遠い約束

嫌いで仕方がないはずなのに、静雄はいつしか本気で臨也を殺そうと思わなくなっていた。
理由は自分でもよく分からない。ただ、多分、あの吸血鬼の見せる人間じみたところが原因だろう。
出された食事を見て、静雄は運んできた波江を見上げる。
彼女は相変わらずの無表情で、おそらく、静雄に大した関心がないのだろう。多分、静雄がベッドで寝ていたことにも。

「これ……」
「あいつが貴方に出すように、と指示してきたのよ。安心して良いわ。毒なんか入っていないから」

倒れた静雄を気遣ってか、出された食事は野菜の入った雑炊。味は分からないが、食欲を誘う良いにおいがした。思わず、静雄の腹が鳴く。体は正直だ。
しかし食欲より先に気になったことがある。静雄は恐る恐る口を開いた。

「あの……あいつ、は?」
「さあ?夕方になれば帰るんじゃないかしら」

心底興味なさそうに言うと、波江は部屋を出ようと踵を返す。
残された静雄はじっと雑炊を見つめた。
あの吸血鬼は本当に意味が分からない。分かろうとすること自体無駄なのか、とさえ思わせる。
しかし静雄は、臨也の時折見せる優しさに似た何かを感じる。

「あいつは、吸血鬼、だろ……?」

吸血鬼は忌むべきものだ。人に害をなす生物で、人々に驚異と畏怖を与える。
しかし、本当にそれだけなのだろうか。
臨也の奥には、それとは何か別のものが潜んでいるような気がしてならなかった。

「……折原、臨也」

臨也が不意に見せる表情と、静雄の心の奥で疼く感情。何かあるのかと、静雄は自問自答する。
ない。何も。臨也に対して、静雄は殺意以外の感情を持っていないはずだ。
否、持っては“いけない”のだ。
吸血鬼は害をなす者。征伐しなければならない。
吸血鬼は化け物。人とは違う。

――馬鹿だね、君は。

不意に優しい声が脳裏を過ぎる。まただ、と静雄は思う。こういうことは幼い頃から時折あった。
ただ、その声が臨也の音と似ている、なんて初めて気付いたけれど。

「臨也……折原臨也……」

頭の中を覚えのない記憶が占めていく。

――そう、静雄君。じゃあシズちゃんだね。
――人間は愚かな生き物だ。だけどね、だからこそ、愛しいんだよ。
――化け物って言うのは、俺みたいなやつのことを言うんだ。
――君は化け物なんかじゃない。人間だよ。愛しくて堪らない、人間だ。

パチン、と頭の中で抜けていたピースがはまる。そういうことだったのだ。

「い、ざや……いざや、臨也、いざっ……いざやぁっ……」

パンクしてしまいそうだ。頭の中を臨也との思い出が埋めていく。
初めて出会った瞬間。優しく頭を撫でた手。慈しむような眼差し。血。銀色のナイフ。朱。こぼれ落ちた紅。頬を撫でた指。血に染まり、鈍い色へと変わったナイフ。
次々に蘇る。失っていたはずの、幼い頃の記憶。

「そうだ、あれは――」

記憶の隅に眠っていた臨也へと、静雄は手を伸ばす。初めて触れ合った存在へと。
しかしその手は、何も掴まない。当然だ。今、そこにあの頃の臨也はいないのだから。

「嘘だ。嘘……違う。俺は……」

蘇る記憶の渦に飲まれ、静雄は目を見開いた。求めた漆黒は、そこにはいない。

「臨也、そうだ……違う。おれは、そんな……」

幼い静雄に向かって、臨也が最後に見せた笑みが脳裏に浮かぶ。笑っていたけれど、とても悲しい顔をしていた。
そんな顔をしてほしくない。だって、家族以外で臨也が初めてだったのだ。静雄を化け物扱いせず、体温はなかったけれど優しく撫でてくれた。
あの日静雄に見せた臨也の笑顔は、今までの表情とは違った。

――シズちゃん、俺を殺しにおいで。ずっと待ってるから。

そんな顔を、そんな目を、そんな声を。静雄は望んでいなかった。
近くに行きたくて。分かりたくて。
でも、遠くて。分かり合うなんて無理で。
しかし、その瞬間から二人が始まった。

「いざ、や……」

小さく呟いた声は、臨也に届くことなく、静雄の耳に戻って消えた。



*****



突然訪ねてきた友人を見つめ、新羅は困ったように笑う。臨也のこの顔は、あのときに見て以来だ。

「言っただろう?君に静雄は無理だ、って」

幼い新羅にも分かっていた。あの日見た父の客は、吸血鬼だったのだ、と。それが臨也だと気付いたのは、随分後だったけれど。

「あの日もさ、そんな顔してたね」
「あの日?」
「君が小さな静雄を父さんに預けた、あの日」

新羅が言うと、臨也は目を丸くした。新羅が覚えていたとは思わなかったのだろう。
臨也の口からため息がこぼれる。

「気付いてたんだ。人が悪いな、新羅も」
「もう一度聞くよ、臨也。静雄に何をする気なんだい?」
「別に、何も?」
「君って、本当に性格が悪いね。生きるのに飽きたのかい?」

新羅は知っていた。臨也が幼い静雄を守るためにしたことを。
嘘の記憶を外部から与えるように仕向けたことを。

「まさか。俺は死が怖い。誰よりも生きてきたけど、生きるのに飽きてはいないよ」
「じゃあもう一度聞くね。君は静雄に何をさせる気なんだい?」

新羅が尋ねると、臨也は薄く笑う。

「シズちゃん次第だよ」


つづく


'10.11.03


[←prev] [next→]

[back]

[top]


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -