学校が終わり、家に着く。玄関には数人の門下生たちと女中がちらほらいて、おかえりなさいとあいさつを投げかけられた。ああ、と適当に返事を返すと早足で家の中へと向かう。帰ったらまずなまえの様子を見なければ気が済まない。夢中になってつかつかと歩いていると、廊下の角で何かにぶつかった。


「あっ!竜二くん!おかえりー!」

「なまえ!?お前、目が覚めたのか?」

「目が覚めたからここにいるのさ!」

「…ったく。ほら、怪我人は戻れ。」

「わっ、ちょっと引っ張んないでー!」


なまえの着ていた浴衣の袖を軽く引っ張り、ずかずかと歩く。向かう先はもちろんなまえが居座っている客間。こいつ、怪我人のくせに歩き回りやがって、本当に自覚が足りない。というか今朝はまだ眠っていたのに何でこんなに元気なんだ。あんなことがあったというのに、なまえの表情に曇りが見えない。俺がいない間になにがあったんだろう。(怪我はどうだ。)(痛いけど大丈夫!)痛いのに大丈夫ってどういうことだ。ますます謎だ、この女は。部屋の前に着くと、なまえは大丈夫なのに、と頬を膨らました。結構な勢いで両頬を指でつついてやると、プスッと空気が抜ける音がした。


「もう、痛いよ!…あ、竜二くん。」

「なんだ。」

「お話したいことがあるんだ。いいかな?」

「奇遇だな、俺も話がある。部屋で待ってろ、着替えたらまた来る。」

「ありがと!じゃあ大人しく待ってます!」


部屋へ戻り、着流しに着替えてすぐにまたなまえの所へ向かう。入るぞ、と言って返事を待たずに襖を開くと、なまえは窓辺にいた。外の風景…空を見ているのだろうか。凛とした横顔で静かにそれを見つめている。何も反応がないので俺は黙ってなまえの隣に腰をおろした。そうするとようやくなまえは俺の方を向いて、へへっ、と笑った。俺の頬が勝手に綻ぶ。普段が仏頂面(だとよく言われる)だから綻んだら真顔に戻るくらいなんだろうけど。それでもなまえの笑顔につられたのは確かだ。視線を窓の外に戻すと、なまえは口を開いた。


「今日ね、刹に全部聞いたよ。ここにあった痣の事も、私の力の事も。…竜二くんは刹に聞いてたんだよね、私の家庭のことも。巻きこんじゃって本当にごめんなさい。」

「巻きこむも何も、俺はただ傍観していただけだ。」

「でも私のためにいろいろ考えてくれてたって…そう聞いたから。もしそうじゃなかったとしても、竜二くんは私に大切な事を教えてくれたから。だからお礼が言いたかったんだ。」

「俺がお前に?」

「うん。御存じのとおり家はあんなのだからさ、私、居場所もないし、自分は必要ない、生きていても意味がないってずっと思ってた。でもお父様の言いつけは守りたい。だから生きなきゃいけない、お母様はとても寂しい人だから私はあの人を助けなきゃって。そう思ってたの。でもこっちがそう思っていても、お母様は私を鬱陶しいとしか思ってなかったからさ。居場所を探して、見つからなくて。でも見つかるわけなかったんだよね、自分を蔑んで誰にも気を許さなかった私じゃ。」

「…。」

「私やっと気付いたよ。自分が気を許した時、そこが自然と居場所になるの。誰かを信じられた時、その人が居場所になるんだって。多分そうなんだと思う。それに気づくきっかけをくれたのは竜二くんとの出会いだから。ありがとうね。」

「…そうか。」


それでこの表情。納得がいく。なまえは自分で答えを導き出した。その答えが本当かどうかなんてわからない、けれども解答なんてないはずだ。それがなまえの出した結論なら、俺はそれでいいと思う。誰かを信じられた時、その人が居場所になる。なかなかいい答えじゃないか。微笑みで飾られたなまえの表情はまったく曇らない。良い目をしている。その時、なまえの視線と俺の視線が重なった。ニコリと笑っていたなまえの目は真剣なものに変わる。


「で、ね…。私思ったんだ。私、竜二くんの居場所になりたい、って。」

「俺の居場所に…?」

「竜二くんのお母様が教えてくれたの、竜二くんの呪いのこと…。」

「…ったく、あの女…。」

「まあそう言わないでよ。…私、竜二くんの力になりたいよ。今回のことのお返しに、とかじゃなくてね。ただそう思うんだ。これが私の本当の気持ち。…私、竜二くんが、その…好きだからさ!」

「…!」

「ああっ!迷惑とか言われたって私は勝手に竜二くんの手助けするんだからね!」


顔を真っ赤にさせて、最後にそう付け足したらなまえはそのまま下を向いた。…好き、っていうのはどういう好きなんだろう。普通この状況ならそういう意味でしかないんだろうけど、こいつは普通じゃないから油断できない。へたすると後で俺が恥をかくパターンだ。でも今なまえは自分の真っ直ぐな、正直な気持ちを俺に伝えてくれた。それには応えなくてはなるまい。そもそも俺は今日このことをなまえに伝えにきたのだ。思い出して、俺も口を開く。


「俺の話をしてもいいか。…っておい、いい加減こっち向け。」

「察して!こっちは恥ずかしいんだよ!はい!話して!」

「まったく…。俺もお前に礼が言いたかったんだ。」

「へ…?私何かしたっけ…?」

「ああ。…呪いのせいで俺はいつ死ぬかわからない身、惜しいと思ったことはなかった。命あるものはいつか皆滅びる、俺はそれが他より少し早いだけだと。…しかしまあ、お前に会った日から心が揺らいじまった。」

「…どうして?」

「なまえの笑いに曇りが見えたから。そしてその理由を知ってしまった。こいつは俺がなんとかしねえとな、って思っちまったんだよ。その日からだ、この命が惜しいと思い始めたのは。お前を助けるまでは絶対に死ねないなと思った。ま、死ぬ気はもとからないんだがな。…でもこればかりはわからない。だから祈る。なまえが幸せになるまで命が続くように。」

「…竜二くん…。」

「とにかくアレだ、こういう風に思わせてくれたことに感謝してるってことだ。…そうだ、お前俺の居場所になるって言ったよな?」

「え?うん、言ったよ。」

「なら交換条件だ。お前の居場所を俺にしろ。嫌とは言わせねえからな。」


なまえは大きく目を見開いて、俺の顔を覗きこむ。この意味を、どう解釈したらいいのかわかっていないらしい。困ったようにきょろきょろと辺りを見渡し、時々俺の目を一瞥する。その動きが小動物みたいでなんだか愛らしい。一回しか言わねえからな、よく聞いとけ。そう言うと、うん!と返事をして俺をジッと見つめた。


「俺はなまえが好きだ。だから俺のもんになれ。…そういう意味だ。」

「…!えぇとっ!あのっ…!それって、こういう好き…だよね?」


そう言ってなまえは胸のあたりに手をやり、両手でハートマークを作った。それ以外に何がある、とぶっきらぼうに言い放つと、私もだよ、と静かに言った。ああ、やっぱりそういう意味で良かったのか、と少し安堵したのは内緒。

心と心が繋がった。じんわりと胸に広がる温もりと切なさ。人間の感情というのは厄介なものだな。幸せになればなるほど切なくなる。俺はその感情に負け、本能のままに身体を動かす。なまえの手をとると、バランスを崩したなまえはそのまま俺の胸に倒れこんできた。そのままギュ、と抱きしめてやると、竜二くん、と控えめに声をかけられた。


「…なんだ。」

「あの…手が傷に当たって…痛いです…。そして恥ずかしい…。」

「ああ、悪いな。…よっと。」

「わっ!?」

「これなら文句ないだろ?」


胡坐の隙間になまえの身体を収め、背に腕をまわす。顔は互いに見えない状態で、しばらくこのまま。


「そういえばなまえ、動いてて平気なのか?」

「うん、お昼にお医者さんが診てくれて…。普通に動くのはいいんだって。あ、でも」

「?」

「結構深かったから傷は残るだろうってさ。せっかく痣が消えたのにまた傷だよ!まったく、やんなっちゃう!」

「はっ、よかったじゃねえか、嫁の貰い手探す手間が省けて。」

「!?それってどういう…!」

「自分で考えろ馬鹿女。ま、俺は傷なんて気にしねえよ。」


触れ合っている、ただそれだけで満たされるのだから不思議だ。俺はこいつを、なまえを絶対に幸せにしなければならない。理由は一つ。きっとそれが俺の使命だから。まだまだ問題は山積み。今はやっと一つ解決しただけだ。俺はそのために生きる、それだけのために生きるのだ。


なまえ、と名を呼ぶと、胸から顔を離し、俺を見上げた。ゆらゆらと揺れる瞳に吸い込まれるように、顔を近づける。なまえが目を閉じ、揺れる瞳が見えなくなった。俺も瞼をゆっくりと閉じる。後に口元に感じたこの温もりを俺は生涯忘れることはないだろう。









―ツウジアウ、ソレダケデ。
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