「久遠!!」


座り込んだ久遠のもとに、真っ先に駆け寄ったのはハルだった。
心配の色を混ぜた表情で、彼女の顔を覗き込む。
ゆるゆると顔を上げた久遠は、「・・・はるちゃん、」と小さな声で呟いた。

前の大会でも一瞬見せた、あの悲しげな顔。
久々に聞く呼び名に、相当まいってるのだと感じさせられた。

小さな手がハルのジャージを掴む。
強く握っているのか、何本ものしわが入ったジャージに、嫌な予感がした。


「はるちゃん、どうしよう、凛が!」
「落ち着け久遠、凛はどこに行った?なにがあったんだ」
「っ凛が!水泳、辞めちゃう・・・このままだと・・・!」
「!?」


空気が凍った。
ハルが以前話してくれた中学の時の話が脳裏によみがえる。
「なん・・・、」言葉が出ないのか、ハルは久遠と同じように座りこんでしまった。


「・・・俺はもう、凛と泳げない・・・・・・、」


ハルにとって、水は空気みたいな存在だ。
同時に、凛はハルにとって初めてできたライバルのような存在で。
つっけんどんな態度をとっていても心では凛のことを認めていたし、ずっと仲間でありたいと思っていたに違いない。
どうしよう、と呟く渚と、なにもできない俺。
ふと久遠を見れば、信じられないものを見たような顔で目を見開いていた。
瞬間、


「なんで!!!」


今まで聞いた久遠のどの声よりも、大きくて、悲痛で、切なげな声が、廊下に響いた。

驚いて肩をはねさせてしまう。
俯いていたハルも顔を上げて、目を見開いて久遠を見た。


「わたしじゃ駄目なの!遙達じゃないと駄目なのに!!なんで諦めるの!?」
「っ久遠・・・!?」
「なにもしない前から諦めないでよ!わたしにはないものを持ってる遙たちが、動かないで、どうするのぉ・・・!!」


ぼろぼろと、両の目から涙を溢れさせながら、久遠は拳を握ってハルの胸板を叩いた。

"景色ってなに?わたしには見えないの?"

何もできなかった俺とは違って、すぐに久遠の背中を追いかけていった凛の姿を思い出す。
凛はいつだって、久遠と対等であろうとした。
意図なんてしていなかったに違いない。背に庇うだけだった俺やハルとは違って、凛は、久遠と同じ世界を見ていた。
なにもできないと決め付けて、護らないとって、自分の後ろに庇ってきた俺達には、見えなかった久遠の表情。

だから、久遠は。
凛のために、こんなに必死になれるんだろう。


「・・・っおねがい、はるちゃん・・・!まこちゃん、なぎさっ・・・竜ヶ崎、くん・・・!!」


久遠の嗚咽だけが響く廊下で、一番最初に口を開いたのは怜だった。


「みなさんに、話しておきたいことがあります」



「久遠は、」
「ここにいる」


自分のことより凛を優先してくれた怜。
凛を探そうと駆け出したハル達の背中を見ながら久遠を振り返れば、俯きながらそう言った。

駆け出したい気持ちを抑えて、久遠の前に跪く。
まだ濡れている目じりを指でこすった。

大丈夫。
凛はきっと、またここに戻ってくるから。


「久遠」
「・・・?」
「今になって、久遠に助けられてばっかりだね。俺達」
「、わたしは、言うだけ言って、なにも、」
「ちがうよ」


強くなんてない。強くなんてなっていなかった。
久遠は弱いままだけど、強くあろうと、凛を支えようと、必死なんだ。

小さな体を引き寄せる。
後頭部と背中に手を回して、少し強めに抱きしめた。


「・・・凛は大丈夫だよ、辞めるなんてこと、させない」
「・・・・・・・・・・・・・・うん」


体を離して、頭を撫でる。

護られるだけは嫌って言ってたけど、ごめん、久遠。
もう少しだけ、護らせて。俺達に、任せて。

もうそんな顔、させないから。

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