頭上の空は既に黒に染まっていて、ずっと遠くの空だけがまだ少しだけ赤い。星もよく見えない曇り空。その光景によって、私の心に広がる雲がさらに広がり、厚いものになった。


「竜二さん、お茶です。」

「入れ。」


襖を開けると、机に向かっている竜二さんがいた。傍へ行き膝をついてお茶を机に静かに乗せる。竜二さんはそれを左手で掴むと、お茶を口へ流し込んだ。


「まずいな。」

「いつもと同じですけど。」

「だから、よく毎回毎回こんなにまずいお茶を入れられるなお前は。」

「うるさいな、まずいなら飲むな馬鹿竜二。」

「主に向かってそんな口きいていいのか?阿保なまえ。」

「私の主は二十七代目だもん。竜二じゃないもん。」


せっかくお茶を淹れてきてあげたのに、あまりにも酷い言われ様だったからつい反論してしまった。私は、今は花開院家で女中をしているが、私と竜二はいわゆる幼馴染というやつで、昔はよく庭でかけっこしたりして遊んだものだ。あの頃から竜二は意地悪で嘘つきだ。何かある度に私は泣かされていた気がする。というか、竜二にしか泣かされたことがない気がする。そのくらい、意地悪。そういえば昔、「いつか結婚しようね」なんて約束をした覚えがある。あんな約束をするなんて、なんて子どもは無邪気なんだ。無邪気な子どもの約束だし、きっともう時効だろうな。そう思って心の中でクスクスと笑いながら、胸を痛めた。きっとこの約束を覚えているのは私だけ。


本を読んでいる竜二の隣に座りこむ。ちらりと横顔を一瞥すると、そこにはいつもの悪人面の竜二の顔があった。昔から変わらない、彼の表情があった。この人はいつも何かと戦っていた。それがなんなのかはよくわからなかった。その正体がわかったのは、つい先日の事。羽衣狐の復活が近いという事で会議があったのだが、お茶汲み係として参加した私はその会議で花開院家の男子が早世するという事実を耳にしてしまった。すべては羽衣狐の呪いらしい。聞いた瞬間、体中から冷たい汗が出た。竜二は今までそんな事一度も私に言ってくれなかった。その場で泣きたいのを我慢して、家に帰ってから朝になるまで泣いていた。早世するということももちろんだが、竜二がそんなに大切なことを私に黙っていたことが何よりも悲しかったのだ。そんなことを考えて、思い返していたらまた目頭が熱くなってくる。堪えようと思って目を瞑るが、瞳から溢れた涙が目の淵に溜まっていく。竜二に見られないように、顔をそっと下に向けると音をたてずに雫が落下した。


「…お前は変わらないな。」


突然竜二はそう呟くと、本を机の上に置き、体ごと私の方を向いた。顔をあげたら泣いているのがばれてしまう。竜二の視線を感じたが、私は顔をあげなかった。竜二の温かい手が、私の頭の上に乗せられた。その手は頭上を右往左往すると、最後に頬を伝う雫を優しく拭った。まったく、竜二にはかなわない。私の行動も、感情も、昔から全部全部お見通しって感じで。なのに私は竜二のことは何もわからない、知らない。


「…悪かったな、黙っていて。」

「…。」

ほら、やっぱり彼は私が何故泣いているかなんてお見通し。なんて答えたらいいかわからなくて、口を開くことができない。いいよ、気にしてない。そんな心にもないことは言えない。だからといって怒れもしない。私が怒ったところで、何も変わらないから。改めて自分の無力さを感じる。もっと私に力があれば、何とかする術があったかもしれない。陰陽師でもなんでもないただの人間である私には、運命を動かすことなんかできない。


「お前は昔からよく泣く女だったな。」

「…全部竜二が泣かせてるんだよ。馬鹿。」

「まあお前を泣かせられるのは俺くらいだからな。」

「…竜二も、変わらないね。」

「どこがだ。」

「大事なことを言わないところとか。」


竜二は残りのお茶を全て啜ると、もう一度私に悪かったなと謝罪の言葉をかけた。そしてこう言った。早世の事をなまえに言ってしまったら、ずっとずっと泣いていると思ったから。だから時が来るまでは黙っていることにしたのだ、と。竜二は私のために言わないでくれた。私が人一倍悲しむ事を知っていたから、言わなかったのだ。嬉しいけれど、素直に喜べる内容ではない。やっぱり悲しいものは悲しいのだ。


「本当はお前にはこのことを言うつもりはなかったんだがな。」

「…ひどいね竜二。」

「羽衣狐さえ滅すれば呪いは解けるだろう。だから、言うつもりはなかった。」


1人で全部背負って、私が悲しい思いをしないようにしていてくれた。こんなにも、彼は私のためにたった1人で頑張っていたのだ。それに比べて私はなんだ。頑張っている人の前で自分だけが悲しいみたいに泣いて、一番泣きたいのは竜二本人の筈なのに。もう泣いてはいけない。力めば力む程、瞳から涙が溢れてくる。竜二たち、花開院家は羽衣狐を滅するだろう。そしたら呪いも解ける。信用していないわけではない。だから、この涙は一体何なのかさえわからない。


「それに、お前との約束を果たすまでは死ねないからな。」


その言葉に無意識に反応し、竜二の顔を見上げる。珍しく少し頬を染めた竜二の顔が傍にあった。覚えていてくれたんだ。私は静かに微笑み、うん、と返す。涙はもう止まった。女中はもうあがる時間だ。送る、と言って羽織を着て襖を開けようとする彼の背中に、私は少しだけ勇気を出して抱きついた。





***


初・お兄やん。
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