「わたし、似鳥くんの事小さい時から知ってたよ」


先輩がランニングしに出て行った頃を見計らったかのように、ドアをノックして入ってきた久遠さんは入り口に立ったままそう言った。
中まで入ってこないのは彼女なりの配慮なのだろう。僕もそっちのほうがありがたい。
別に散らかってるわけじゃないしそれなりに整えてある部屋だけど、二人きりでっていうのは色々と誤解を生んでしまいそうだし。


「小さい頃って・・・?」
「あの、水泳大会に出てたよね」
「・・・!」
「わたしも、昔は競泳してたの」


すごく驚いた。
何故か悔しそうに眉根を寄せる久遠さんは、そのまま話を進める。
シャワーを浴びたばかりの髪の毛から、先日の松岡先輩みたく雫が滴った。


「あの、なんでその話を僕に・・・」
「この前、聞いてきたから。なんで鮫柄に入ったのかって」
「はぁ・・・、」
「・・・ただの自己満足だよ。誰かに聞いてほしかっただけだし」
「それが、僕でいいんですか?」
「・・・・・・・似鳥くんは、わたしより何倍もすごいけど、わたしに似てるから」
「え?」
「勝手に重ねちゃってごめん。本当に、似鳥くんはがんばってるよ。ずっと続けてきてるんだもん。・・・わたしは、途中で辞めちゃったし」
「な、なんで辞めたんですか?」
「どんなにがんばっても、なにも得られなかったから」


どくん。
心臓が揺れた。

マネージャーの仕事さえ何度も失敗して松岡先輩に怒られる彼女の姿が目の奥に浮かぶ。
こけたり、ビート版配るのですら手を滑らたり、ドリンクがうまく作れなかったり。
その度に悔しそうな、泣きそうな顔で、でもそれを飲み込んで、何度も何度も。
夜中の練習も、僕が見えていないところでたくさん行っているんだろう。

ああ、だから、松岡先輩は・・・


「・・・遙が水泳を辞めたとき、わたしはすごく腹が立った」
「え、・・・」
「わたしよりも何倍もすごい力を持ってて、なんでもこなせちゃうのに、・・・そんな遙や真琴がわたしの誇りだったのに。・・・もしかしたら、なにかあったのかもしれない、けど・・・何もできないわたしの惨めさが際立つようでさ」
「そんなこと!久遠さんの働きは、以前より確実に・・・!」
「でもまだまだだもん。練習しても全然ダメ」


プールサイドでこけることも少なくなった。
ドリンクも前より断然においしい。
ビート版を配るのも、笛をふくのも、すばやくなった。

努力を惜しまない彼女の、成果だ。
それでも久遠さんは自信がなさそうに、俯いている。ああ、こういうとき松岡先輩ならどうしますか・・・僕にはかける言葉も見つかりません。


「・・・無気力な遙達を見てるのが嫌だった。だから鮫柄に入った。水泳部のマネージャーになって、少しでも自分を褒めてあげるために。そしたら凛・・・松岡先輩も入ってきた」
「久遠さんは、松岡先輩とはどういう・・・」
「・・・・・・凛は昔から、なにもできないわたしを、なにかできるようにしようとしてくれてた。比べるわけじゃないけど、遙達はわたしを大切に思ってくれる分、心配してくれてた・・・心配しかしてくれなかったから、わたしにはそれが嬉しかった」


凛は、わたしの特別。

言い切った久遠さんの瞳は、タイムを計っていたあの時と同じように、ここにはいない松岡先輩を見ている。
すべての合点がいった。ただ言い合うだけの二人ではなく、先輩は久遠さんのために、久遠さんは先輩のために、・・・

"支えたかったから"

彼女の言葉が思い出される。
最初は自分の自尊心のために入部したけれど、今は違うのだろう。


「・・・それに、今の松岡先輩は本当の先輩じゃないから」
「え?」
「きっと遙達が変えてくれる。昔の遙に戻ったから大丈夫。凛も戻れる。それまで支える」


今日は聞いてくれてありがとう、そう言って笑った久遠さんは、ほとんど乾いている髪の毛を触って「じゃあ、」と部屋を後にした。
その直後、何かにぶつかる音がする。
そしてちょうどランニングから帰ってきたのであろう先輩の呆れたような声も。


「なにしてんだよ・・・見せてみろ」
「平気!触らないで!」
「てめ・・・!」
「早くシャワー浴びて寝なよ!」


・・・松岡先輩の前では、子どもっぽくなるのは、気のせいだろうか。

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