―万事休す、か…



目の前にいる人間たちに九分九厘滅されるだろう。そう覚悟した黒羽丸は今とある人間の屋敷の敷地内である広大な庭で息を絶え絶えにしていた。二万坪もあるだろうか、木々が生い茂っていたため森かと思うくらいだ。そもそもこんな所へ来てしまったのは奴良組以外の組の妖怪が奴良組のシマに入ってきた事から始まる。いつものように真面目に夜のパトロールをしていた黒羽丸は、他の組の妖怪を発見した。もちろんそれを見逃すわけにはいかず声をかけたのだが妖怪は逃げ出してしまった。それを追いかけていたのだが、追いかけているうちに戦闘に発展しお互いに傷をつけながらこの庭に迷い込んでしまったというわけだ。そしてそこは人間の敷地内、それもただの人間ではなくよりによって陰陽師の屋敷だったのだ。普通、陰陽師の屋敷なら強力な結界を張っているものなのだが、どういうわけかそこに結界はなかった。もちろんこの屋敷は奴良家からそうそう遠くはない。よって、黒羽丸はこの屋敷を知っている。普段は結界を張っていることも、並外れた陰陽術を使う陰陽師がいることも言うまでもなく知っていた。ここは京都の花開院に次ぐ古く大きな陰陽家、みょうじ家。気をつけろ、囲まれたならば命はない。父親である鴉天狗に幼い頃から何度もそう教えられてきた。黒羽丸を囲むように、半径3メートル程離れて三人の陰陽師が立っている。不覚をとった悔しさと情けなさ、そして自分にこの後降りかかる"死"への若干の恐怖。極めつけに先ほどの戦闘で負った生々しい傷のせいで黒羽丸の視界はかすれる。そのかすれた眼でかろうじて見えたのは二人の男性陰陽師と、長い髪の女性陰陽師だった。


「お前もすぐに滅してやろう。」

「みょうじの家に飛び込んで来るなどまぬけな妖怪もいたもんだな。」


お前も、というのは黒羽丸と一緒に入り込んだ妖怪はすでに陰陽師によって滅されていたため追加の意味を込めた言葉であった。後者の、まぬけな妖怪、という言葉に苛立ちを感じた黒羽丸だが、抵抗することもできずにただずっとその言葉を聞いていた。


「…向こうにもう一匹妖怪が入り込んだようだ。」

「?しかしなまえ様、妖気を感じませぬぞ。」

「お前達では感じないだろうな。これは…ぬらりひょんだろう。」

「な、なんですと!」

「お前達、そちらに向かえ。ここは私一人で十分だ…。」


今まで黙っていた女陰陽師がそう言うと、男性陰陽師二人は東の方角へ走っていってしまった。ぬらりひょんという言葉に無意識に反応した黒羽丸を見てなまえと呼ばれたその女は黒羽丸に近づく。しゃがみこみ、息を切らして睨みつけてくる黒羽丸の目の前に立つと女はゆっくりとした口調で話し始めた。


「お前、奴良組の妖怪だろう?」

「…!…そうだ。時にお前、ぬらりひょん様がここに来ていると言ったな?」

「ああ、言った。が、嘘だ。」

「嘘…だと?何を企んでいる…?」


なまえは黒羽丸から視線をそらし、西の方角を小さく指差した。


「あちらから出れば誰もいないはずだ。さっさとこの屋敷からでていけ。」

「なぜそんなこと…」

「いいからさっさと行け。滅してしまうぞ。」


そういうなまえは滅する気はまったくないようで、羽織のポケットに両手を突っ込み顎で西の方をクイクイと指す。信用してもよいのだろうか、と悩む黒羽丸であったがもしなまえが嘘をついていたとしても今滅されるのと後で滅されるので、結局結果は同じなのだから、と最終的にはなまえの指示に従うことにした。


「悪いな、陰陽師よ」

「フン…。二度と来るなよ鴉。」


バサバサと傷ついた漆黒の羽を広げ漆黒の闇中へ飛んでいく黒羽丸を闇の中でただ一つだけ明るい月が照らす。そして敷地内から妖気が消え去ったことを確認するとなまえは屋敷内へと戻っていった。




* * *



黒羽丸が奴良家に無事戻り、傷ついた体を治療している間、みょうじ家について鴉天狗にいろいろと尋ねると、自分を助けたなまえという陰陽師がみょうじ家当主の娘ということが分かった。そしてなまえが、並外れた陰陽術を使うことのできる天才陰陽師だということも明らかになったのである。しかし、いくら考えても消えてはくれない疑問があった。なぜ、あの時なまえは自分を助けたのだろう、頭のよい黒羽丸でもその答えだけは全くわからなかった。

それからというもの、黒羽丸はなまえのことを無意識に思い出してしまい仕事が手につかない日が続いた。脳内になまえが媚びりついて離れようとしない。仕事に集中しようと思えば思うほどそちらに気がいってしまい、自覚のある黒羽丸本人がやれやれと参ってしまっていた。


「そんなに会いたければ会いにいけばいいんじゃないかのう。」

「…そ、総大将…。」

「話は聞いたぞ黒羽丸。お前、なまえに会ったそうじゃの。」

「はい。総大将は、なまえと知り合い…なのですか?」


あの日、なまえがぬらりひょんと口にしたことを思い出し、また、ぬらりひょんがなまえと口にしたことで二人はもしかして知り合いなのだろうかと思った黒羽丸は少しおどおどしながらもそう尋ねてみたのであった。


「知り合いといえば知り合いかもしれんな。なまえが幼い頃にみょうじの家にちぃとばかしお邪魔して夕飯をいただいてきたんじゃ。」

「…総大将…。」

「ははは、そんな顔をするでない!…あそこの当主、なまえの父親は感情が少しばかり欠落しておってな。…なまえはかわいそうな子じゃ。命を助けることはできたが心まで助けることはできなかったの」


最後の方がポツリと呟かれたが耳のよい黒羽丸は印象的で衝撃的なその言葉をしっかりと聞き取っていた。




* * *



なまえは毎晩、敷地内から出て浮世絵町を一人で散歩している。結局、なまえが気になって仕方がない黒羽丸は毎晩パトロールの最中にみょうじ家近くに身を潜めそのことを探り知った。助けてもらった礼も言いたいし、もっと落ち着いてなまえと話をしてみたい。そう思いつつも、なまえには二度とくるな、滅してしまうぞと言われていたため、迂闊にでていくことができなかった。なまえは必ず公園に行く。そこのブランコにしばらく座りそれを漕ぐこともせず長い間じっとしている。適当な時間がたつと立ち上がり、元来た道を引き返す。これも、黒羽丸が観察して知ったなまえの行動パターンであった。そしてそれを影からそっと見つめるのが、黒羽丸の行動パターンだ。


「いつまでコソコソと尾行をする気だ、奴良組の鴉よ。」


その日もいつも通りなまえを影から見ていた黒羽丸になまえは言葉を投げかけてきた。もちろん、気配は消してあったし姿を見られるようなヘマはしていない。やはりなまえは凄腕の陰陽師なのだ。いつも見ているのは最初からバレバレだったらしい。少し羞恥心があった黒羽丸だがなまえとまた会話ができる機会を持てた嬉々のほうが数段上回り、素直になまえの前に姿を現した。なまえは全く警戒の色を見せず、ただずっと黒羽丸を見つめブランコに腰掛けていた。出てきたものの、どうすればよいのかわからない漆黒の羽を持つ妖怪は女の前にただ茫然と立ち尽くす。


「滅すると言ったはずだぞ?」

口元に笑みを浮かべながら言うが、その笑みは決して厭らしいものでなく邪気の無いものに等しかった。口では滅すると言うが、襲い掛かってくる気配は微塵もない。その様子に黒羽丸は安堵し、なまえの隣のブランコに自らも腰掛けた。


「改めて、礼を言いに来たんだ。」

「そんなことのために毎晩毎晩私をつけていたのか?」

「むやみに出て行ったら滅されるからな。とにかく、あの時は助かった。心から礼を言う。」

「奴良組の妖怪にも礼儀を重んじる輩がいたんだな。少し見直した。」


なまえは大方、ぬらりひょんと比較したのだろう。そう確信した黒羽丸は自らの組の総大将の粗相ぶりを想像してしまった。その時、いつまでも解決しない疑問を今こそスッキリさせるチャンスだと気付いた黒羽丸は、なまえに質問を投げかけた。


「なまえに、尋ねたいことがある。」

「…人に質問をする前に、名を名乗ったらどうだ」

「…ああ、すまない。俺の名は黒羽丸だ。黒い羽に丸で、黒羽丸。」

「名の通りの容姿だな。…して、なんだ。」

「なぜ、俺を助けたんだ?」


実に単純な質問である。なまえは表情を変えずに淡々とその質問に答える。


「奴良組の妖怪だったからだ。ぬらりひょんには私が幼い頃不名誉にも命を助けられたからな。借りは返さねばならん。まぁ、ぬらりひょんが家にこなければそんなこともなかったのだがな。幼い私は人間と妖怪の区別がつかず家にあげてしまったんだ。」


不名誉などと言うがなまえの表情は実に穏やかである。それを確認した黒羽丸はなまえが命を落とすような事があったという過去を気にし始めたがむやみに聞いていいことではないような気がして、そこには何も突っ込まなかった。


「さて、そろそろ帰るか。」

「また、来てもいいか?」

「物好きな妖怪だな、黒羽丸は。勝手にすればいいさ。」

冷たいようだがなまえの言葉には温かみがある。それを感じ取った黒羽丸は勝手にするさ、と言ってなまえが屋敷に入っていくまで影で見守ると、自らも帰るべき屋敷に早々と帰って行った。
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