん」
天使か。
「コウちゃん、水泳部っていっつもこうなの?」
「こうって?」
「なんだか・・・みんな楽しそうだなって」
青春羨ましいなぁと呟けば、「久遠ちゃんもマネージャーやればいいじゃない」と渚みたいな提案を寄越してきた。それはもうほんとに、遠慮しておきます。
今日一日の騒動を思い浮かべながらやんわりと断る。あ、顔引きつった。
コウちゃんは察してくれたのか、それ以上は勧誘してこなかった。この子絶対モテる。顔も可愛いし、性格もいいし、スタイルもいいし、最高じゃん。
あたしもこんな子に生まれたかった・・・!
いつの間にか傍まで泳いできていた遙先輩に気付いて水面を覗き込む。
顔を出した彼は頭を振って雫を飛ばし、あたしを見上げてきた。うが、直視できない。色々あって忘れてたけどこの人イケメンだった。
透明な雫が前髪をつたって、ぽたりと落ちる。水面から手を出した遙先輩は、固まったままのあたしの手を掴んで軽く引き寄せてきた。
え、待ってくださいあたし制服だしプールに入るのはさすがにもう濡れたくないというか。
「ちょうちょ」
「え?」
隣でコウちゃんが頬を赤くして目を見開いているのが見える。
ま、ま、待って近い、遙先輩近い!この人いちいち近いし言ってること意味わかんない!
体を引っ込めようとするも力の差は歴然で、表情を変えないまま彼は反対の手をあたしの後頭部の方へ。・・・んん?
先輩が手を伸ばした方に視線をやると、ひらひらと蝶が飛んでいた。
「・・・気づかなかったか。蝶が止まってた」
「あ、ああ・・・蝶・・・、ありがとうございます」
「いや。寒くないか?」
「ジャージ貸してもらってるし、大丈夫です」
「あと少しで終わるから、待ってろ」
「あ、はい。・・・・・・え?なんでですか?」
すいーと泳いで離れていった遙先輩は、間を空けたあたしの問いに当然だろ、とでも言いたげな表情で振り返った。今朝もこんなことあったような。
「家まで送るからに決まってるからだろ」
決まってるのか。
ニヤニヤと先輩の背後で笑っている渚を睨んで、「すみません」と火照る顔で俯きながらお礼を言う。なんだこれ、ほんとに。彼は人の心臓を暴れさせるのが得意みたいだ。
▲▽▲
何メートルか後ろを歩く橘先輩は、何を遠慮しているのか。
「気にしないで」って人の良い笑顔を浮かべられても、気にしますから!もやもやする気持ちを押し込めて、隣を歩く遙先輩を見上げる。・・・き、気まずい。
ぼーっと海を眺めている彼の横顔は、やっぱり整っていてかっこいい。
「久遠」
なんて考えてたらいきなり名前を呼ばれるもんだから、今日何度目かになる女子らしからぬ声を上げてまたもや驚いてしまった。
こっちを向いた遙先輩は少し首を傾げて、「どうした」と手を伸ばしてきた。
指先が頬に触れる。
「ぴっ!?」
「ぴ?」
「ああいやなんでもないですほんと、いやほんとに遙先輩って優しいですね!」
何言ってんだあたし。
スクールバックに入りきらなかった、腕の中にある先輩のジャージを握り締める。「これ!洗って!返しますね・・・」一世一代の告白並の声の張り方で告げる。恋する乙女かよ。もう埋まりたい。
遙先輩を見ることができずに俯きながら歩く。ふいに頭にのった重みにまたもや驚いてはじかれるように顔を上げれば、夕日をバックに、先輩が少し笑っていた。
彼はもう少し自分のルックスがいかに他人の心を乱すか、考え直すべきだと思う。
「洗濯はしなくていい」
「え、いやでも、あっ」
遙先輩の微笑みに見惚れていたあたしの手からジャージを奪っていった彼は、「久遠は鯖の女神だからな」と昼間と同じことを言った。いやだから鯖の女神ってなんだ。あの時誰かが彼に鯖をあげていたらそれはみんな鯖の女神になり得ていたんだろうか。
顔はかっこいいのに言ってることが謎すぎてプラマイゼロ・・・
「久遠の好きなものはなんだ?」
「え?好きなものですか?」
またえらく唐突だな。
こくんと頷いた彼に、好きなものかぁと考え込む。好きなもの。甘いものは好きだ。ジュースならイチゴミルク、バナナミルク。甘いお菓子も大好き。
頭に浮かんだたくさんの甘いものをなるだけ言っていく。遙先輩はそれを静かに聞いていた。
「先輩は鯖ですよね」
「ああ」
「なんでですか?」
「栄養がある」
「え、栄養」
「ああ」
「鯖以外には好きなものとか?」
「久遠」
「あ、はい?なんですか?」
「久遠が好きだ」
「は、はぁ・・・」
今日一日を振り返りながら遙先輩の言葉を頭の中にインプットする。
どうやらあたしは彼のお気に入りになってしまったらしい。・・・なってしまったって、こんなイケメンに気に入られて困ることなんてないけれど。むしろ嬉しいけれど。
「ありがとうございます」
あたしも遙先輩のこと、まだよく知らないけど優しいから好きになれそうな気がします。
そう言って小さく頭を下げる。顔を上げて彼を見上げれば、じっと何か言いたげな瞳で見られてすぐに逸らされた。
「・・・今度、鯖を焼いてやる」
ほんとに鯖好きだな。