「どこ行ってた」


低い声に小さく肩を揺らした久遠さんは、ドアノブを握ったまま先輩を睨みつけるようにしながら見上げた。
水泳部にオフの日なんて滅多とない。今日だって部活は通常通り行われた。けど、姿を見せなかった久遠さんに松岡先輩の機嫌は始終悪いままだった。
一緒にいても機嫌悪くなるくせに、いないともっと悪くなるのだからこの人は分からない。

静まり返った廊下。切実に部屋に戻りたい。けど、松岡先輩が邪魔で戻れない。なんで僕がこんな目に・・・
ため息を押し殺して、二人の行く末を見守った。
いまさらだが、久遠さんの部屋は僕たちの隣なのだ。


「どこでもいいじゃん」
「いいけどお前マネの仕事サボってまで行くようなとこだったのかよ」
「御子柴部長には伝えておいたもん」
「俺は知らなかった」
「松岡先輩に知らせなくてもいいでしょ、そんなわざわざ」
「・・・・スポドリもまともに作れねぇ癖にサボるとは余裕じゃねーか」
「・・・・それは関係ないでしょ!」


素直に心配だったって言えばすむ話じゃないですか・・・

組んだ腕に力が入っているのか、鍛え抜かれた筋肉が浮き彫りになる。
口から覗く鋭い歯に、僕のほうが身震いした。なんで久遠さんはそんなに余裕なのか理解しがたい。僕もいつかは慣れるのだろうか。


「・・・似鳥」
「僕は何もしてません許してください!」
「はぁ?何言ってんだお前」
「あ、すみません!つい・・・」
「似鳥くん怖がってるよいつもどんな事してるの松岡先輩」
「なんもしてねーよ!」


なんだ殺されるかと思った。
いつかの夜に「殺す・・・」とかなんとか呟いていたときの先輩を思い出すと震えが止まらない。そんな僕を見て秘かに同情のまなざしをくれた久遠さん、松岡先輩が怖いのは半分以上君のせいです!


「俺はしばらくこいつに用があるから、先に部屋に戻ってろ」
「え?あ、はい・・・」
「わたしは用なんて、!」
「いいから行くぞ」


彼女の細い腕を引っ張って廊下の向こうに消えた背中を呆然と見つめる。
あんなに部屋に戻りたかったのに、好奇心に勝るものはなかった。
・・・見つかったら殺されるな・・・



自動販売機の前の椅子に人一人分あけて隣同士に座った二人の間に、会話はない。
壁から覗いている僕の方が少し気まずかった。彼らは気まずくないのだろうか。
彼女の手にある炭酸飲料は、きっと松岡先輩が買ってくれたのだろう。先輩は、本当は優しい方だから。


「・・・で、なんの用ですか」
「急に敬語なんか遣うなよ、気持ち悪ぃ」
「気持ち悪いとか言うほうがキモいんだし」
「ムカつく」
「どっちが」


・・・一体なんの用があってここまで連れ出したんですか先輩・・・
ため息が出そうになるのをぐっと堪えた。堪えろ僕の精神!


「岩鳶に行ってたんだろ」
「遙達なら元気でしたよ」
「ばっ、なっ、ちげぇ!別にそんなことは聞いてねぇ!」
「江ちゃんも元気、」
「あいつはたまに連絡よこしてくるからそれはわかってる!」
「・・・じゃあなに」
「・・・・・・・・・・別に」
「・・・・・わたしは別に、鮫柄に入ったこと後悔なんてしてない」


どくんと心臓が揺れた。
久遠さんのまっすぐな目が、松岡先輩を捕らえている。
先輩は虚を突かれたような顔で彼女を見て、すぐに視線を逸らした。


「・・・・そーかよ」
「そうだよ」


そうして手に持っていたジュースを口に含んだ久遠さん。なんだか嫌な予感がする。
そんなに一気に飲まないほうが、


「むぐっ!?げほっ!うぇっ、・・・!」
「お、おい久遠!?」
「き、きかんに、はいっ、げほっ!!」
「落ち着け!持っててやるから」


返事を待たずに彼女の手から缶を取り上げ、前にかがんだ背を撫でてやっている松岡先輩に驚きが隠せない。
あれって本当に先輩?
いつもみたいに、「ハッ、鈍臭ぇ」とか言って笑うかと思ってた・・・
なんだかいけないところを見てしまった気がして、目を逸らす。
あの二人、実は付き合ってたりするのかな。
咳がおさまってきた久遠さんは涙目で、小さく「・・・ありがとう」と呟いた。
松岡先輩は背中に手を触れたまま、「・・・おう」と呟き返す。

・・・なんだか体中が痒くなってきた気がする。もう早々に部屋に戻ろう・・・


「お前、昔みたいに凛って呼べよ」


ああ、ますます二人の過去と関係が気になってきた。

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