母さんとゆらの誤解をなんとか解いたあと、母さんがあまりにもしつこくなまえを食事に誘うものだから、初めは躊躇っていたなまえも、それじゃあ…と一緒に夕飯を食っていくことになった。食事中、なまえは自分がみょうじ家の者であるということと今日俺と一緒にうちに来た理由を二人に話していた。母さんもゆらもなまえの事を気に入ったようで、終始ニコニコしている。ニコニコするのは勝手だが、俺に余計な茶々を入れるのはやめてほしい。「付き合う気はないの?」だとか「竜二にナンパされたの?」だとか、とにかくそんな浮ついたことばかりあいつに聞いている。くそ、俺がナンパなんかするか。
「竜二、なまえちゃんのこと送っていきなさいね。」
「言われんでもそのつもりだ。」
「まあ、竜二ったらやっぱりなまえちゃんを」
「母さん。いい加減にしないとキレるぞ。」
「…ウフフ。」
飯を食い終えて少ししてからなまえを家まで送るために外に出た。自分から率先して送るのには理由がある。ひとつめはなまえは陰陽師であるといっても女だ。夜道の一人歩きは危ない。ふたつめは、先程からずっと疑問に思っていることを聞くためだ。
夏だといっても夜になると多少肌寒く、加えて今日は風もあるから結構冷える。俺は先程いつもの着物を着たから(コートはさすがに暑かった)大丈夫だが、なまえはまだ制服のままだ。夏服の半袖では今日は冷える。しかしなまえに貸せるような丁度いい羽織がなかったから俺の体育着の長袖を貸してやることにした。俺の後ろからでてきたなまえに体育着を手渡すと、よくわからないという顔で俺をキョトンと見つめたため、「冷えるから着とけ」と言ってやると、ありがとうと言って大人しくそれを羽織った。自分で言うのも悲しいが、俺はでかくない。しかしなまえが俺の体育着を着るとブカブカで、俺よりもはるかに小さいということが目に見えてわかる。こういう些細なことで男と女の違いを感じさせられて、なまえを女だと意識してしまう。
「ご飯いただいて挙句の果てに送らせて、悪いねー。」
「まったくだ、この借りは返してもらうぞ。」
「心が狭いよ竜二くん。」
「…なまえ。聞きたいことがある。」
「ん?」
「なまえはなぜみょうじ家の敷地から自由に出入りして学校にまで通っている。」
なまえの表情が変わる。緩やかに上にあがっていた口の両端は直線を描いた。俺がなぜこんな質問をしたかというと、それはみょうじ家の指導方針にある。みょうじ家はもともと修道院に近い要素があって、仕える陰陽師や門下生は自らの意志で外出をすることができない。存続のため、独身でいるという規則こそないがみょうじ家で陰陽術を学びながら一般の学校に通うなど普通はありえない。だから、最初は嘘っぱちだと思ったのだがなまえはみょうじの象徴である雪属性の式神を出した。そこまでくると信じずにはいられないから、きっと何か事情があるのだと俺は悟った。
「…親が放任主義だから…?」
「自分で言って疑問形とはどういうことだ。それ嘘だろ。」
「うーん、まあそれは嘘なんだけど、なんていうか、ねー…。」
「…。」
「まあ、いいじゃんか!ああっ、もしかして私がみょうじの陰陽師じゃないって思ってる?」
「…いや、そうじゃないが。」
「じゃあいいじゃん、この話はまた今度。もし疑ってるなら今度うちに来てもいいよ!」
なまえの家、みょうじ家の敷地に入る。門の近くまでいくと一人の男が立っていた。キョロキョロとあたりを見回していて、誰かを探しているようだ。男はこちらの存在に気付くと、走って向かってきた。俺たちより少し年上だろうか。門下生ではないようで、きちんとした着物を着ている。
「なまえ!何処に行ってたんだよ!」
「ごめんごめん刹(セツ)、花開院さんちにお邪魔してきた。」
「花開院さん…って、なんでそんな…。で、この男は?」
「花開院さんちの竜二くん。あ、こっちはうちの優秀陰陽師の刹ね。」
送ってもらっちゃった。そう言ってなまえは刹という男にニマっと笑いかけると刹は多少呆れたような顔をしたが、すぐに安堵のため息を漏らした。「遅くなるときは連絡しろって言ってるだろ。」「携帯家に忘れた。」という会話から始まった二人の口論を俺は黙って見る。しばらくしてなまえが俺の存在を思い出したのかこちらを向いてもう一度ニマっと笑った。
「今日はありがとね。お母様とゆらちゃんによろしく言っといて!」
「ああ、じゃ、俺は帰るぞ。」
「うん、あ!メールは21時以降にしてくださいってお母様に言っといて!」
「…はいはい、じゃあな。」
ばいばーい、と門のところで大きく手を振るなまえを一目見た後、元来た道を引き返す。来た時には二人だったのに、今は一人だ。俺にしては珍しくそんなことを考えていた。これが寂しさというものだっただろうか。遠い昔にその感情をどこかに置いてきた俺には久しく感じられる。なまえには今日出会ったばかりだというのに、ひどく親しみを感じた。小さな感傷に浸っていたその時、後ろから誰かが走ってくる気配がした。その人物は俺の後ろで止まり、俺もそれに合わせて足を止めた。
「…なんの用だ。」
「花開院…竜二だったっけか、今日はなまえを送ってくれてありがとう。ご丁寧に怪我の治療までしてくれたみたいで。」
「…それだけか?ああお前、アホ毛立ってるぞ。」
「ア、アホ毛って…!」
「他に用がないなら俺は失礼する。」
ついてきたのはみょうじ家の優秀陰陽師とやらの刹だった。本当は俺にもっと言いたいことがあったはずだ。言いたいことはだいたいわかる。うちのなまえに手を出すなとでも言いたいんだろう。生憎だが、その心配はいらない。手を出す気はないし、出したいとも思わない。どうせ俺には未来などないのだから、余計なものは"跡"にしかならない。初めからそう悟っている俺に、その言葉は余計で、残酷なものでしかない。
―デモ、アタタカイノハナゼ?