「初めまして花開院竜二さん、雪芽と申します…。」
「…あー、この人がその雪芽さま。」
そう言って紹介されたが、こいつが俺に挨拶する必要などあるのか。そう思ったがそこは一応営業スマイルで挨拶を返してやった。雪芽と名乗るその女はなまえのいた場所に腰を降ろし、フフフと笑う。雪芽はジッと俺を見ていたが、俺より先に刹がこの状況に耐えられずに口を開いた。
「雪芽さま、なぜここに。」
「…竜二さんに挨拶をと、当主さまに言われたの。」
「当主が…?」
「ええ、そうよ。…竜二さん、素敵な方ですね。」
「…。」
スッ―、と襖が開く。そこに立っていたのは超不機嫌な顔をしたなまえで、片手にポットを持って片手に湯呑の乗った盆を持っていた。…ということは襖は足で開けたな。まったくこの女は。なまえは部屋に入ると机の上にポットと盆を置き、襖を閉めに向かった。そして雪芽の目の前に立つと、ようやくそこで口を開いた。
「…お母様が、そろそろ戻れだって。」
「当主さまが?…そう、わかった。」
「…何?私になんかついてる?」
「フフフ、別に。あんまり怖い顔しないでよなまえ。」
「…早く行った方がいいんじゃない?」
「そうね、当主さまを待たせられないわ。あ、刹。」
「なんですか。」
「こんなとこじゃなくてたまには広間で皆で一緒に食事しましょうよ。」
「…はい、是非。」
「それでは竜二さん、ごきげんよう。」
軽く会釈をして、雪芽は部屋から出て行った。襖が閉まるのを確認するとすぐになまえは押入れから布団を取り出し、畳の上に敷き始めた。そしてそれをしながら、「刹、竜二くんにお茶淹れてあげて」と言って、敷き終えた布団の上にダイブした。
「遅くなってごめんね竜二くん、湯沸かし器の調子が悪くてね。」
「…そうか。気にすんな。」
「ああ、雪芽はちょっと生意気なんだ。ちょっと変だけど許してあげて。」
「…気にしていない。」
「あはは、そっか!ならいいや。私最高に眠いからちょっと寝るね、おやすみ二人とも。刹、竜二くんが帰るとき起こしてー。」
「客の前で寝んなよな…。」
刹の忠告も聞かず、なまえは数十秒で寝息をたててしまった。反対を向いている為、こちら側から顔を覗くことはできないが、俺や刹の言葉にまったく反応しないのを見ると完全に眠っているということがわかる。それを確認すると、刹は口を開く。
「なまえ、最近寝れてなかったんだろうな。」
「…雪芽も当主の味方、ってわけだ。」
「…そんなとこだ。なまえに、俺がお前に言ったこと黙ってるのか?」
「少し様子を見る。いきなり俺が首を突っ込んだところでなまえには迷惑にしかならん。」
「…そ、か。竜二はなまえのことちゃんとわかってんだな。」
「いや、わからん。謎だこの女は。」
はは、と刹は愛想よく笑う。
「ここ数日さ、なまえすっげえ楽しそうだったんだよな。」
「…ふーん。」
「竜二の話ばっかすんだよ。お前の母さんと妹と仲良くなったとか、一緒に弁当食ったとか。」
「…。」
「…だから、お前に頼みたいんだ。なまえのこと。」
(本当は俺が救ってやりたいけど、なまえのヒーローはきっと俺じゃない。)傷ついたように微笑み、刹はなまえの方を向いた。それに応えるかのようになまえは寝返りを打ってこちらに顔を向けた。まだあどけなさの残る顔からは、とてもそんな苦を背負っているようには見えない。
俺がなまえに何をしてやれるかなんて全くわからない。しかし、どうにかしてやりたいのは確かな気持ちだ。何ができる、俺に。頭の中でぐるぐると考えを巡らせる。本なんて読んでるフリにすぎなくて、ずっとそのことを考えていた。気付くと辺りはもう薄暗くなっていた。そろそろ帰る、と刹に言うと、刹はなまえを揺さぶり起こす。眠そうに眼をこするなまえは小さな子供のようだ。起こすのは可哀想に思えたが、本人が望んだことなら仕方がない。刹は食事の準備をすると言って出て行った為、なまえだけが俺を見送るために、一緒に外へ出た。
「よかったらまた来てね。」
「気が向いたらな。」
「ねえ、竜二くんちって空き部屋あったりする?」
「?…ないこともないが。」
「あのさ、もしよかったら私を明日から3日間泊めてくれませんか。」
「はぁ?なんで。」
「はて、なんでだろう?」
「理由を述べろ、理由を。」
「諸事情で3日間寝場所がないのさ!えっへん!」
「…んなこと胸を張って言うな。ああ、張るほどないか。」
「失礼だよ竜二くん!」
何故なまえがそう言ったのか、なんとなく理由はわかっていたからそれ以上なにも追及せずに、勝手にしろ、とだけ言った。なまえが礼と、明日の放課後からお邪魔するということを俺に伝えるといつの間にかみょうじ家の敷地ギリギリのところまで来ていた。(ここまでしか送れなくてごめんね。)(別にいい。じゃあな。)(うん、また明日。)
帰宅途中、俺はここでようやくあることに気付いた。なまえの闇のことばかり考えていて、頭から離れたことのない自分の闇の存在を忘れていた。
いつの間にか俺は、こんなにもなまえの事を考えるようになっていた。嘘つきな俺でも自分の気持ちに嘘がつけるはずはなく、なんとも言えない気持ちで、暖かいこの思いを噛み締めた。盾と矛、まさにそんな感じだ。なまえを救いたい。しかしいつ死ぬかわからないこの身、途中でそれを放棄しなければならなくなるかもしれない。俺には出来ない。2つの相反する思いが、俺の心を支配した。
―ドウシタライイ?