怒らない。喜ばない。笑わない。俺の横に座っているなまえはそんな奴。何をしても無表情で、まるで感情がないようだ。本当に感情がないのではと思うこともあったがきっとそれはない。時には眉を下げることもあったし何かを堪えるような表情をすることもあった。だから多分、感情の出し方が極度にヘタクソな奴なんだと思う。今だって、ぼうっと外の景色を眺めているが、特に何も感情を持たずに見ているようにしか見えない。綺麗だとか思ってるのかもしれないけど本当に表情に現れない。いつだったかな、馬頭となまえと三人で散歩に出かけたとき、なまえが穴ぼこにはまってしまったことがあった。それを見て爆笑する俺と馬頭をそっちのけになまえは無表情で「痛い」とだけ言った。穴ぼこから出ようともせずにただそこで痛いと呟いたなまえが滑稽で、助けることも忘れて笑っていたのだが今考えるとあれはちょっとお互いにどうかと思う。穴ぼこから出てきたなまえの膝は擦れて血が出ていた。見るからに痛そうなのに、痛そうな表情は一切せず、ただ「痛い」とだけ呟いていた。もしかしたら弱いところを見せたくないとか、そういうありがちな強がりなのかもしれない。


「外ばっか見て飽きねーのかよ、お前。」

「…普通。」

「普通…って、」


答えになってない。でもなまえ的には飽きないって事なんだろう。なまえは外の景色から視線を離さずに、じっと一点だけを見つめていた。その目線の先に何があるのかはわからない。なまえの目が一向にそこから離れないものだから、俺はどうしてもこちらを向かせたくなって適当に質問をしていった。


「お前って笑わねーよな。怒んねーし、泣かねーし。」

「・・・」

「感情表現が苦手、とか?」

「…感情を表現することに意味はない。」


だから笑わないし怒らないし泣かない。なまえはそう言ってこちらに顔を向けることなく再び口を閉じた。感情を表現することに意味はない?俺はそれこそ意味がわからなくて、思わず口を半開きにしてしまっていた。


「感情っていうのは、本来の自分じゃない。ただの機能。」

「機能…?」

「そう。感情がコロコロ変わるのは機能に振り回されているだけ。」


馬頭なんかは特にね、なまえは最後にそう付け足した。なまえ曰く、感情や知性なんかは本来の自分じゃないらしい。自分の魂が入り込んだ"入れ物"すなわち媒体であるこの体に備わった機能でしかないのだとか。本来の自分というのは本当はここにはいなくて2つ目だか3つ目だかの天にいるとかいないとか…。とにかく、俺には難しい話をされた。でもなまえがこんなに自分の考えを言うのは珍しいことだったから相槌を打ちながら最後まで聞いた。すべて言い終わったころになまえは少し疲れたような、すっきりしたようなどちらにもとれる表情をしていた。珍しいことって続くもんだ。


「お前、そんなのどっから覚えてきたんだよ。」

「…聖書。」

「妖怪がそんなもん読むな馬鹿野郎。そんで信じるな馬鹿野郎。」


そう言うとなまえは俺の方を見た。睨んではいない。けど心の中じゃ睨まれてるのかもしれない。なまえの目はなんというか、つまらなそうだった。こいつは馬鹿だ。大馬鹿だ。感情に振り回されるのが嫌で感情を出さないなんてとんだ大馬鹿野郎だ。


「気付かねーの?お前もう感情に振り回されてんじゃねーか。」

「…え?」

「感情に振り回されたくなくて顔にださない?っばーか、顔に出てないだけでもう振り回されてんだよ。」

「…。」

「無言ってことは負けを認めたってことでいいんだな?」

「…参りました。」


あっさりと負けを認めやがったから、こいつ本当はムキになるのが嫌でそう言ったのかと思った。が、違った。なまえの顔には今まで見たことがないような穏やかな表情がのっかっていて、思わず我が目を疑った。こいつ、こんな顔するんだ、と。多分、この呪縛を誰かに解いてほしかったんだろう。違うんだよって。まだつまらなそうな感じは消えなかったけど、いつもより何倍もいい顔をしている。なんだよ、こんな顔できるならさっさとしろっつーの。


「…ずっとその顔でいろよ。」

「え?なに?」

「っなんでもねえよ!ほら、ニィって笑ってみろ!できんのかコラ!」


ニィの部分をしつこく強調し照れ隠しにそう言って、なまえを困らせた。こいつは笑顔にだいぶブランクがあるからそうそう簡単には出来ないだろう。俺に言われた通りに笑おうと、口元を一生懸命に上に吊り上らせようとするがひきつってしまっていてうまく笑えていない。その顔をみたらこっちが笑えてきてしまって、思わず吹いた。


「っはははは、ひーっはははは!やっべぇ、変な顔だなお前!」

「…!」


なまえは大きく目を見開いて俺を見つめる。その顔にまた笑いがこみあげてきてしまってそろそろ腹筋と背筋が痛くなってきた。あっはっはと床に手をバシバシ叩きつけながら笑う俺をじっと見て、なまえの口元が自然に吊り上ったところを残念ながら俺は見ていなかった。俺が見たのは、目元を細めて可愛らしく微笑む女神のようななまえの笑顔。聖書だか聖者だかなんだか知らねえが、そいつのせいでなまえの笑顔が奪われていたのに変わりはないから、今更になって急にそいつに腹がたった。感情が機能だとかそうじゃないとか、俺にはわからない。本来の自分がどこにいるのかなんてこと知るはずがない。自分が自分じゃないなんて今更言われたって何も変わらない。でも今のこの"自分"に素直になるくらい、いいじゃないか。感情に振り回されたって、つまらないよりはゲラゲラ笑って楽しいほうが数百倍いいじゃないか。それを彼女に伝えると、なまえは穏やかな笑顔で礼を言った。


「牛頭、ありがとう。」


まだまだなまえがたくさんの表情を取り戻すのには時間がかかりそうだけど、戻っていくその一つ一つの表情を隣で眺めていきたいと思った。


















笑って?
―俺のためだけに。


















「なまえー、牛頭ー、何さっきの気色悪い笑い声?もしかして妖怪出た?」
「…ぷっ」
「なまえ!笑うなっ!」












***


聖書にはそんなことが書いているみたいです。牛頭たん、久々にかいたらキャラがわからなくなった…!
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -