紅い花

――シズちゃんだけはダメだ。

あのとき、静雄を拾ったとき、臨也はそう思った。
そんな感情を抱くのは初めてのことで、臨也自身、戸惑った。けれども、静雄だけは駄目だと思ったのだ。
なくしたくない。そんなふうに誰かを想ったのは、初めてだった。

「シズちゃんを殺したいとは思ってない」

静雄を目を見て、臨也ははっきりとそう口にした。あの日、自分の失態を思い出し、舌打ちをする。
馬鹿げている。こんな結末。願ったのは、もっと違った形だったというのに。

「全部思い出したわけじゃないんでしょ?」
「……ああ」
「なら教えてあげるよ。どうして俺が、シズちゃんから記憶を奪ったのか」

臨也はに、と静雄が最も嫌う笑い方を見せた。嫌われてもいいと、そう思って。



*****



静雄を置いて臨也は毎晩町へ繰り出す。情報収集のためだ。夜の街に自分の容姿は随分と役立つことを、臨也はよく知っていた。
吸血鬼でありながら、臨也は人間を愛している。その言動、趣向、すべてにおいて人間は愛しい。けれども、静雄に関しては幼い静雄に対する人々の言動を愛しいとは思えなかった。

――化け物。
――疫病神。

静雄に向けられる言葉は、おおよそ、子供に向けるものではない。馬鹿げている。臨也はそう思った。
この街は広いようで、コミュニティとしては小さい。誰かが何かを言えば、あっという間に広がってしまう。静雄のことも、そうだろう。

「本当に、人間は愚かだよねぇ……」

そこが愛しいと思っていたのだけれど。
静雄に関しての情報は、大体揃った。家族構成、生年月日、経歴。そして、彼に対する世間の目。
不器用な子だと臨也も思う。静雄は自分がどう見られているのか知っている。だからこそ、余計に不器用になる。
愚かで、そして何よりも愛しい。
そんな自分がいることに、臨也は恐れた。大切なものなんてこれまで一つとして持っていなかった。家族も友も、正直なところ、退屈をしのぐためのものであり、大切なものではない。
そんな臨也が人間の子供を慈しむだなんて知られたら、いったい何を言われるだろう。物珍しそうに静雄を見物に来る者も現れるかもしれない。
吸血鬼という生き物は、実に愚かしい。臨也はそう思っている。人間という糧を必要としながら、人間よりも高貴な存在であると思い込んでいる。
静雄が彼らの目に触れたら、どんな目に遭うのだろうか。
少し興味深くて、すごく面白くなくなった。

「……帰るか」

つまらない気分になり、臨也は町を後にした。
そうして居城に辿り着くところで、様子がおかしいことに気が付いた。

「シズちゃん?」

白い寝間着を着た子供と、灰色のコートを着た男。静雄と、いつだったか臨也が利用した吸血鬼の一人が対峙していた。

「これはこれは、オリハライザヤさん。こんばんは」
「どうも、ご無沙汰してます。今日はどのようなご用件で?」
「ちょっと面白い噂を耳にしたもので」

ニィ、と男が笑う。鋭い犬歯が目についた。意図が分かり、臨也は舌打ちをした。

「残念ながら、私には関係のない話のようですね。お引き取りを」

臨也が子供を飼っている。そんな噂でも聞き付けたのだろう。うまく立ち回っていたつもりだったが、どうやらこの男は愚かではあっても、無能ではないらしい。
澱切が笑う。灰色の影が動く。手には煌めく何かが握られていた。

「シズちゃん!」

考えればもっと他の方法はあった。しかし、何も思い付かなかった。

「これは実に興味深い。楽しみにしてますよ、折原臨也さん。楽しませてくれそうですね、あなたも」

澱切はそう言って笑うと、煌めいていたはずが鈍い色へと変わったナイフをカランとその場に投げ捨て、そのまま去っていった。
悪趣味だ、と臨也は思う。ナイフについた紅と、こぼれ落ちた紅を見て、静雄の表情が凍りついた。

「い、いざ……や……?」
「大丈夫だよ、シズちゃん。俺は化け物だから」

静雄が怯えないよう、優しく頭を撫で、笑顔を見せる。これまでもそう言った様子を見せたけれど、今は何の計算もなくそうできた。
愛しているのだ。臨也は、静雄を。
まるで人間みたいだ、と臨也は内心自分を嘲笑う。

「シズちゃん、君は人間だ。それから、俺は吸血鬼。分かるね?」
「何だよ、急に……」
「吸血鬼は人間の血を糧に生きる。人間は吸血鬼にとって食料のようなものなんだ」
「臨也?」
「だからね、シズちゃん。次に会うときは必ず君の血をもらう。そうしたら、シズちゃんは俺のものになるんだ分かるね?」

意味が変わらないと言った顔をしながら、静雄が首を傾げる。そう、それでいい、と臨也は囁く。

「それが嫌なら、シズちゃん、俺を殺しにおいで。ずっと待ってるから」

刷り込むように臨也は言葉を紡ぐ。その言葉が真実だと、脳裏に植え込むように。
臨也の指が静雄の頬を撫でる。柔らかくて、暖かい。人間は暖かいものだと、そう実感できた。

「またね、シズちゃん。待ってるよ」

そう言うと、臨也は静雄の耳元で指を鳴らした。それが合図。
ふらりと倒れ込む静雄を抱えて、臨也は再び街へと足を向ける。よく取引のある人物に預けるために。



*****



「思い出されると困るんだ。折角暗示をかけたのに、無駄になる」

目を見開く静雄を見て、臨也は笑う。穏やかに。
手の内は全て明かした。あとは、静雄次第だ。

「俺はね、シズちゃん。君を傷付けたいと思ってる。愛してるんだ、誰よりも。だからこそ、シズちゃんがどうなるのか見てみたい」
「んだよ、それ……」
「俺が君にナイフを向けて刺したとしても、本当に意味でシズちゃんは傷付かない。だから、シズちゃんに俺を殺してほしいと思ったんだ。その方が、効果的だろう?」

本当の願いとは少し違うけれど、臨也ははっきりそう告げる。静雄の眉が顰められた。
吸血鬼だから、とかそんなものは関係ない。臨也はずっとこうだった。多分、きっと、生まれたときから。

「俺は、手前を殺さねぇ」
「そう」
「できるかよ、んなこと言われて」

静雄は本当に、思い通りにならない。
臨也は思惑が外れて残念であるはずなのに、嬉しそうに笑った。

「殺せるかよ……」

吐き出すように紡がれた言葉が嬉しくて、臨也はそっと静雄に手を差し出す。今ではもう、臨也より静雄の方が背が高い。そっと、あの日と同じように頬を撫でた。
暖かくて、柔らかい。あの頃よりだいぶ柔らかさは失われているけれど。

「愛してるよ、シズちゃん。だから君がほしい。ずっとね」
「手前の訳分かんねぇ戯言に付き合えっていうのかよ?」
「そうだね。未来永劫、付き合ってくれてもいいよ」
「しね」
「やだね。もう死んでなんかあげないよ」

静雄の胸倉を掴むと、臨也は強引に引き寄せる。静雄の力をもってすれば、それは簡単に振り払える程度の力だ。
けれども、静雄は抵抗しなかった。そのことに満足すると、臨也の唇が静雄の首筋に触れる。

「これでもう、シズちゃんは俺のものだ」
「冗談じゃねぇ。一生手前のもんになんかならねぇよ」
「そうだね。それでいいよ」

あの頃と変わらずに白い、けれどもあの頃よりずっとたくましい首筋に、臨也は牙を立てた。
永遠の約束。臨也が静雄の首に、紅い花を咲かせた。


おわり


'11.04.09


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