不機嫌そうな顔でビート版を配る久遠さんからそれを受け取って、プルの練習の準備をする。
何があったのか知らないけど、今日は一度もぶつかり合いをしない二人の様子に、逆に恐怖を感じているなう、というやつだ。そんな今日でさえ、部長は平然と久遠さんに笛の指示を出している。

ピッ!

最初はへなっちょろい笛の音しか出せなかった彼女も、今では部長が吹く笛と同じくらいの音が出せるようになっている。
僕は彼女の影の努力を知っている。いつかの夜、プールでひっそりと練習する姿を見たことがあったのだ。傍には御子柴部長もいた。
それを松岡先輩にそれとなく伝えれば、驚いたような顔をして、それからすぐに不機嫌そうに眉根を寄せて、その晩ベッドから抜け出して・・・
あれ、思えばその次の日くらいからだ、二人の間の空気がいつもと違うと感じたのは。
これって僕のせい・・・?


「似鳥!」
「ぶわっ!?」
「ぶわじゃねぇよ集中しろ!」
「す、すいません!」


鮫に襲われる錯覚がした。
怒った松岡先輩は本当に怖い。下手したら鮫より怖い。いや鮫よりは怖くないか。でもとにかく怖い。
水面から顔を出すと、すぐに紙コップを手渡された。久遠さんだ。
お礼を言って一口飲む。異臭はしないし前より上達したけど、まだ・・・


「薄い」
「ぐっ・・・!」
「で、でも前よりは全然、飲めますよ!」
「フォローなんかすんな似鳥。こいつが成長できねぇだろ。・・・粉入れる量もうちょっと増やせ」
「い、われなくてもわかってる・・・」
「もう一本だ、タイム頼む」
「・・・うん」


紙コップを返した松岡先輩は、ゴーグルをつけて壁を蹴った。
先輩は泳ぎがとても速い。七瀬さんとは何かの因縁があるのか知らないけど、そんな七瀬さんに劣らないくらいに速い。そして僕は先輩の努力を知っているから、勝ってほしいとも思っている。

見上げれば、真剣な眼差しでストップウォッチを持ち、松岡先輩を見つめる久遠さん。
これは、一件落着ってやつなのだろうか。
相変わらず、この二人は読めそうで読めないなぁ・・・


「久遠さん」
「?」
「久遠さんは、なんで鮫柄に入ったんですか?」
「・・・支えたかったから」
「え?ささえ・・・?、」


バンッ

先輩の大きな手が、すぐ横を通って壁を叩いた。
荒い息で久遠さんを見上げた松岡先輩の髪の毛から雫が滴る。久遠さんは小さな声でタイムを読み上げた。


「おーい楸!こっちも計ってくれ!」
「はい、今行きます・・・松岡先輩、遙はもっと速い」
「ハッ・・・るせ、わかって、る・・・!」
「次はもっと本気で泳いでください。余計なこと考えないで」
「じゃあ、お前、今晩、手伝え」
「うん」
「あ!ぼ、僕も行きたいです!」
「勝手にしろ」


小さな手が伸びてくる。
ぼーっとその手を見つめていれば、彼女は先輩の長い髪の毛から滴る雫を払って、立ち上がった。

今日一日、彼女はこけなかった。
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