今まで鮮明に見えていた世界が、急に頼りなくぼやけた。
泣いているのではない。こめかみにあった感覚がなくなり、頭が少し軽かった。
眼鏡を取られたのだ。これではほとんど見えない。
手をさまよわせ、当たった柔らかい感触。指でつまんで思い切り引っ張れば、そいつは弱く「いたい」と言った。
「返せ、久遠」
「どう?眼鏡のない世界」
「何も見えないのだよ」
見えないのは、俺らしくもなく、とても不安になる。
真っ暗闇の世界でないにしろ、とにかく周りがぼやけてしかたない。そして、近くにいるはずの久遠が見えない。それが一番恐ろしいのだ。
何度も何度も無言で頬を引っ張っていれば、やがて観念したのか戻ってきたそれに、鮮明になる視界。
コンマ一秒で焦点を合わせ、見えた彼女の表情はいつもと変わらなく、そのことに安心感を覚える俺がいた。
「真太郎、眼鏡かけてても十分美形だけど、とったら増すね」
「は、」
「間違っても、コンタクトにかえないでね。みんなが真太郎の魅力に気づいちゃう」
「・・・目に異物を入れるのは嫌いなのだよ」
かわいくない俺の言葉を肯定と受け取ったのか、久遠は満足そうに笑う。
無意識に手を伸ばしその柔らかな頬を、今度はやさしくなでた。
「・・・・・痛かったか」
「・・・、少しね。でも、手加減してくれてたでしょ?」
真太郎はやさしいから。
そう言って、またふわりと微笑む。
彼女は俺のことをよく褒める。
バスケの練習を見に来れば、フォームが綺麗でかっこいいと。
テストでいい点を取れば、今回もがんばったんだねと。
久遠に褒められたいがために俺は努力をしているのではない。
が、褒められるということに悪い気はしない。久遠なら、なおさら。
俺という存在を認め、高く評価してくれる久遠が、俺はとても愛おしく感じるのだ。
「・・・・久遠」
「ん?」
「キスを、しても、いいか」
少し驚いた顔で俺を見た久遠は、恥ずかしそうにうなずきながら、またその細い手を伸ばして俺の眼鏡を奪った。
「じゃあ、眼鏡、邪魔だね」
そして俺は手探りで彼女の唇を探しあて、そっと自分のそれを重ねるのだ。
5cm離れてキスをするため