「桐嶋、郁弥くん」


鈴のような、けれど決して高いとは言えない、なんとも表現のしにくい声に自分の名を呼ばれ、郁弥は内心驚きながら隣に視線をやった。
自分でも自覚しているほどに目つきが悪い郁弥に話しかける者は、お人よしの誰かさんを除いて他にいなかったからだ。ましてや、女子なんて里美以外はみな近づいてこようともしない。
なに、とも言えないまま初めて隣に座るその女子の存在を認識した。
もう夏であるというのに、郁弥の頭の中に兄である夏也と、幼馴染みの里美と、遙、旭、真琴・・・部活のメンバーと、それくらいの人物のことしか記憶していなかった。

ああ、そうか、席替えをしたのか。
席替えなんて郁弥にとってはどうでもいいことに他ならない小さな行事だ。
前になろうが後ろになろうがどこでもいい。授業に支障がなければ、の話だ。
この女子は、授業中も話しかけてくるようなデリカシーのない奴なのだろうか。
少なくとも、今まで話したことのある奴らとは類の違う存在だということだけはわかった。

名前を呼んだきりじっと目を見たままの彼女に、郁弥は耐え切れなくなってぶっきらぼうに「なに」とこぼす。
負けた気がして悔しかった。


「あたし、今日から君の隣になった楸久遠。覚えた?楸、久遠」


馬鹿にしているのか、と頭に血が上りかけた。悪い癖だ。なんとか堪えて前に向き直る。
これから少なくとも一ヶ月間は、こいつが隣に居るのかと思うだけで気が重くなった。
無視したことに関して何か言われることもなく、だけど視線は感じたまま、郁弥はなんだってんだ、と心の中で舌打ちした。

久遠はしばらくして郁弥と同じようにして前に向き直った。
そのことに安堵のため息をつく。あんなふうにじっと見られたことはかつてなかった。ライバルである遙をずっと睨んでいた時期はあったが、そうか、遙はこんな気持ちだったのか・・・今更ながらの過去の自分を恥ずかしく思った。

席替えをしてにぎやかい教室内だが、久遠は女子の中に混ざることなく静かに本を読んでいる。
そんな彼女の姿を横目で見た郁弥は、後で橘に聞いてみよう、とそっと視線を外した。

△▼△

「え?楸さん?」
「・・・うん」


部活に足を運ぶ前、軽く真琴の肩を掴んだ郁弥に彼は随分驚いた顔をしていた。
郁弥から真琴に話しかけることは少なかった、いつも無意識のうちに気を利かせてしまう真琴から郁弥に話しかけているからだ。
うーん、と部活に向かう準備をする手を止め、真琴は椅子に座ったままの久遠に視線を向ける。

改めてみると、まだ話したことのないクラスメイトは沢山いた。
たった今真琴に手を振って教室を出て行った女子も、楽しそうに肩を組んでいる男子も、名前を言えといわれたら困ってしまうかもしれない。


「同じ班になったことがあるけど、なんていうのかな・・・すかしてるとかそういうんじゃないんだけど、いつもつまんなそうにしてたよ」


あっ、でも言うべきところではきちんと自分の意見言えるし、根はいい子だと思うよ。
すかさずフォローを入れるあたり、さすがと言うべきか、・・・とりあえず、「ふぅん」とだけ返し、郁弥は鞄を持ち直した。


「早く行こうぜ」
「あ、待って」


"つまんなそうにしてたよ"

確かに、本を読んでいる時も、目は字を追っていなかった。
人と関わることが苦手な郁弥でもわかってしまうほどに、彼女は物語の世界を楽しんでいる風には見えなかったのだ。

・・・まぁ、ぼくには関係ないけど。

そう、ただ席が隣になっただけだ。
見つめてきたのだって、きっと意味なんかない。
そう決め付けて、郁弥は今日も厳しいであろう練習に向かう足を速めた。
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